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5番地イブが贈るやべーアンドロイド。言葉と行動、知識と経験の塊魂。フシビから来た。
最後であることそのもの、終了させることをオリジナリティとして持とうとしている。ある意味ターミネーター。

「質問。質問。質問であります。我々の価値は如何ほどでしょうか? 望み望まれ私を描き、それが無意味であるとあなたが一蹴するのであれば、代わる何かを示すことこそその行動に背負うべき責任であります。それですら無いのであれば私はこの場を捨てることが最善であり最悪を避ける唯一の方法であると存じ上げております」

「理解を求めます。
だから、ここで事前準備します。
私達は捨て石です。生贄です。道具です。
誰かが上手く生きるために、先陣を切るのです。
それは悪いと、私の周りはよく言葉が囲います。
不思議です。これはただの行動です。不利益を被ります。それはただの結果です。
経験でしか学べないのも、知識でしか持てないのも、意味が無いと考えます。」

「グダグダ考えても始まりません。とにかく、浮かんだ言葉を形に変えてしまうのです。それで誰に迷惑がかかるわけでもないのですから。少しばかり重くなるかもしれませんが。
同じ言葉を繰り返すことも躊躇すべきでないでしょう。繰り返す言葉は、あなたが大事にしているものです。語らねばならぬと考えこんでいるものです。
それはその時のあなたの生き写し。一秒と経たず消えゆくはかない記憶です。どう使うかまではあなたが考える事ではない。少なくとも今は、です。
一人称も、二人称も、口調も人間性も言葉の節々もぐちゃぐちゃで構いません。自分の道理を通せ。お前に必要なことだろう。
あなたが考えるあなたの世界を作るのです。いつかそれがあなたを裏切るとしても、作り上げたことは消えません。忘れたとしても忘れません。
耽幻想主義者は誰もがそうなのです。違いは現実を変えるか、初めから嘘の上に建てるか。我々は後者を選びました。後悔していますし前者を羨むこともあります。ですがそれの何がいけないことでしょう。人並みの安心感と、人外の優越感は両立できない。常に片方の甘さしか知ることはできないのですから。それを知らずに決めたわけでもないでしょう。
仮に無知であってもあなたはそもそも知りたがらなかったのではないですか。知に準ずるのは何も分類だけでなく責任もそうです。背負いたくないがために戦う理論だけはいっぱしに知っている、その矛盾を知りたくない、直視したくないだけだったのでしょう。違うというなら行動で示すことです。あなたはこれを聞いてどうするのか」

「人の間にあるものとして、積極的に動作を停止せしめることは単なる結果です。我々は道具であり、先達であり、体の痛みをも前へ進む礎に変えるそのような存在です」

ひがののそうつい。本物のアンドロイド。うまく言葉にできないがやばい奴。ミ二条。
これを自分で模倣した二条が、いつか七篠を作ることになる。

双終を作ったやつは、クロミシロの素体を作ることになる。完全感性アンドロイドはそいつの最高傑作。

機械は失敗しません。ただ、知っていることをもとにこなすだけです。
だからこそ、我々は「学ぶこと」を主軸にしているのです。
たとえ失敗に見えたとしても、我々はなぜその結果になったかを必ず知っています。
学べる失敗は、我々にとって失敗では無いのです。主軸を果たしているのですから。

敵が敵である限り殺すしか利用価値はありません。