「――なるほど、事情はわかりました。納得は行かないけど……」
 卓袱台の上においたお茶をすする。
 互いの説明が済み、化け猫の橙は苦い顔で頷いた。
 納得行かなくてもおかしくはない。自らの主、八雲藍にスキマに入り込んだ外来人に事情を聞くよう言われ、聞いてみれば絵の具一本探していたら迷いこんだというのだ。あまりにもあんまりな理由である。
 「それでそれで!」
 「そして風が止み……私は見たのよ!赤く染まる雲、急激に白んでゆく空。そして瞬間、さながら世界に一筋の亀裂を入れるかのごとき光!すぐにわかったわ、これが伝説の、ハーフムーンの夜明けなのだってね!」
 しかもよくよく聞けばスキマに入る前から異空間に居て、さらにその異空間には自分から入ったという。
 「で、それを描いたのがこの絵なのよ。私としてはまだまだ、その凄さを50%も伝えきれてないと思うけど。でも、雰囲気は完璧に再現したわ!」
 「うわぁー……!きれい!まるで飴細工のピエスモンテみたい!おいしそう……!」
 おまけにちょっと前からこのマヨヒガに住み着いている謎のピンク玉、カービィとは同郷の友人だという。
 「分かってもらえて何よりッス。というわけで、ここで買えるッスかね?赤絵の具」
 極めつけに、その話を同じくカービィと同郷らしいこの謎生物から聞いているという。
 橙は信じたくなかった。ただでさえあのピンク玉のせいで食べ物が二倍必要になり、藍様に頼らないと足りないところまで来ているのだ。もう財布を見ながら痛々しい笑顔を浮かべる藍様は見たくないし、紫様に土下座する藍様もあまり目撃したいものではない。二匹目の謎生物なんて認めたくなかった。
 だから橙はコレをぬいぐるみだと思うことにした。
 幻想郷ならぬいぐるみが動く程度、別に珍しくはない。人形に付喪神、河童や赤科学者のカラクリと動く手段はいくらでもある。
 しかしこのぬいぐるみは外来人の持ち物だ。つまりは外の世界の存在である。外の世界はいつの間に幻想を模倣するほどのカラクリを作り上げたのか。今だ見ぬ外の未知に、橙は震えあがるばかりだった。
 正直納得よりも先に混乱が来ていたものの、橙はなんとか混乱のまま冷静に受け止める。そして自分に負える案件ではないと判断し、外来人に見えないように緊急用の式神通信機に手を掛ける。
 しかし、あとはボタンを押すだけ、というところで思いとどまった。
 ……本当にこのまま通報していいのだろうか?話を聞くだけとはいえ、この仕事は藍様から直々に『本当、人手足りないからホント助けて』と頼まれた仕事だ。それを軽々しく突き返して良いのか。
 藍様は常々、私に『信用しろ、信頼するな』と言っている。ここで藍様に仕事を返すのは、藍様なら何とかしてくれるという『信頼』ではないか。
 そう思い直し、通信機をしまった。更に情報を引き出すため、口を開く。 
 「買えますけど……幻想郷のお金持ってますか?」
 「ここの?ジェムリンゴやデデンやGやハルトマニーじゃないんスか?」
 バリエーションが多い。そしてただの一つも、橙の聞き覚えのある通貨はなかった。
 橙は口を回しながら考える。
 一体プププランドとは何なのか?日本語が通じ、外の世界より進んだ科学力で出来たぬいぐるみ、変なピンク玉、そしてバラバラの通貨。もしかして、幻想郷のような場所は珍しくないのだろうか。
 いや、そんなはずはない。珍しくないなら、ここまで幻想郷が賑わうはずがない。だとすれば、やはり外の世界のどこか、となるが……
 「違いますよ。『厘』『銭』それと『円』です。りんごじゃ払えませんよ」
 「えっ!……あー、そりゃそうッスか。ちょっと下や上に行くだけでもGやハルトマニーに変わるッスもんね。異世界なら全然別でもおかしくないッス」
 上?下?不穏な単語ばかりだ。外の世界が地下や地上を開拓しているのは知っているが、高度で使う貨幣が違うなどという仕組みは聞いたことがない。
 そこまで考えた橙は、あることを思いついた。プププランド。たくさんの貨幣と上下という言葉。そして貨幣の一つ、ジェムリンゴ。そのすべての点がつながる、乾坤一擲の考え方。
 
 そうか、彼ら彼女らはプププランドという名の闇カジノで育った子なのだ。
 そこでは上の階や下の階に行くごとに、通貨が違う。賢いやり方だ。闇カジノでは賭ける金額はすぐに跳ね上がる。通貨を変えればわざわざ大量のお金を持ち歩く必要はないし、お金を消費しているという感覚が薄くなり沼にハマりがちになる。さらにお金ではないから上からもとやかく言われない。その通貨のうちの一つが丨ジェムリンゴ《食えない禁果》だなんて、なんて皮肉な名前だろうか。
 そしてワドルディはそこで働くぬいぐるみ改めカラクリ奴隷。きっとプププランドでは彼らが量産され、人の代わりに無給で働かされているのだ。となると同郷であるカービィもそのカラクリである可能性が高い。エンゲル係数をぶち上げていくだけの憎いやつだと思っていたが、それもプロトタイプのカラクリだからと考えると今度からは少し優しくしてやろうという気になる。
