忘れてないよ

 思い返す。
 遠見を組んだ日。

 思い返す。
 小悪魔に抱きついた日。

 思い返す。
 自立魔力を消した日。

 うん、消えてる。良し、うまく行ってた。躱して撃ってで精一杯で、ちゃんと倒したか微妙に自信なかったのよね。走馬灯は優秀だな。今度魔法で作ってみようかな。

 さて、これが見えてるという事はだ。いよいよ私は死んでしまったのだろうか? 覚悟してなかったわけじゃないけど、いざそう考えると胸の奥が冷たくなるような感じがしたので火魔法。
 でも、死ぬにしては相応の理由がないのよね。あの時の痛みは頭痛と筋肉痛くらいしかなかったし、あとはちょっと程度に差があるだけであくまで気分が悪かっただけだし。流石にこれで死ぬほど病弱になってたら本棚の角で小指ぶつけただけで死にそうじゃん。私はそんな奴知らないぞ。
 つまりは、単に気絶してるだけだろう。それだけなのに走馬灯が見えるという事実が弱さと呼ばれる気もしたが、裏を返せばこの先何百年もしないとできない体験を今できたわけだからこれは幸運であり、それに伴って事実は強さとなるから私の勝利だ。知ってる知ってる。そんな魔女なら私知ってるわ。

 そうなると、これで三度目の気絶になるのね。筋肉痛で一つ、手が砕けて二つ、自立魔力と撃ち合って三つ。その合間に覗きとか見舞いとか上映会とか挟んでたわけで。そう思えば今日は凄まじく濃い一日だったらしい。実感は湧かないけど。
 だって私、気絶してたし。私が考えて動いた実時間は十時間も無いだろうから、むしろ短い気すらする。せめて気絶の度にこうやって何か考えていたならより実感も湧いて魔法の研究も進んだだろうにどうしてそうなってないのかしら。この世に全能の神がいるならちゃんとこういう魔女のフォローもできるようにきちんと他にも仕事を割り振ってほしいわね。貴方は一人じゃないのよ、八百万的に。

 ……もしかして、忘れてるだけ?
 気絶から起きるたびに、全部忘れてるだけで。
 本当は色々考えてたのかしら?

 あれ、それってつまり。
 この暗闇が気絶のせいだとするなら。
 今考えてることって、このあと全部忘れるってこと?

 ……

  ……

 ……まあ、前もそうだからって、今回もそうとは限らないし。これはあくまで推量。推測の三レベルは下にある『起きたら良いな』程度のことだ。
 それに仮に忘れるとて、どうせ起きるまで暇だもの。何せここには何もない。気絶なら気絶らしく、夢でもあれば現実で出来ない実験ができるのにな。どうも、私は夢を見るのが苦手らしい。研究対象か。
 まあ、本が無ければ研究も何もないのだ。だったら出来ることは考えることだけ。とりあえずさっき魔法で作った火を床に置いて。議題は、そうだな。インの情報の整理でもしましょうか。

 Y担当、イン。銀の河に落ちて以来銀髪になった、普通の小悪魔。魔術の「痕跡」をびっしり纏っても気付かれなかった、「認識歪曲」と「自立魔力」憑きの図書館司書。

 疑問点はこの三つ。痕跡、歪曲、自立魔力ね。焦らずゆっくり一つずつ見ていくか。

 まずは痕跡。これは簡単に説明がつく。銀の河とはすなわち、『水銀』の河だったのだろう。水銀そのものの魔法的価値もそこそこあるけど、河ともなれば別の問題が起きる。極稀だけど、同じく水銀が主成分の赤い石、『賢者の石』が流れてる可能性があるのよね。人為的に純度を上げた賢者の石には敵わないけど、天然のこの石だって十分魔法の触媒になる。
 そこへ落ちてくる、魔法が使える生命体。慣れない状況によるパニック、側には優秀な触媒。意図しない魔法の暴発が起きても何もおかしくない。

