「……大丈夫?」
「問題ありません。裁判を続けて下さい」

 机に頭を叩きつけられた天邪鬼の後ろで、四季はあくまで平静にそう言った。手には悔悟の棒、その文字は『喧騒』。

「ならいいけどさ。じゃ、判決を――」
「まっ、待った!」

 右からバサッと音がする。声を遮り、その手を高く掲げる。その主はこいし、ではない。そもそもこいしはいつの間にか消えている。
 何をするつもりかしら、メディスン・メランコリー。

「ん? 何?」
「あっ、その……」
「メディスン。私が許したのは傍聴です。弁護人の権限など与えていませんよ」
「う……えっと」

 二人の閻魔に話しかけられ、しどろもどろになった彼女がこちらに目を向ける。細かく瞬きを繰り返す、少し潤んだ目を。
 ……とりあえず止めたとか、対応策を何も考えずに声だけ上げたとかじゃないでしょうね。まさか。

「弁護人? 弁護するようなシステムがあるってことかしら」

 仕方がない。時間を少しだけ稼いでみる。依頼人の望みを叶えるのが私達の仕事だ。けれど、望みが何か分からないなら動きようがない。考えをまとめてくれるだろうか。

「…存在はしています。ですが使われたのは数百年前が最後です。弁護に意味がないと分かって皆使わなくなりました」
「意味がない?」

 軽く頷き、四季は話を続ける。

「弁護とは事実を明らかにして再度是非を問う行為です。時には裁判官の価値観すらも問い正し、無罪を勝ち取ることもあります」
「裁判にもあるのね、そんなの」
『疑っていいんだ、裁判って』
「おはよう小傘。もう喋っていいのよ」

 生気を取り戻した顔の小傘がこくこくと首を上下に振り、追加の紙を示す。『あんまり邪魔するわけにもいかない』って、今更じゃない?

「翻って地獄の裁判とは、浄玻璃の鏡の確認作業です。あらゆる判断材料はその鏡が示す。それに対する我々閻魔の答えは画一的で絶対です。言葉を交わす余地などありません」
「といっても、判断はノータイムってわけじゃない。私達が鏡を見て判断するより先に、言葉を挟まれたらわからないかな」
「それ、無理って言ってるよね」

 さっきの光の帯に対して、閻魔より早く判断して進言する。私達の中で最速最強であるフランドールが無理なら誰だろうと無駄だ。被告人を連れて逃げるほうがよほど現実的だろう。

「それでも我々の裏をかこうとする弁護人は居ました」

 四季が左を指さす。そこにあるのは閻魔よりは小さいものの、劣らず格式を感じさせる埃一つない机。

「しかし、そのうち覆して再審理する時間も無くなるほど地獄が忙しくなると、公的な意味すら失った弁護人は程なく消えたのです」
 
 そのまま指は更に左へ、裁判所の出口へと滑っていく。整然と区分けされた扉のデザインがいやに寒々しかった。

「ご理解頂けましたか?」
「全き」
「よろしい。あなたはどうですか、メディスン」
「私は……」

 そう呟いて、顔を陰らせ俯きまた黙り込む。下唇を噛み、頬を紅潮させる。

 諦めようかしら。メディスンの依頼はもともと、最高の毒が作りたいという話だった。手段は全て私達に委任されていた。その後に本が欲しいとか、神に会いたいとか追加注文が入ったが、それだって手段について何も話し合っていない。要するに、ここで見捨てて放っておいても依頼には何も影響しない。

 これは薄情ではない。私達を雇ったのはメディスンだ。不平不満を言われないなら私達は好きにやり続ける。
 ……誤解を招くわね。希望願望を言わない限り、私達は好きにやり続ける。私の好きはここで見捨てること。助けてほしいなら、助けてくれと言えばいい。
 このことは初めの質問で訊いて、『なるほど。覚えておくわ!』と返されたはずだけど。さすがに忘れてはいないわよね。
 
 ああ、そうそう。見捨てるにしても、あれの確認はしましょうか。

「うぅ……」
「そんなに本が心配なのかしら?」
「ちっ、違う! ……私は、ただ……!」

 違うのか。
 本の回収なら、パチュリーの本という名目で取ってこれると言いたかったのだけれど。違うなら黙っておく。

『ねえ、ぬえっち』
「ただ、何ですか」
「……」
「……だから、話していいんだって。わざわざ筆談なんてしなくていいの」
『でも関係ないことだし、私が聞き逃しただけかもしれないし』
「何よ」

