「あら。一人?」

部屋の壁際、丁度窓の光が一切当たらないように位置角度が計算された場所。そこでずっしりと確かな存在感を放つ安楽椅子は、一人の天邪鬼に蹂躙されている。

「あぁ? ……んだ、テメーか。遅刻の女王様をこんな時間に見るたあな。明日は薙刀か」

足を組み、頬杖を突き、ふてぶてしく歯噛みしながら書類を読み込んでいたそいつは、ぎょろりと目玉だけをこちらに向け、そしてすぐに紙中へ戻す。荷物をソファに投げつけ、その書類を後ろから覗き込んでみる。

「見慣れないわね」
「昨日押収したブツの検査結果だ。あのクソ河童、紅魔館にも地霊殿にも入りたくねぇからって私の塒にぶち込みやがった」
「命蓮寺は?」
「一番無理だろうよ」

そう言って、天邪鬼――鬼人正邪は、その書類の一箇所を指さした。物体の作用。強制的な催淫。

「へえ。意外ね、幻想郷にもそんなのがあるなんて」
「全く順当だ。こっちが実験記録だが、効かねぇ動物は一匹も居なかったときた」

しゃら、と音を立てページが捲られる。それは整然と纏められた画像と文のセットだった。画像は結果ごとに一枚だけ添えられており、皆一様に頬を紅潮させ、眠たげな目をしている。中には見知った顔もあった。

「よく天狗に見つからなかったわね」
「効果が長くないからな。一時の気の迷いって程度だ。だが効きは抜群だ、植物に至っちゃ虫媒花が風媒花になった」
「バイオテロじゃない?」

画像には、見たこともない色の煙を吹き出す花の写真もあった。見ているだけで目が霞むような思いだ。目頭を押さえ、滲む涙を拭う。ハンカチで手を拭った頃には、もう天邪鬼は書類を最初のページに戻していた。

「だから扱い倦ねて……私の元ってわけだ。クソが」

そのままふわりと下投げで、書類をダンボールに投げ入れる。入ったのを確認し天邪鬼は項垂れた。机へと無造作に髪が投げ出される。そのうちの目立つ赤色の髪の先に、一つの瓶がある。ふっと持ち上げ、底面を覗き込む。底は二重になっており、そのガラスの中には文字が浮かんでいた。『Love Potion』。

「これだけ効き目が強いなら、人間には渡せない。妖怪の組織に渡せば被害が大き過ぎる。自力保管は危険。だから、孤立無援のあんたが一番ってわけね」
「……ここは……まぁ、組織じゃねぇか」

一瞬の後、天邪鬼はため息混じりにそう呟いた。声は嗄れ小さくなっていき、代わりに規則正しい呼吸が聞こえ始める。完全に寝る態勢だった。わざとらしいほどに。

「気づけなかったのかしら。相当疲れてるのね」

チッ、と私にだけ聞こえる程度に舌を打つ。

「……兎に角、誰にも見つからねえように……気を張って、ここまで来たんだ。欲を言えば……フランドールに記憶ごとぶっ壊してもらうのが一番、だったが……お前でも、いい」

のろのろと机の下から手を伸ばし、ぴっ、と私が摘んだ瓶を指差す。手はそのまま力なく机へと墜落し、ぺとんと音を立てて着陸する。また少し、さっきよりも長い間のあと、天邪鬼から言葉が絞り出される。

「やるよ。種付けて、魔界の極地にでも埋めといてくれ……私は少し、寝る」

それが最後の力だったのだろう、ついに天邪鬼は応答を取り止めた。頰をつついても何も返ってこない。諦めてソファに腰掛け瓶を眺める。六角柱の真ん中を膨らませたようなガラスに、なみなみと入った桃色の液体。それが同じくガラスの栓で塞がれている。
栓には三桁のダイヤルロックが、これもまたガラスで作られて一体化している。ロックは中まで丸見えだ。それは開ける相手を選ぶというより、単なる強固な栓として機能させるためのようだった。

書類が入った段ボールを漁る。この瓶が本当に研究書類の液体なのか怪しい。そもそも、押収したときはもっと多かったはずだ。残りは研究に使ったのか、それにしては使い過ぎだ、そう思いながら箱をひっくり返すと、一枚の紙がひらりと落ちてくる。折りたたみの部分に引っかかっていたのだろう。手に取り、裏面を見る。

『千倍濃縮にしました。持ち運びに便利ですね』

表面を見る。それは倍々に濃縮した際の実験記録だ。二倍、四倍、八倍。それらの結果が実線で繋がれ、更に十六倍より先の予想が破線で描かれている。さらさらと読むと、十六倍の記録も一つだけあった。
『効果が強力になりすぎた。もはや兵器である』という文言の横に、薄桃一色に塗り潰された画像が貼ってある。よく見れば、その中心には木の枝が置いてあった。それに満開の花がくっついて、そこから桃色の霧が吹き出している。何が起きたかはすぐに想像がついた。そして、この小瓶の危険性も。

「……」

ここの机は木製だ。もちろん生木ではないにせよ、万一垂らせばどうなる かは予想できる。徐ろに立ち上がり、戸棚の方へ向かう。確か鍵をかけられる箱があったはずだ。二人が来るまでそれに仕舞っておこう。そうして、天邪鬼の横を通り過ぎた瞬間だった。

「……いややっぱソファでね゛っ」

急に立ち上がった天邪鬼が、目を伏せたままソファへ、私の方へ向かってくる。瓶に気を向けていた私は反応が遅れ、それにぶつかる。取り落とした瓶が机に落ちた。カチリ、という音が聞こえる。

「あっ」

「おっ!? お前、どういうつもりだ!」
「外に……逃がすわけ、無いでしょ。紅魔館に迷惑がかかるわ」
「イカれ妖怪が……!」

「くっ……あ……じゃ、どうすんだよ……これ。どうせ……そのうち、あいつら来るぞ」
「実験記録は……そんなに、保たないって書いてたわ。……つまり、生物なら分解できるってこと」

「全部取り込んで……分解する。……それまでソファにでも寝てなさい」

「間に合わなかったら……困るのは、私もだ」

「ダメ」
「……んだよ」

「……ダメ。二人だと……私が、無理」

「……煩ぇ。時間優先だ」

v2、生成可能解毒付き