 そしてこの闇カジノの最も悪どいところは、何も知らぬ子供すらそこに引き込んでいるということか。アドレーヌはおそらく幼少期からプププランドにいて、ここが楽園だ、天国だと信じこまされていたのだ。絶対に外に逃がさないように、外は異世界だから出られないという嘘までついて。
 だが彼女は外に興味があった。それは想像を絵に映し出すほどに。だから赤絵の具――血糊を買うという任務を受け、監視の目が緩んだ瞬間を狙って異世界の手前の廊下を見に来た。その名前こそ『異空間』。そしてその名前つながりと最近の空間の不安定による奇跡のコラボレーションにより、今に至る。全ての点が繋がる、完璧な推理だった。
 
 しかしそれはあまりにも残酷な真実だ。だから橙はそ知らぬふりをしつつ、彼ら彼女らがここで新生活を楽しむように仕向けることを決めた。
 同時に橙は考えたからだ。
 藍様は、理由なく急にこんな複雑な過去を背負った人間たちを連れてくる人ではない。これはそんな人間たちにどう対処するかという、式と私の性能を試す抜き打ちテストなのだと。
 もちろん実際は藍の疲労によるミスなのだが、橙はそんなことは知る由もなかった。
 「異世界……とはちょっと違うけれど。まあいいわ。とにかく幻想郷にしばらくいるつもりなら、ある程度の両替はいたします。やりますか?」
 「おお、願ってもない!やるッス!」
 ワドルディがごそごそすると、布袋がどこからか取り出される。明らかに収納箇所なんてなかったが、橙はもはやその程度では驚きもしなかい。お茶を卓袱台の端に寄せる。
 「とりあえず三千デデンと、二十ジェムリンゴッス」
 空いたスペースに広げられたのは、三十枚の金貨と、二十個の宝石の塊。
 「……」
 橙がデデン金貨を一つつまみ上げる。
 重い。幻想郷によくある六文銭よりも明らかに。そして堂々とした輝き。触っているふりをして爪を立てると、あっさり爪跡がつくこの柔さ。これは本物の金だと断定するのに、そう時間はかからなかった。
 「うーん、これだけじゃ価値はわからないですね。千デデンあったら何が買えますか?」
 「そうッスねえ、パピー・ポッティが三十デデン、ステーキ弁当が三百デデン」
 「いや、パピーポッティって何よ」
 「プププランドではやった本ッス。ああ、それとオイラが十デデンッスね」
 「なるほど。……間違いないわね」
 ワドルディはお金で取引されている。その事実が橙の推理を裏付け、さらに勘違いを加速させる。いや、この件に関してだけは勘違いでも何でもない本当の人身売買なのだが。
 「つまり三千あれば、三日は生きられると。なら五十銭ってとこですが……一円にしておきましょう。色々危ないですし」
 「やったー!ありがとうございますッス!」
 ワドルディはもらった一円玉を頭に掲げ、無邪気に喜んでいる。
 本当はデデンをそのまま金として売ればその百倍は固いのだが、あまりお金とお金の価値をずらすのは良くない。金貨はいずれ彼らが帰るときに土産として二十枚ほど返しておこうと心に誓いつつ、橙は三十枚のデデン金貨が入った袋を受け取った。
 「次にりんごですが……あれ?十五個だっけ?」
 「え?二十個出して……カービィさん」
 ワドルディが睨む先には、膨らんだカービィの姿があった。具体的には、リンゴ5つ分くらい。
 「ちょっ」
 橙が止めようと手を伸ばすが、時すでに遅し、カービィの体が元に戻る。
 しばらくの沈黙。
 「……もしかして、お昼ごはんとかじゃなかった」
 「そうッスよ!何勝手に食べてるんスか!」
 「食べられるのは前提なの!?」
 橙は驚きつつも、再び頭を回す。
 なるほど、貨幣と食糧を直結させ、カジノで戦わなければ食えないようにしてカジノの正当性を確保したというわけか。古代ローマでは、塩で給料が支払われることがあったという。食べられるものが貨幣なのは何もおかしくない。
 前提の思考が完全におかしいことに気がつくには、橙はまだ若い。
 「え、そりゃリンゴッスし……もー、次は気をつけてくださいッスよ。カービィさんは無尽蔵に食べるんスから」
 「あはは、ごめんごめん。代わりに何か作るから許して」
 「作るって……一体どうやって?」
 現在、冷蔵庫の中身はゼロ。扉を開ければ新鮮な冷気が楽しめる状態だ。そんな状態で何を作るのか。山菜でも取りに行くのだろうか。でもそれを知ってるなら今までだって取りに行ってくれたって……
 思考が逸れていく橙に、カービィはきょとんとした顔で言う。
 「え?ああ、見せたことないっけ。橙、コック帽持ってきて」
 「ないよそんなの」
 「えっ。じゃあフライパンでいいや」
 「……あったっけなあ。探すけども」
 僅かな間は、記憶を思い返すためではない。疑念だった。
 コック帽にフライパン。どうやらカービィは、作るところから始めるらしい。これを止めるべきか否か。カラクリ奴隷たる彼ないし彼女が、無から料理を作る。物凄く、嫌な予感がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 戦いにお金は賭けません