パチュリー・ノーレッジの朝は規則的だ。
朝四時、起床。
四時十分、洗面。
四時二十分、衣服を整え、
四時四十分には机につく。
そして五時半、眼精疲労。
……いやいやいや、早すぎ。五十分よ。一時間経ってないのよ。なのに目がもうゴロゴロの実よ。天空の島も征服できちゃうわよ。どういうことなの。
さて、おはようございます。紅魔館は大図書館の主、パチュリー・ノーレッジでございます。最近喘息の他に眼精疲労という友達が増えました。なんてこったい。
これが妖精とかならまだ外で陽気に遊んでればいいけど、こちとら陰気の魔女である。魔導書を一日十五時間は読んでないと気が済まない程度には魔女である。そんな女がたかだか眼精疲労ごときに負けてたまるもんですか……あ、いや無理。文字が踊ってる。ピンボケてる。というかこれ文字?挿絵じゃない?全部がきらきらきらりんでもう何も見えないじゃない。やばい、辞めよう、休もう三段活用。魔女だって人並みに休憩が必要なのだ。具体的には三週間に一時間くらい。
そんなこんなで私は今ソファで横たわっている。
…
……
………、
暇じゃ。
予想以上に暇である。しかし私は一度起きると寝れなくなってしまうタイプだ。二度寝は不可能。かといって今は早朝。魔導書読む以外にできることなんてオールモストナーン。レミィは寝てるし、咲夜は朝食の準備中、美鈴は今が一番忙しく、フランの寝起きに近づこうものなら転生コースである。私はそんなレールの上の人生は歩みたくない。いや、魔女だから人じゃないけど。
…
……
妖精メイド……は居ないか。早朝に出てくる妖精なんて居るまい。ぽかぽか暖かくなってからのんびり出勤が彼女らのポリシーらしい。それで良いのかと思うが、まあ咲夜が何も言わないからいいんでしょう。
ホフゴブリン……も寝てるか。彼らは朝型生活にされてから日が浅いし。それに会ったところで何をするのか。割と真剣に彼らで実験ぐらいしか思いつかない。いくら魔法に身を捧げた私といえど勝手に人で実験しちゃいけないことくらい分かる。実家じゃあるまいに。
小悪魔……は……
「おはようゼンくん!今日も人がいい顔してるね!」
「そういうコア先輩は人が殺せそうな笑顔ですね!」
「はっはっは!さすがゼンくんだ!褒めてんだか皮肉だか分からない!」
「3:65」
「容赦ないな君!?悪魔としては正しいけど!」
「ちょっと!いいから離してよ!服が伸びちゃうでしょ!」
いやまあ、うん。知らずに使うのはいけないことだが、知らないことすら知らないのは無理だよソクラテス。
そうならないために知識を蓄えたのにさ。何にでも例外ってあるのね。
「ふむ。なら、こうかしら。コア、そっち維持しといて」
「え、そんな突然言われても、っとと!」
使っていた遠見の魔法陣をコアに押し付け、新しい遠見の魔法陣を発動する。
簡単な話だ。原因不明のエラーなら後で精査すればいい。けれど覗きが間に合わないとインがこちらに来てしまう。……まあ、覗きを明日にすればいいのだが。
「原因不明のエラーは一度放っておいて、とりあえず話を進めましょう。幸い状態検査が効いたから、古い方の遠見の魔法から相対座標を移せば、移動の手間が省けるし」
「ええー!それじゃあ私そっち覗けないじゃないですか!」
「…………」
「…………」
目が覚めると、目の前に目が覚めるような美女がいました。
おいおい、勘弁してくれよジェニファー。二度も起こすだなんて君は本当に悪い女だな。ようやくわかったよ、今までの僕は眠っていたんだ。体じゃなくて、ココ
「幻想郷では流行っているのかしら、そういうの」
美女が話しかけてきた。あれ、口に出てしまっていたか。というか幻想郷を知ってるのね、この人。まだ人かどうかわからないけど。
「さあ。あまり外には出ないしねえ。大図書館の主なんてやってるとこういう知識も入ってくるのよ」
「苦労してますか?」
「いいや、苦労じゃないわね。むしろ毎日楽しいわ」
「ふむ。それでもカバーできない知識というのもあるんですか?」
「あるわねえ。最近図書館の外に出てわかったけど、経験じゃないとわからないことは結構多いわ。まあ中でも小悪魔たちの事とかわからないんだけれど。あの子たちがもっと有名だったら本でわかったんだけどね」
「なるほど、なるほど」
美女はいつの間にか紙とペンとバインダーを持ち、何かをメモしている。
「何書いてるの?見せてよ」
「いえいえ、そういうわけにはいきませんよ。これはあなたのカルテですから」
「カルテ?」
「診断書です。本当はこの仕事、他にやる人がいるんですけどね……いつまで遊んでるのよ、白澤もオネイロイもネラも麒麟も」
そもそも、本当にイワンは一番なのか?
中国語では1はイー、英語ではワンだ。これを組み合わせてイーワン。
つまりイワンは11――十一ではないか?
もちろんワンだけではつまらないとレミィがイをつけたのかもしれない。それに十一ならばイレブンか、中国語でいくならシー、とにかく十を表す何かがついてなければおかしい。だからこれは仮説の域を出ることはないだろう。
しかしこれが本当だとするなら、一から十は何処へ行ったのか。一番から十番は妖精メイドを隊で分ける際の隊長格であり、存在しないはずはないのだ。なのに思い返してみれば、一どころか二から十までも、その内の一人たりとて見た記憶が無い。これは一体?
……とにかく、これはまだ仮説だ。新説とするには、まだ情報が足りない。とりあえず現時点での最高ナンバー、シーアに話を聞くのが得策だろう。
私は台所へ向かおうと、ドアノブに手をかけた。しかしうまく捻れない。揺らぐ視界。震える手。ぬるりとすべる感触で、私はようやく手に汗をかいていたことを自覚する。
……何を恐れているのかしら。私は大魔導師、パチュリー・ノーレッジだ。この程度の緊迫感なんて、魔本の解読のときに幾度となく味わっていたはずだ。それに仮説は仮説、未だ虚構の情報に恐れることなど何も無い。なのに……
ぎゅっと、何かを忘れるように唇を噛む。そして両腕をドアノブにかけ、私はゆっくりとドアを開けた。
窓が少ないせいで仄暗い紅魔館の廊下。
それが今日は、見知らぬ生物の胃の中にすら思えた。