空には白く、細く雲が棚引いて。
 雲の向こう側には、朝焼け空の紫が広がっている。
 外した視線の先には、そんな光景が厚く塗り込められていた。

 そのまま少しずつ、視線を下ろしていく。はるか遠くに望む雄大なる大都市。堅固不抜の極大石橋。更に下ろせば、その石橋の上に立つ、白衣を纏った自分自身。
「……」
 裾の長い白衣を風に靡かせ、後ろを向く。そのまま、今度は自分の背後へと、ゆっくり視線を上げていく。
 見えたのは、朝もやのはるか向こうの関所。
 それだけ。
「……さて……」
 
 大瑠璃囀る初夏の早朝。
 大きな大きな、石橋の真ん中で。
 今、一つの人命が絶たれようとしていた。

 それはもう、らしくなく悔やんでいた。
 なぜ、関所のレンタル自転車を素直に受け取らなかったのだろうか。初めてあの都市に入るなら、まずは自分の足で踏みしめたい。そんな出るに任せた高揚感の結末は、惨憺たるものだった。気づいた頃にはもう遅く、関所は霞むほど遠くに来て、もはや行くも帰るも覚束ない。体のふらつくまま、どさりと石橋の脇に座り込んだ。
 朝もやが深まる。
「……」
 仰いだ天に輝く、北極星。
 目を逸らせば、明けの明星。
 都市を見やれば、微かにちらつく夜景の残り香。
 思わず目を伏せて、考えを巡らせる。歩き出したのは0時。星の位置からして、今は4時頃だろうか。歩く速さを遅めに見積もったとしても、12kmは歩いたことになる。
 しかし、石橋は一向に終わりを見せない。都市は眼前を覆い隠すほどに近くにあるというのに、道のりだけは縮まる気配がない。そう感じてしまうのは、もはや霧と化しているこのもやのせいだけではないだろう。地平線を恨めしげに一瞥して、カバンから保存食を取り出した。
「……」
 もそもそ頬張りながら、さらに考える。これから向かう場所、そこに向かうことになった経緯、保存食をおいしく食べるための一工夫。少し間をおいて、それらはいわゆる走馬燈であると位置づけた。一刻も早くここを抜けなければ、思考はさらにその先へ進んでしまう。
 ふと、石橋の下は底が見えない程の渓谷であることを思い出した。落ちれば二度とここには戻って来れないに違いない。何となく、身を乗り出して渓谷を見下ろしてみたいと考えた。即座にその考えを振り払った。
「……?」
 違和感が、思考を現実に引き戻す。
 そして、軽くあたりを見回してみる。
 辺り一面が、霧の白色で覆われていた。手を伸ばせば、腕の先が見えなくなるほど。都市の明かりも消え失せ、どちらに進めばよいかもわからない。無論空も霧に塗りつぶされて、普段から腕時計をつける性格でもなければ時刻すら全く分からなくなった。
 ただ、それでも時間はわかる。朝もやが立ち込め始めてから、五分も経っていない。そしてここは石橋の上。霧が発生したところで、普通は渓谷にすべて吸い込まれるだろう。少しずつ、違和感が形を持ち始める。
「……」
 カバンの中をまさぐる。ついでに保存食の包装をポケットに放り込む。しばらくして、カバンを大きく開いて本格的に何かを探し始めた。
 触覚だけでは、乱雑に物が詰め込まれたカバンの中身を探すのは容易ではない。かといってカバンの中身を広げると、戻すときに何故か体積が増えてカバンが閉まらなくなるかもしれない。折衷案として、中身を底からひっくり返して視覚で探すことにした。塊となったカバンの中身を力任せに回転させる。
 やがて、カバンから透明な筒のようなものが飛び出した。ゴム様の物体で蓋がされており、その中で一本のプラスドライバーが浮いている。それをカバンから引きずり出し、躊躇いなく蓋を開いてドライバーを取り出す。