これはよく勘違いされやすいのだが、大図書館の司書全員が、紅魔館で寝泊まりしているわけではない。
比率的には紅魔館で寝泊まりしている者のほうが多いが、人里や森、果ては(初めて聞いた時は耳を疑ったが)妖怪の山で暮らしている者までぃるそうだ。
いや、分かってるわよ。契約して呼び出したわりに、悪魔たちを野放しにしすぎじゃないか、そんなので職務は大丈夫なのかとか。
でもしょうがないじゃない。大図書館のネームバリューを借りたとはいえ、あの頃の私が二十数名も同時に呼び出しただけでも十分でしょう。縛りなんて契約加えられなかったのよ。
幸い本が別の棚に入ってたとか、ボロボロに破けてたなんてことはほとんどないから、図書館としては問題もなかったし。今まで紅魔館に小悪魔関係の苦情が入ったこともなかったし。だからきっかけがなくて小悪魔たちのことを知れなかったのかもしれないが。
で、今回覗くのは紅魔館にいないほうの小悪魔である。
名前はゼン。Zの書庫を任せている、小悪魔の中でもかなり小さい小悪魔だ。
あとは知らない。
やめて。物を投げないで。だって呼び出してすぐ魔力切れでぶっ倒れたのよ私。後で全員分の名前が書かれた紙をC担当から貰わなかったら、きっと名前すらわからなかったわ。だからこうして今知ろうとしてるから。私変わろうとしてるから。許して。大体何でもするから。
そうこうしているうちに、森が見えてきた。
もちろん住処も知らないので、その子が毎回帰っていく方向に向かっているだけである。もしかしたら通り過ぎたかもしれない。行こうか、戻ろうか。悩みはするけど……
しばらくウロウロしていると、がささ、と草の揺れる音が聞こえた。
運がいい、ビンゴだ。すぐに聞き耳を立てて、木の後ろに隠れる。
って隠れる必要はないわ。これは遠見の魔法なのだ。媒体を飛ばす必要が無いように改良してあるし、こちらを見られても絶対バレない。まったく、恥ずかしい真似しちゃったわね。そう思いながらお尻をはたいて……それする必要も無いわ。やば、恥ずっ。
目を閉じたまま机の上でバタバタするのが一番恥ずかしいことに気がついた頃、その影は現れた。
頭に小さな羽根。赤い綺麗な髪。
一応制服として指定している黒いベストと白いシャツと黒いスラックス。
で、妖精ぐらいの背丈。
顔が一致してないから自信ないけど、多分ゼンだ。ちょうどいい、こうして顔をじっくり見る機会なんてなかなか無いし、今のうちに覚えておかねば。
…
……
何この子。めっちゃ可愛い。
女性的に魅力がある、という意味ではない。何と言うか、庇護欲を掻き立てられるというか、ベビーシェマというか。いやそれは失礼か。
あれだ、ショタっ子というやつだ。いや、男か女かも知らないけど。薄っぺらな本で読んだ。内容も薄っぺらだったけど、こんなところで役に立つとは。まずいわ、今度会ったらつい抱きしめてしまいそう。やはりの……内情を知ってよかった。事前に知っておけば対策はいくらでも立てられるもの。知識最強。知恵最高。信じる神は頭の中。
あー、これを見ただけでも遠見を発動させたかいがあるってものだわ。けれどまだ解除はしない。顔と名前、それに特徴も関連して覚えておけば忘れにくいからね。幸いゼンには身長という素晴らしい長所があるけど、それだけじゃまだ紅魔館では埋もれるレベルよ。もうひとつぐらいパンチが欲しいわね。
ところで、この子は一体何をしてるのかしら。さっきからきょろきょろ周りを見回して。誰か探してるのかな?
あ、なんか来た。ん?メイド服の妖精?珍しいわね、こんな朝早くにメイド妖精を見るなんて。
あら、ゼンが笑顔を浮かべたわね。どうやら妖精を探してたみたい。もしかして妖精を紅魔館に連れてってくれるのかしら。だとしたら司書の仕事に加えて妖精を連れてくる甲斐性もあるショタっ子ということになるわね。
ほう。よろしい、ならば賃上げだ。我が大図書館はこまめに成果を加算していく実力主義。課外だろうが業務外だろうが関係ないね。見つけた以上成果は成果。身に覚えのない給料に恐れおののくがいいわ。
いやそもそも理由説明しろって言われても出来ないんだけど。のぞ……観察がバレるのはまずいし。
おっ、ちゃんと手も繋ぐのね。いいわよー、はぐれないための工夫もしている。加点高いわよこれは。でも両手まで繋ぐ必要はないんじゃないかしら。歩けないわよそれ。
あれ?見つめ合い始めたんだけど、何この雰囲気?ちょっと、道案内じゃないの?なんか妖精のほう目を閉じてめっちゃ赤くなってるんだけど、え、これってまさかまさかまさかまさか――
そのまま、唇が重なる。
「は?」
十秒間は経っただろうか。繋いでいた手はいつの間にか互いの背中に回され、二人は抱きしめあいながら、愛を確かめていた。
「……は?」
待て。何だ?私は何を見ているんだ?ゼンを見つけて、メイド妖精も見つけて、そしたら二人がキ……キスを始めて……
え、じゃあ、あの二人。
付き合って……る?
