「ところで、マヨヒガってどこだ?」
「えっ」
山を登り始めて二十分。途中全く誰にも出くわさなかったことに違和感を感じながら進んでいた一輪は、こころのその言葉に絶句した。
「あんた、今なんて?」
「いや、だからマヨヒガはどこかと」
「知らずに来たの!?」
「そういうわけではない。大体の場所は聞いていた」
「誰からよ」
「ぬえ」
一輪は絶望した。
封獣ぬえ。命蓮寺ぶっちぎりの問題児だ。もともと騙りの妖怪だから仕方ないとはいえ、この妖怪、幻想郷でも類を見ない嘘つきなのである。
それでも聖と出会ってから丸くなった方だとマミゾウが言っていたが、命蓮寺の八十%は信じていない。
何せ常に何かしらのイタズラをしていて、しかもそれは命蓮寺メンバーでも容赦ないのだ。最後まで信じようとした一輪も、麺つゆ・醤油入れ替え事件により手の平を返した。それほどの極悪人(一輪主観)だ。
「地図も貰ったぞ、ほら」
「どうせまた偽物でしょうに」
こころが懐から畳まれた紙を取り出した。一輪が受け取り、四つ折りの紙を丁寧に開く。
「な?」
こころは疑うなんて良くないぞ、と言った目で一輪を見ていた。純粋な目だ。恐らくこころからは本当に地図に見えているのだろう。
「これ種ついてるだけの写経用紙じゃない」
こんなただの紙切れが。
「マジか一太郎」
「マジに言ってるわよ、ほら」
一輪が紙の裏の隅に付いていた■を剥がすと、紙の文字がじわりと滲み始めた。そしてそれが中央に集まり、ほろほろと崩れていく。代わりに浮き上がったのは、大きく描かれた『残念!』の文字と、墨で手書きされたぬえの似顔絵だった。
「うわぁ……」
「無駄にハイセンスな仕掛けまでつけて、何がしたいのよあいつ……」
「きれいだ」
「呑気か。私達はこれで出戻り確定したのよ?もっと怒ってもいいのよ、こういう時は」
「なるほど、こういう時は怒りか。メモメモ。」
「その筆、玉砂利よ」
「なんと!」
一輪は筆の見た目をした物から■をちぎりとった。筆の形が一瞬伸び、反動で縮んだかと思いきや、すぐさま石の姿へと変わる。
「凄いな、全く分からなかったぞ。どうやって見分けているのだ?」
「コツがあるのよ。どんなに変化しても、動きだけは元と同じだからね。」
「動き?」
「そう、動きよ。例えば地図ならあんなペラペラした柔らかな動きはしないし、鉛筆だったら――」
一輪は玉砂利を持ち上げ、大きく振りかぶって投げた。誰の音もしない山に、コーンと高らかに音が響く。
一輪が振り向いて言う。
「――こんな風に、真っ直ぐ飛んだりしないでしょ?」
「八つ当たり入ってないか?」
めちゃめちゃいいフォームでした。
「気のせいよ。仏教徒たる私が八つ当たりだなんて、そんな」
「そうか。じゃあ、あれは純然たる偶然なんだな」
こころが石の飛んでいった方向を指さす。
「え?何が――って、ああーっ!」
一輪は青ざめた。
振り返ってまず目に入ったのは、ボロボロの体の猫。ついで、その額に当たったさっきの玉砂利。
「ふにゃあ……緊急……じ…た…ガクッ」
命蓮寺のお得意様、化け猫の橙は、その額に鮮血をほとばしらせ、今まさに地面に崩れ落ちつつあった。
「ちぇぇぇぇぇーーーん!」