人が死んだ。
「危ないところだったな」
「誰だこいつ?」
どこよりも安全な場所だった、EDFの基地内で。
「大丈夫か。お前は民間人だな。来い、武器をやる」
一つの命が、呆気なく潰えた。
壁に身を隠し、曲がり角の向こうを見渡す。敵がいない事を確認し、男は部下たちを指定した位置につかせる。
二人は角を曲がってすぐにある部屋の中へ、一人は男の背中側へ。
一人は、男と、その背中側に回った部下の間へ。
全員が位置についたのを見て、男は壁の消火栓の扉を薄く開け、非常用電話から受話器を引っ張り出し、コードを打ち込んで通話を試みる。
一度のコールも挟むことなく、はっきりとした声でそれは応えた。
『不明な理由により、そのコードは使用できません』
男は軽く歯軋りし、次のコードを打ち込み始める。自動音声が流れる。次へ。次へ。そのどれもが、同じ様な結果だった。
もう疑いようはない。彼等の小隊は遭難していた。
彼らの基地、第二の故郷とも言える場所、ベース228の中で。
「やはり連絡はつかない。独自に脱出するしかないようだ」
「……」
「我々の機器は正常だったみたいですね。地上に出ても安心です」
受話器を戻し、扉を閉じる。部下とは別の方向へ向け、銃を構え直す。
ベース228は地下を本拠地とする基地だ。ビークルやコンバットフレームが通路を通ることを想定し、静音性や振動吸収性を重視した大型の造りになっている。
だが今や、その全てが裏目に出ていた。助けを呼ぶのは難しく、聴覚や振動知覚も頼れない。《《巨大な怪物》》から、確実に逃げられる通路もない。
とどめに遠距離無線の不通だ。もはやこの小隊には、ほんの僅かな非常用ランプと、ヘルメットに内蔵されたレーダーを頼りに戦う事しかできなかった。暗示されたその事実に、自然と口数が減っていく。それに抗うようにか、口が滑る。
「……民間人。本当に、武器を持つのか。間近で人死にを見た後だろう。お前、咄嗟に撃てるのか」
「レンジャー1-2!」
男が嗜める。レンジャー1-2の心配はもっともだった。現在ベース228の内部は、突如現れた謎の怪物によって荒らされている。無線が切られているため、正体、総数、侵入方法、そのどれもについて情報が足りない。この状況下、下手に
「……それにしても、こんな通路の脇に武器庫なんてあったんですね」
「ここは地上倉庫へのアクセスインターフェースだ。地上の倉庫とやり取りする機能だけを持った、次世代型の倉庫らしい」
「なるほど、初めて聞きました。軍曹はどこで聞いたんですか?」
「……」
「整備士と話して知った。まだテスト段階と言っていたから、動けば……」
いいが、と言い切る前に角の部屋の扉が開いた。一人は台車を転がしながら、もう一人は武器を構え、台車の後ろを守りながら出てくる。台車には中身が印字された白い箱が二つ乗っている。
「どうだ?」
「ヘルメットはありました。武器も。ただ……」
「殆どの倉庫にアクセスできなかった。集められた武器はレイピアって銃と、フェンリルとかいう変な銃だけだ」
「そうか。だが、他の武器を探す時間はない。民間人、難しいかもしれないが、慣れてくれ」
「……」
間に立った一人、ピンク色のダンサー衣装を着た彼女が、コクリと頷く。そしてトットッと歩き出し、一度左右を確認してから振り返ると、台車の持ち手に手を添えた。
「……あとは、自分で運びます。皆さんは、的の準備を……」
「分かった。レンジャー隊、先の大広間にて準備しろ。二分以内に配置を済ませてくれ。俺は周囲を警戒する」
「二分!? ちょっと早くねえか?」
「了解しました。間に合わない時間じゃない、急ぐぞ」
「的はあそこだ!」
軍曹の部下三人が、大広間へと走り出す。もちろん警戒は怠らず、左右にバラけ、角を確認した後に的を取りに行く。その後ろをゆっくりと軍曹と台車がついていく。大広間はまだ電源が生きているのだろう、天井の光が彼等と、部屋に鎮座する巨大なクレーンを煌々と照らしていた。ゴロゴロと台車が進む。
「民間人」
「何ですか」
「前に出るなよ。戦場では敵を倒すことより、生き残ることが優先だ」
「……大丈夫ですよ。そんな度胸、民間人にはありません」
「ならいい」
そう言ったきり、軍曹は銃を構えて、警戒の仕事に戻る。
的の準備ができるまで、それきり二人の間に会話は無かった。
ヘルメットを合わせ、指示のとおりに初期設定を進める。
軍曹の言葉は明瞭で、淀みなく現状が整理され、解説がなされていく。怪物。孤立。護衛。自衛。武器。使用方法。ブースト。そして、最後の一つ。
「残るは……それか」