「え、え、えええぇぇぇぇえええ!!!??」
「わっ!ど、どうされましたかパチュリー様!って目を閉じてる?ああ、遠見ですか。びっくりした。お盆ひっくり返すとこでした」
どういう、はぁ!?館内恋愛!?私も確かに知ろうとしなかったけど、こんな事まで起きてたなんて、いや信じられ、ええぇ!?
「あれ?パチュリー様、私に気づいてますかー?パーチュリーさまー。んー、ダメみたいですね。そんなに面白いものを見たんでしょうか」
ま、まあ恋愛禁止とか一言も言ってないし縛ったこともないから別に自由にやればいいとは思うけどいやいやメイドは盲点だったし別に今度からも平常心で接することぐらい多分出来るけどそれでもかなり衝撃的ねもう忘れられないわよこれ。『小さなゼン』から『恋愛のゼン』に超進化よ。クローバーが月下美人に変わるレベルよ。
まじか、主より早く彼女作るのかお前。主より早くキス体験かお前。別に悔しくなんてないけどいやそれでも……
「なら私も見せてもらいましょうかねー。お盆を置いてー。魔法陣のここをこうしてっと。で、手を当ててー。目を閉じれば私にも見えてくるはずー。……え?え、え?うわぁ……」
……ぐっ!遠見中止!これ以上見てたら、私の乙女が崩れる!過去百年彼氏無しの私の尊厳が消える!その前に!
「解除!」
脳内のイメージを少しずつ消し、ゆっくりと目を開ける。こんなに動揺しても私の無意識はしっかり働いているようで、急に視点が変わることによる遠見酔いをしないためのマニュアルをきちんとこなしていく。
そして帰ってくる、いつもの図書館の風景。
「……ふー。」
そこで気を抜くと帰ってくる、さっきの光景。
やばいやばい。酔ってないけどめまいが。軽く記憶処理すべきかしら。でも目的は達成したしなあ。
「わわ、っとと。お疲れ様です!はい、どうぞコーヒーです!」
「ああ、ありがと、コア……」
『恋愛のゼン』だけ残して忘れようかと考えていると、いつの間にかそばにいた私の側近(自称)の小悪魔が、熱々のコーヒーを手渡してきた。ああ、ちょうどいいわね。水が飲みたかったところなの。……ん?
「いたの、コア」
「あー!やっぱり気づいてなかったんですね!酷いです!」
「ごめんなさい。魔法を使うとやっぱり周りが気にならなくなるわ」
「それ本読む時も言ってましたよね!」
「じゃあいつも周りを気にしてないわ、私」
「パチュリー様の生活は読書と魔法の二択なんですか!?」
わあわあと騒ぐコアを適当になだめていると、視界の端に遠見の魔法陣が入った。
くそっ、やっぱりお父様が関わる術にはろくな物がないわね。記憶処理で忘れるべきかしら、この魔法。
いややめよう、記憶処理もお父様の魔法だし。それによく考えたらこれを応用すれば眼精疲労なしで本が読めるのだし、もう少し使ってあげまし……
あれ、なんか陣が増えてる?第七円環と副第四円環の間にこんな陣あったっけ。えーと、ここは確かイメージの宛先を決める部分だから、弄られてるってことはつまり。
つまり。
いや、……いや、うん。ないって。ないない。誰かにさっきの覗きを覗かれてたとか、いやいやいや。ないわー。
「ふん。でもいいです、許しますよ。いいものも見れましたし」
ないよなー。うんうん。なんかコアが不穏なこと言ってるけど、関係ないよなー。
「……良いものって何かしら?」
「はっはっはー、やだなあパチュリー様。ご想像のとおりですよー」
ないよなー。本当にさー。凄い天真爛漫な笑顔向けられてんだけどなー。悪意0%っぽいのにさー。
「覗きだなんて、いい趣味してますよねパチュリー様!」
ないわー……。