 私が小声でそう返すと、小傘はおずおずと文を書き始める。自信が無いのか、少しずつ文字が小さくなっていく。さらにくずし字が目立ち始める。読み難い。私に解読をさせるなんて、何の冗談なのかしら。

 ……ん? でも、これ……ふうん。

「いいや、知らない。自分で聞きなさい」
「わ、わかった。えん――四季さま!」
「サボタージュは労働に入りません」
「慣らされすぎでしょ」

 さっきまでとは質の違う威圧感を帯び、すぐに戻る。河に居なかった渡守はいつもこれを受けているのね。よく懲りないでいられるな。

「……何でしょうか」
「えっと……『再審理の時間はない』って言った……言いましたよね。それで、審理にかかる時間は、さっきの裁判だと10分も無かっ……ありませんでした。だからその、大丈夫なんですか、お時間は」
「問題ありません。私が早く上がりましたので、二時間ほどあります。余った時間の間は裁判業務は停止するはずでしたが、交代の方が『早くやって早く上がりたい』と仰ったのでそのまま引き継いだのです。よって後ろに二時間の暇があります」
「あっ、だからって『早くしてほしい』とか思ってないからね。地獄は善く生きるための施設だよ。ある程度までなら生者優先で待つさ。
 皆もそうだよね」

 右からぱさっと音がする。傍聴席の霊たちが、さっきまでの抗議するような上下動を止める。ふわふわ浮かんでいた声の幽霊が主の下に戻る。器用ね、あの霊。

「それでもある程度です。いつまでも待つほど甘くはありません。答えを聞きましょう、メディス」
「ちょっと待ってちょうだい」

 すっ、と言葉が耳に染み込んだ。
 フランドールが動く。それを頭に思い浮かべるだけでこの先300年は安泰になるだろうと確信できる。ここに存在することに心から感謝できる。私の妖生全てが肯定されるような清々しい気分だ。あの日の感覚が再び呼び起こされる。ああ、やはり、世界は美し

「メディスン。私たちはあなたに雇われたわ。だから、何を望んでもいい。何を願ってもいい。それが依頼から外れない限り、私たちは絶対に肯定する。絶対に叶える」

 いしやっぱり生きててこの世に最も感謝する日があるとするのなら今日をその記念日として全世界に高らかに掲げてもなお余りあると思える幸せが私を包むことを最高に草餅を鉛筆が靡いた妖精へ什器は正方形として箪笥の孵化だ。

「あなたの望みは何かしら? メディスン・メランコリー」
「……私は」

 ええ。やっぱり魔界なんて出ていって正解だった。こんなに素晴らしい吸血鬼と、肩を並べて生きていられる世界。ここが幻想郷。あらゆる嘘が実現する土地。生憎様ね本体サマ。私は今が一番幸せよ。

 ……ん? こいしが帰ってきたわね。何してたのかしら。メモ書きなんて持って……メディスンに耳打ち?

「……!」

 こいしが一言しゃべるたびに、みるみるメディスンの顔に喜色が満ちていく。流石に気になる。何とかメモを見ようと体をひねっていると、こいしと目が合った。
 何気に、初めて見たかもしれない。いつも髪に隠れて見えないから。
 
「!?」

 向こうも私に気づいたらしい。必死に前髪を下ろして目を隠そうとする。更に帽子も深くかぶる。その隙にメモをのぞき見てみる。
 『抗議』『異論』『私見』『見解』『寸評』『異存』『感懐』『提言』『弁明』『不平』『難癖』『難詰』……

 ……。

 ……ああ、もしかして。何も言わなかったのは。
 助けも求められないほど追い詰められたわけでなく。
 必死に自分の心を考え続けていたわけでもなく。

 既に心は決まっていて。
 それでも言い出さなかった理由は。

「閻魔様! 私はこの裁判に『異議』が有るっ!」

 しっくり来る単語をド忘れしてたから、じゃないわよね?

こいしを見つける方法:
意識を吹き飛ばして無意識になる