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学びたい、という意欲が、学ばなければならない、学びのない遊びはクソだと、そんな思考になっていく。

自分に能力がないと謙遜するのはどうだっていいが、それを他人に押し付けるな

でも学ぶためには苦しむ必要がある。それを許容できないというか、言い訳でしか塗りつぶせないというか、意欲といってもそれを許容できるほど大きいものではないというか、苦しみを必要以上に感じているその姿勢が悪いというか。

連携した結果、どうとでも変えられるのが良かったのだ。連携に勝利というメリットを強烈に実感していた。Battlefieldでは、連携した結果のメリットを全然自覚できていない。○○したから勝った、それは自分の功績によるものが大きいのだ、という意識がないと学びにすらならない。

学びなんて後付けだ。 結果を得た時ではなく、それを何かに転化できた時から学びと呼べる。モチベーションを、その起点になる実感を、そのもとになるメリットを、それを得るための行動を知らなければ、そして信じて実行しなければ楽しいとも思えないのだ。

CPU相手なら、その行動とメリット、何より実感を段階的に得ることができる。ランク戦でも同じく実感を覚えるのは簡単だろう。さて、自分よりもほんの少しだけ強い相手というのは、いつもそばにいるものだろうか?

それでも躊躇うことがある。それは、迷惑をかけたくないという心だろう。その対処法はさんざん言われて知っている。迷惑はかけるし、かかるものだ。次にどうすればかからないのか、それさえ知って実行できるならそれでいい。 これはデメリット回避ではない。そのほうがいい、そのほうが勝てるというメリットを得る行為である。

学んでいるからいいやと、
生かさない思考になってないか?