おお、おお、姫様よ。何が悲しくて泣いているのですか。
――泣いてなどいない、ですか。それはまた、大胆な嘘を吐きなさる。
おや、驚きましたか。鬼が嘘に怒らないことに。はは、私は少々異端なのですよ。
何の用、ですか。ここへ伺う以上、あなたと話をする用だと思うのですが。それとも、他の方は違うのですかね?
……おっと、無理に仰る必要はございませんよ。これは脅迫や諜報ではありませんし、そもそも突然出てきた私を信じるという方がおかしいのですから。
それに、そんなことを拝聴するために私は参ったのではありません。あなたのその暗い顔を明るくするために参ったのです。
――閉じ込めたくせに、何を勝手なことを。ええ。鬼とは勝手なものです。ですから勝手にあなたを笑顔にしましょう。
――根拠は。そうですね。私の二百余年、外の世界の旅の話などどうでしょうか?
――興味がない。なるほど、了解しました。それなら耳を塞いでいただいてもよろしいですよ。私は甘んじて独り言を申しましょう。
準備はできましたか?
やはりまずは、この話をいたさなければなりますまい。
ダイダラボッチ。その体は遥か天まで届き、海を数歩で渡り、それが歩けば足跡は湖に、穴を掘れば掘った土は山々に変わるという、伝説の怪物にございます。
私はこの怪物を探しておりました。それだけ大きいのであれば、その分強いに違いない。鬼は強きを求めては、戦いに馳せ参じるのが生き甲斐なのです。何としてでも会ってみたいと、私は噂を辿り、その伝承の残る集落へ赴いていました。
そうして辿り着いたのは、とある山中の程々に大きな村です。洞窟の向こう側にあったその村は、不思議なほどに空は青く、不自然なほどに草花が咲き乱れておりました。それもそのはず、その村には薄くはあれど魔力が満ちていたのです。
最初は妖怪の手に落ちた村かとも思いましたが、どうやら違うようです。本質はその逆、妖怪に抗うために、自分たちだけでなく村そのものに手を加えた人間たちが住む村だったのです。
これほど熱心に妖怪に対策を講じている村ならば、だいだらぼっちの伝承や伝説、最悪でも退治譚なら得られるやもしれません。私は期待に満ち溢れたままに、その村へ足を踏み入れました。
しかし、そこではたいした収穫は得られませんでした。私はその怪物の現在を知りたいのに、やれ山を持ち上げたことがあるだの、子供を手に乗せて一緒に遊んだ伝説が残るだの、皆他でも聞いたような過去の話ばかりするのです。誰一人、ダイダラボッチの今を知る者はおりませんでした。
それどころか、私を見て『こんな若い子が旅をするとは、感心感心。どうぞゆっくりしなさい』などとのたまうのです。ああ、あいつらめ。見た目でわからぬか。奴らを忘れてしまったのか。一体私をなんだと考えて……
……失礼、話を続けましょう。
私はその集落に早々に見切りをつけ、近くの山へと向かいました。人間がダメなら、妖怪に聞けばよろしいのです。私は鬼の権威を笠に着て、目についた妖怪たちに片端から話しかけていきました。カラカサ、チョウチン、ハンザキ、イヌガミ、ハジカキ、イデモチ、イソガシ……
そうすると、一つ不思議な情報があったのです。曰く、
『ダイダラボッチは存在する。けれど、実在しない』
意味がわかりませんよね?私もそうでした。居るのか居ないのかはっきりしろと、私は少し怒り気味に言いましたよ。しかしそうしても同じ言葉を繰り返すだけなのです。
これでは埒が明きません。私は妖怪たちと別れ、自力で探すことにしました。嘘を言った方は一人もいないわけでしたし、ダイダラボッチがここにいるのは間違いないはずなのです。非効率ですが、やるしかありませんでした。
それから私は、山を探しに探しました。
日が落ちては沈み、登っては下り、登っては下り。大きな山でしたから、それはけっこうな冒険でした。私は皮膚は頑丈な方ではありませんから、草葉で切れますし虫に刺されますし猪にも殺されます。山の中で宿を取るのも一苦労でしたよ。
そして三日ほど経った夜、私は一つ洞窟を見つけました。
この時私は、ただ幸運だと思っていました。雨に打たれれば風邪を引くのが私ですからね。最悪人間の里まで下りればいいのですが、……まあ、食べるわけでもない彼らの甘さに付け入るというのも、妖怪としてはよくないので。ですから、雨風が凌げるだけでうれしかったのです。
しかし、それはただの洞窟ではなかったのです。その奥にいたのは――
――如何なさいましたか、そんなに目を輝かせて。
――違う?何でもない?そうですか。では続けますよ。
――そこにいたのは、齢十つを数えるかというころの童。奇妙に上にはねた青い髪で、青地に赤い花をあしらった着物を着た童でした。それが蝋燭の前で踊っているのです。
一体何をしているのか。私は声をかけました。
童は驚きながらも、その外見に見合った無邪気さで教えてくれました。
影を作っているのだ。
つまり、遊んでいるのか?
