ああ、なぜ私は生まれたのか。
 いや、そこまで深刻な話をしようという訳では無いが。最近の自分を振り返るとついそんなセリフが出てしまうのだ。
 一週間。一週間もあった。だというのに私は学習しなかった。日記を書きながら暗澹たる気分になる。
 ため息をついて、今日の日記にいつもの一言を添えた。
 『今日も多すぎる。そろそろ私は自分がなんの妖怪か見つめ直した方がいい』
 その一言の上に描かれた、昨日より一つ多い正の字を恨めしく見つめる。
 「あ”――……」
 無縁塚から拾ってきた、オンボロの椅子の背もたれに体重をかけた。今にも折れそうな程に背もたれが曲がるが、それが逆に体を伸ばす助けになって非常に気持ちいい。
 けれど心は晴れない。日記帳の一文がリフレインする。
 「わかってんだけどなあ……私は天邪鬼ってことくらい」
 呟きながら体を起こし、私は己の罪を見るかのような表情で、日記の最初の一文を見た。
 正の字の隣に、刻みつけるように書かれた、この日記のタイトル。
 
 『人を助けた回数』
 
 
 
 人生など些細なもので、ましてや妖怪の生、妖生とでも言うのかもしれないものにいたっては、さらに薄弱を極め、もはや風に吹かれて飛ぶどころか、穴が開くやもしれぬ繊細なものだ。恐れが消えれば明日死ぬかもしれないなどという、そんな不確定な恐怖に人間よりも怯えて暮らすその姿は、この私でさえ哀れみを覚えるのに十分すぎた。
 しかし、私も妖怪であるという事実を突き崩すには覚えた哀れみなど何の価値も持たないことに気付くのはそう遅くなかった。一片の真実より一度の驚嘆。たとえ成りたくて成ったわけでもないこの生命であっても、やはり恐怖という食事がない間の空腹は耐え難いものがあるのだ。天邪鬼らしく隣の妖怪を哀れみと称して嘲笑したところで、膨れるのは腹ではなく苛立ちの三文字だけ。そうして嘲笑った者達は、ほぼ例外なく、上手く人間に恐怖を刻み付け食事をとっているのだ。その横で腹を空かせて、愚かにもかつて嘲った者達よりも醜くうごめくのは、これもほぼ例外なく私であったのだった。
 「」
 そのことに気づいて、周りから恐れさせ方を学ぼうと、こっそりと他の妖怪の背をつけてまわり始めたのが、ちょうど一ヶ月前といったところだっただろうか。その間の食事は、後ろをつけていると、私にも最低限ながら食事が来るので、それでなんとか食いつないだ。今思えば、よくもあんな劣悪な食事を文句もつけず食べ続けたものだ。他人のこぼれをもらうなどという、プライドの欠片もない行為で、よくも。そして二週間前、ついに私は学んだ技術を最大限に活かして、人々を恐れさせにいったのだった。
 ――結果は、惨敗だった。私を見た瞬間に人間達は、躊躇無く私に心無い言葉を投げかけてきたのだ。
 曰く、『紛い物の鬼め』と。
 曰く、『汚らしい乞食め』と。
 曰く、『卑しい蛮族め』と。
 私は理解していなかったのだ。なぜ私にも恐怖が、食事が来たのかを。
 彼らは確かに私を見て恐怖していたのだ。しかしそれは、他の妖怪達のような、正体不明への純粋な畏怖ではなかった。
 彼らは、『最低身分で大した力も持たないくせに、平気で人前に顔を出せる無神経さ』に恐怖して、呆れていた。たったそれだけのことだった。
 私は逃げた。もとよりずっと気づかれていて、顔も割れてしまった私は、もうそこで人を驚かせる事なんて、出来る筈もなかった。泣いて、哭いて、それに意味が無いことに、また鳴きながら、私は走った。そうしてその天邪鬼は、姿を消した。
 
 
 新天地の里は、とても平和なところだった。人々は諍いもなく、皆笑顔で、何でも分け合って生きていて、辛いことや難しいことは里のみんなで分かちあっていた。理想郷と呼んでもよかった。
 ただ、一つだけ、この里には問題があった。それは、妖怪の棲家にとても近いということ。
 棲家に近いということは、それだけ襲われる危険性が高いということにつながる。里の人々は自警団を作り、交代で夜の番をしていたものの、それでも月に一人か二人は消えていた。弱い人間達には、その程度に押しとどめるのが限界だった。
 私はその情報を、里に忍び込んで手に入れていた。というより、誘い込まれたようなものだった。門の前から様子を伺おうと首を茂みから出したところ、いきなり私は番兵に見つかって、里に保護されたのだ。どうやら彼らは誰かと勘違いしているらしく、どこの国かもわからない言語で、しきりにサグメサグメと話していた。この国の動詞だろうか。