どうか、そこに■■があるように――
振り上げた鍬が狙いを外れ、コンクリから火花を抽出した日の事だった。
疲れているのだろう、二日ほど休みをやるよ、だから今日は帰っていいよ、と優しい対応をさせてしまった日の午後だった。
「……何しようかな」
少しはみ出た藁葺の屋根が、縁側への日差しをせっせと和らげている。
それを存分に浴びんがため、私は縁側に寝転び、そしてひとりごちた。
明日2日ならともかく、急に空いてしまった元予定、現休日。何か埋め合わせがあるはずもなく、かといって大人しく休むなど性に合わない。何をしたものかと考えながら、ごろりと半回転し手を伸ばす。
指のかかる先は、座敷の小さな箪笥。そこから手帳とペンを引っ張り出し、何の気なしに線を引く。直線、曲線、破線を編み込み、文字を綴る。紙は瞬く間にやりたいことリストで埋められた。その実現可能性は別として。
坂を下った先、商店街の入り口。エリザさんの所で接客。
集合住宅の一室、サマカミさんで冶金と調合。
数少ない友人クロウを迎えに行く。そのまま公開中の劇場へ引きずる。
ダンジョン表層での魔物観察業務。
リストに連ねてロードマップを並べ、そしてペンを叩いて先をしまう。ものの五分とかからず描いた道筋は、一つの決断を残して止まった。すなわち、どこへ行くか。
「って言っても、一つか」
ペンを叩き、そのうちの一つに丸をつける。その勢いに導かれるように立ち上がり、リビングの共用ホワイトボードと向き合う。『土砂崩れに気をつける』『衛兵 10:00 - 18:00』『第三本棚 新刊アリ』。その下のスペースに一筆したためた。
エリザさんは午後休。
サマカミさんは礼拝堂。
ダンジョンは救命設備の準備が面倒。
だから、彼には犠牲になってもらう。奴の仕事後シャワーを待つのもそれなりに面倒だが、家にいるよりは退屈するまい。リビングに放置された80Lのリュックから財布やポーチや鍵だけを取り出し、懐へ仕舞う。ドアノブに手を掛けたところで、ふと玄関の窓に目をやった。
「……? 鹿かしら」
ガラスの向こうの景色は、ほとんどが山だ。道やら他の住宅やらは、この視点からは谷の下である。だから視線など感じるべくもない。あるとすれば山の野生生物くらいだろう。適当に結論付け、家を後にする。
そもそも、農地でバイトをするただの人間に、視線を感じる能力が育つ理由がない。誰へともなく行った言い訳は、その事実を終わったものとして忘れるには十分だった。ペダルを踏み込む。
「ってことがあってね」
「忘れてないじゃん」
ビッグトップの中、ステージの照り返しで仄かに明るい観客席。それでも分かるくらいに苦笑を浮かべ、私の友達がこちらを見ていた。
普段なら犬やピクニッカーや自転車が交錯する、芝生とレンガ畳に覆われた大広場。その場所は今や、巨大な天幕が夜を引き連れていた。その内側を沿うように置かれた観客席。その二つに私達は座っている。何だか、思っていた劇場と違った。
「なにせ初めてのことだもの。昔空き巣が入ったときも、視線は感じなかったわ」
「そりゃあ、空き巣だからね。あなたが居たら居る巣だよ」
「むしろ私が視線を送ったわね。それで警察に通報したの。丘の上まで今から来てねって」
演目は奇妙なものだ。
がしゃん、と音がしてステージの照明が消える。やがてそこに一筋の光が見えたかと思うと、それは渦を巻き円を描き、見慣れた一つのロゴになった。CMだ。
「それで捕まったの?」
「もちろん。まずは私が、ついで空き巣が」
「何で一回捕まったの」
「案外、アドリブ力がある空き巣でね。通報したのは俺だ、そいつが空き巣なんだって言い出して。あり得ない話じゃないでしょ? だから二人揃って、持ち物検査を受けることになったのよ」
ロゴの光が散るように掻き消えると、ステージの照明が一つだけ明かりを取り戻す。その中心には、人影が一つあった。背丈は子供のようで、それが腕を振るうたび、周囲の暗闇が払われる。暗闇に光の爪痕が付き、ついでその痕の間に光が差す。まるで筆で光を塗っているようだった。
「へえ、凄いわね」
「おお……どうなってるんだろう」
「照明に仕込みがあるんでしょうね。昨日まで骨組みも無かったのに、よくこんな凝ったものの用意が間に合ったわね」
「……でも、照明を操作している人は居ないみたいだよ」
「上に居ないの? なら、うまく線を伝わせてるのかしら」
「
できればそこで話を切らないで欲しいかな。気になるよ」
「クロウ。私達は劇場を見に来たのよ。私の小粋で小洒落でウィットに富んだトークは後でもできるわ」
「
ただ変なことがあって、この話は口外無用って言われたのよね。しかもその後、家の中を隅まで確認しても、何も盗まれてなかったのよ。怖い話だわ」
「そうだね。その口外無用を平然と話せるあなたが一番怖いよ」