いいや違う。いつかまた、表舞台に戻るための練習だ。
なるほど、影芝居。
芝居だと? 我が誇り高きダイダラボッチの技を、あんな娯楽と一緒にするな!
ああはいはい、ダイダラボッチか……
私は少々呆れてしまいました。というのも、集落にも同じような童がいたからです。ダイダラボッチの名を借りて、自らを敬わせようとする童の大将。私は、彼女もそれと同じものだと直観し、話を切り上げようと荷物を下ろしました。
しかし童はまだ喋り続けます。
何だその顔は。お前、信じてないだろう。
信じてる信じてる。たとえお前が私よりちびっこくても。
ちびっ、う、うるさい! お前こそ随分器が小さそうな顔じゃないか。大方家出でもしてきたのだろう?
そんなちんまい煽りには乗らん。第一私に家はない。
な……すまない。気が利かなくて。
……お前、ダイダラボッチを名乗る割には気が小さいな。
そんなにあの手この手で小さいを連呼しなくてもいいだろ!
だって、どこもダイダラボッチらしさが無いじゃないか。せめて身長六尺くらいになってから言えよ。
私がそう言ったのは、単なる言葉のはずみでした。言葉の綾。軽口の一つ。しかし私はすぐに、言ったことを後悔することになりました。
――そうか、六尺程度でいいのだな?
そうして私は――妖怪たちの言った言葉の、真意を理解したのです。
妖怪たちは、けして私を欺こうとか、意地悪しようとか、そんなつもりでああ言ったのではなかったのです。本当に探すのか、落胆しても知らぬぞと、私を気遣いながらも言っていたのです。私はそれを踏みにじっていたのだと、すぐにわかりました。
突然目の前に、大きな人影が現れます。
その大きさたるや六尺どころか八尺はあるでしょうか。体軀もそれに見合った筋肉質。腕は丸太のように膨らみ、脚などは私の腰よりも太く力強く。とても私一人では勝てそうにない大男の人影でした。
当然私は焦ります。よもやこの童、私を嵌めたか。無邪気そうに遊ぶ振りをして旅人を誘い込む、野盗の一味であったのか。
そう考えながらも、私は思いきりそいつの体をひっくり返しました。先手必勝、一撃必殺。そいつは勢い良く岩場に頭を打ち付け、血を流して絶命する。それぐらいの覚悟でやりました。
ですが男は死なず違わず。倒れたあとに頭も擦らず起き上がり、私に襲い掛かるのです。これは何だ? 私は驚きの冷めやらぬ間に、間一髪、男の突進を躱しました。
私の渾身の一撃を受けて生きているならば、それはもはや人ではありません。そうならば童も人ではなくなります。童相手といえど妖と人が組むなど絵空事。つまりは揃って妖同士なのでしょう。
妖は身勝手で利己的。手を組むなどということは、よほど強大な長がいなければ有り得ません。さんざんばらに山を練り歩いた後です、例えばここの山の長の機嫌を損ね、ここで始末を命じられたとしてもおかしくはないでしょう。ならば麓の妖怪共も、教えてくれれば良かったのに。私はこの時そう考えていました。
童は笑います。
どうだ、どうだ! 私が誰かこれで分かっただろう、死にたくなければさっさと出ていけ!
ちっ、分かんねえな。私は何もしてないのに、なんで出なけりゃならんのだ。
おっ、まっ、えっ、な! 言葉が人を傷つけるのを知らないのか! 最低だな!
言葉? そんなぶつくさ言いながら歩いてた覚えなんて……ああ、そういえば悪態つき続けてたかもな。こんな辺鄙な場所に住んでんじゃねえ、って。
違う! そんな陰口ごときを私が相手にするか! 小さいって言ったことだ!
何だ、そんな事か。じゃあ謝るからよ、っと。こいつ止めてくれ。お前の仲間なんだろ?
……本当に謝ってるんだろうな!
本当本物本気本気。ほら、さっさと……っ!
不意に、私は体勢を崩しました。鋭い草葉の中を無造作に歩いていたもので、ついに私のつっかけが限界に来たのです。帯が千切れ、傾いた私の頭に鋭い岩肌が迫ります。
そんな事とは露知らず、大男が私に向かって再び突進してきます。前は大男、横は岩肌、後ろは月明かりが冴える夜。普通に考えるなら、後ろしかありません。無理矢理に地面を蹴り、私は後ろへ飛び退きました。
しかし不運とは続くものです。千切れたつっかけの帯が絡みつき、私の足を取ります。
私の名は鬼人正邪。しがないただの木っ端妖怪ですよ、少名針妙丸様。