「だー……りー……」
春過ぎて、夏来にけらし、だが梅雨の雨。
たとえ悪魔の館たる紅魔館といえど、湿度という悪魔には勝てやしない。這い寄る湿気は私の体を濡らし、やる気さえも奪っていく。
「なんだよ、梅雨ってよー……貴重な水大盤振る舞いしやがって。雨なんて七日に一回でいーだろーがよ……」
そう思いながら自堕落に、私は紅魔館自慢の紅いカーペットに倒れた。謎加工により冬はぽかぽか、夏はひんやりのこのカーペットの上は、私のお気に入りの場所だ。ああ、立ち上がる気力が消えてゆく……
さて。私の名前は鬼人正邪。恐らくこの世でただ一人の、異変を起こした天邪鬼だ。それゆえ少し前まで追われていたのだが、最近はそれも下火だ。
何故かだって?それは私が今紅魔館にいるのと関係がある。
私は逃亡中、この館の主の妹、フランドール・スカーレットと仲良くなってしまったのだ。
何ゆえかはわからない。けれど周りからは逃亡者が世界最高峰の殺し屋とタッグを組んだかのように見えたらしく、追跡は取り下げられた。
だから私はもう往来を堂々と歩けるし、風雨を凌ぐものに困ることも無い。世界をひっくり返しかけた天邪鬼の結末は、ハッピーエンドで幕を閉じた。
……そこまでだったら私も万々歳だったんだがな。まさか『クレイジーカルテット』なるモノを作るなんてこと、誰が予想するものか……
「ちょっと、こんなところで寝そべらないでよ。踏み殺すわよ」
「あぁ?」
突然、私の顔に黒色のタイツが迫る。私は力を振り絞り紙一重で避けた。もはや慣れたもんだ。
「何だ、お前か。いーだろ、ここのカーペットは特別なんだ。誰にも邪魔させるか」
「あんたが邪魔なのよ、動きなさい」
そう言いながら私を踏むために狙いをつける黒タイツ。どうでもいいが、寝そべった人の前で足を上げるなよ。パンツ丸見えだぞ。
「だからどうした、起きろ」
「えっ、口に出てたか……ぐえっ」
無慈悲にも腹に刺さる踏みつけ。最近鍛えた腹筋がなければ危なかった……っておい、やめろ、足をねじ込むな。さすがにお前の全体重入ったら腹筋でも無理だから。
「おっ、きっ、ろっ、ての」
「ぐっ、ふっ、てめ、テンポよく体重込めてんじゃねえよ!」
あっ、でもこいつ軽いな。また痩せたのかよ。これならいけそうな気がする。
「7/8拍子踏み。ててててい、てい、てててててててい」
「ごぶぉ!それお前のテーマじゃねえだろーがぁ!」
さて、ことある事に鋭い攻撃を入れるこの踏みつけ女の名は封獣ぬえ。黒ワンピースに黒タイツ、右手に蛇と少々危ない格好をしているが、幻想郷的にはまだ普通の分類だ。それでいて私の友……ゆ……あぁクソ、良い情報提供者だ。そして『クレイジーカルテット』の一員でもある。
クレイジーカルテットとは、フランドールを筆頭とした集団の名だ。主に人々の依頼を受け持っている。メンバーはフラン、ぬえ、そして参加した覚えのない私。……それと死神が一人。いや、あいつはいいや。
ちなみに今私がここにいるのも、その集団の会合のためである。まあ会合とは名ばかりで、実際はほとんど遊んでいるだけだが。
……遊んでいるだけなんだ。うん。何度か彼岸を見たけれど。
さて、そんなクレカルメンバーの一員であるぬえは今、荷物満載の段ボールを運んでいる。ダンボールに書かれているのは『天地有用』『天国と地獄』『天網恢恢疎にして漏らさず』などなど。
「……何してんだ、お前」
「あら、聞いてなかったのかしら?」
「ずっと床と暮らしてたからな」
「そんなに好きなら一体化させてあげましょうか?」
ぬえはダンボールを片手に持ち替え、もう片方の手でおもむろに黒雲からトライデントを取り出した。朝研いだばかりの品物らしく、刃先はランプを反射してオレンジに光っている。
「ウェイウェイウェイ、ストップ。わーったよ、起きるから。よっ……とっ、と」
腹筋に力を入れ、上体起こし。あっ、やべえ踏みつけが案外効いてたっぽい。倒れようとする体に素早く腕をつっかえる。
「……寝ててもいいのよ。置き去りにするけど」
「させるかよ。って、置き去り?お前ら、フラン置いてどっか行くのか?」
そのまま腕に力を込めて立ち上がる。ここの床は常に完璧に掃除されているため、払う必要は無い。
でも硬いのに変わりはない。私は首をこきこきと鳴らした。
「ほんとーに何も聞いてなかったのね。大ホールに魔界への道を開くのよ、今から」
「ああ、なんだ室内から繋げて行くのか。なら納得だ」
体を大きく伸ばし、軽い運動をして血を巡らせる。出かけるんなら準備しなきゃな。特に魔界となると何がいるかな………………
………………えっ。魔界?
「はぁ。顔洗ってらっしゃい、もうすぐ開くから急いでね。」
ぬえはそう言って、ダンボールを両手で持ち直し、またどこかへ消えた。
ひとり残された私は、事の重大性を受けきれずに、ただそこに立ち尽くすしかなかったのだった。
続く。
「え、えっ、いや、あの……はぁ!?魔界ィッ!?」