箱から取り出した武器はなんともゴツく、銃身は円錐の底面を張り合わせたものを突き刺したような形をしている。そんな見た目でも、ウイングダイバーの銃だ。手に持ったそれは、発泡スチロールでも担いだかのように軽かった。
そのため彼が銃口を向けた通路は、その壁が非常用ランプで赤く照らされていることを除いて、特に変わった様子はない。それでも、警戒する理由はあった。男の脳裏に記憶がよぎる。見たこともない怪物。噛まれている見学スタッフ。壁に空いた大穴。一歩も動かない、民間人。
「それに乗って脱出できませんか?」
「基地への地上からの攻撃ポイントにならないよう、いくつかの安全装置がついているそうだ。残念だが、身の安全を保証できない」
「
「……軍曹。民間人に武器はいいですが、教えられるんですか? ウイングダイバーの武器は、我々レンジャーとは全く別に見えますが」
それでも警戒する理由はあった。男の脳裏に記憶がよぎる。見たこともない怪物。噛まれている見学スタッフ。壁に空いた大穴。一歩も動かない、民間人。
「……」
独断で撃ち始めた弾は、一人の民間人の命を救った。しかしそれは今だけの話だ。無線が絶たれた今、他に何匹怪物がいるか分からず、そもそも怪物の正体もわからない。何としても地上に出て無線を回復させるのが最優先だった。何と、しても。
「軍曹。彼女は大丈夫なんですか? 間近で人が死ぬさまを見た後です。武器を撃てるとは思えません」
「大丈夫だ。そうだろう、民間人」
街から山を挟み、谷を超えて十五分。トンネル無し。
世界有数の軍事組織、EDFの基地のうちの一つ。
ベース228は現在――深刻な問題を抱えていた。
「……やはり通じません。非常用電話も駄目とは……」
「そうか」
戦略的侵攻である。突然現れた生物兵器により、通信系統は壊滅。多数の兵士が地下に取り残されることになり、228は本来の強さを発揮できないでいた。地下施設をメインに活動していた代償を大いに食らってしまったのだ。
「
「本当に大丈夫なのか、彼女は」
薄暗い部屋の中、男は管理パネルを操作しながら呟いた。
ここはベース228。世界規模の軍事組織、EDFの所有する軍事基地の一つだ。街から山をいくつか越えたところにあるこの基地は、奇妙なほどに最新型の設備が整っている。耐久性、効率性、取り回しの良さ、etc。どこから見ても一級品のその技術群は、こんな片田舎にあることが信じられない程だ。
「軍曹が武器を持たせるって言ったんだ。問題ねえよ」
同じく倉庫にいたもう一人の男が、銃を構えながら言う。ちょうど最初の男の背中を守る恰好だ。何が来てもいいよう、臨戦態勢を保っていた。
やがてパネルに目当ての装備群が表示される。対象兵科は『ウイングダイバー』。現在倉庫にあるその兵科の装備種と数の情報が一斉にまとめられ、パネル上に浮かび上がった。
「そうじゃなくてな……ち、運が無い。倉庫はほぼ壊滅だ」
「なんだと? くそっ、早過ぎるだろ」
「残った倉庫にあるのは、D兵装と……何だ、これ?」
「何でもいい。向こうで決めればいいんだ、全部一個ずつ持っていこうぜ」
「そうするか」
パネルを操作し、装備を選択。決定を押すと、選択した装備がガラスの向こうで一つの箱へと詰められていく。やがて搬出口から出てきた無機質な直方体が、コンベアに乗って自動的に台車へと運ばれていく。仕事を終えたコンベアが止まったのを確認し、男が台車の持ち手をしっかりと握った。
「よし、確保した。軍曹のところへ戻ろう」
「暴発させんなよ。何が引き金か分かったもんじゃない」
「そこまで俺達とかけ離れた武器じゃないさ。お前こそ、しっかり護衛してくれよ」
「分かってるよ」
ドアを開け、半身を隠しながらもう一人の男が左右を確認する。228の通路は広い。見通しがいいため、待ち伏せられているならすぐに分かるだろう。敵がいないことを確認すると、もう一人の男はハンドサインを出しながら、大広間へと走っていった。ドアを蹴り閉め、台車がその後を追う。ふと、ドアが閉まる音に振り向いた。ドアの上のパネルは、回転する非常灯で時折赤く照らされている。
『地上武器倉庫アクセスインターフェース』。パネルの文字は、入った時とただの一文字も変わらない。そんな当然の事を前にして、男の足は一瞬止まった。
「おい、1-4! 設営は終わってるみたいだ、急ぐぞ!」
「早いな! さすがだ!」
そしてすぐに歩き出す。一歩踏み出すごとに忘れていく。ふと浮かんだ考えは、尊敬や焦りや台車の音に掻き消されていった。
「レンジャー1-4! 戻りました!」
大広間はまだ生きている照明が煌々と照らしていて、今が非常事態である事を
「レンジャー1-3もだ。んで、どうだ? 民間人の特訓はよ」
「