《u》仮説.暴発の後遺症が残りました。《/u》
 まあ、ありえない話じゃないわね。死ななかっただけ運がいいくらいだわ。

 そして度重なる暴発により、淀む魔力。これが固まったとすれば、自立魔力にも理論が付く。だが三つ、ひっかかる点がある。

 一点目。変換効率が足りない。
 自立魔力は特級レベルの大魔法の失敗、略して大失敗だ。一歩間違えば大魔法が発動するほど、魔力が精製されていたという意味である。水銀の河に入ってる一個二個の石じゃ、魔力への変換効率が全然足りない。まさか三日三晩溺れてたり、石が数万個沈んでたりしたわけないだろうし。

 ただ、これは説明可能だ。『私物』である。魔界とは魔界神の作った、いうなれば大きな部屋であるため、時々魔界神の私物がそのへんに置かれていることがある。
 その私物が「掃除」に巻き込まれて河へ。齟齬は無いわね。そんな実例を何冊か保有している以上、納得行かざるを得ないし。魔界神側からも「無くしちゃったならしょうがないわ。また作ればいいもの」っていう神託が降りた記録があるし。

《u》仮説.インが出会ったのは魔界の天然賢者の石ではなく、神工賢者の石、神工石だった。《/u》
 まあ、魔界も魔界神が作ったんだから、厳密には両方神工だけれど。

 二点目。魔力の絶対量が足りない。
 触媒が良かった、という話ではない。どれだけ優秀な触媒といえど、それ単体で何が起こせるわけではない。触媒は魔力生産工場ではなく、変換促進装置。つまり、魔力自体は全てインの物なのである。インがどれほど隠れた秀才であっても、あれを作れるほどの魔力量を持つなら、私の耳に入らないわけがないじゃ……

 ……いや、入らない理由はあるな。歪曲だ。日頃張ってる防御魔法は一切合切貫通。ちょっと上級なディゾルブスペルを体全体に纏って、ようやく数分受け止め切ったあの魔法なら、噂にならなくとも不思議じゃない。というかそうか、何かすぐディゾルブスペル消えたなって思ったらそのせいか。そんな予想も立てさせないなんて本当にとんでもない威力だったのね。本当、勝てて良かったな。

《u》仮説.インは隠れた秀才だった。《/u》

 三点目。パニックの中で作ったにしては、威力が高すぎる。
 私が小悪魔を雇い始めて七十年程度。その最初から居るコアが、インは最初から銀髪だった体で話していた。つまり、自立魔力も七十年間使い古していたということになる。
 自立魔力は所詮魔力。七十年はおろか、五年も経てば周囲の魔素に分解されて土に帰るのが通例である。そんな奴が私のディゾルブスペルを一つ使い潰し、二つ目とは真っ向から撃ち合ったというのだ。なんかおかしい。
 おまけに、あれにセットされていたのは攻撃魔法ではない。歪曲魔法だ。本来変化などさせられない魔法を、直接魔力に絡めて塊にし撃ってきていた。これまた魔力消費が恐ろしくかかる方法である。直接では効かないと見るや方法を変える柔軟さ。かと思えば、消費を気にせず全力を出す大胆さ。あの自立魔力は異様に優秀だった。正直、インが困っていなければもっと育ててやりたかったほどだ。ちょっとインに育成のコツを聞いてみましょう。

 《u》仮説.インはブリーダーの才があった。《/u》

 ――隠れた秀才かつ、ブリーダーの才を眠らせていたイン。ある日彼女は河に落ち、神工石との邂逅を果たす。
 パニックの彼女。不完全な魔法。彼女の魔力は石を通して次々精製されるも、それが形を持つことはなく。やがて辺りに満ちた魔力は淀み、自立魔力を生み出す。
 生まれた自立魔力に対し、彼女は藁にもすがる思いで《《歪曲魔法》》を与え……

 ……?

 いや、おかしい。普通ここは河から上がる浮遊魔法とかじゃないの? いくら現実を捻じ曲げたところで、河に沈んだ自分は変わりないぞ。
 けれど、ここで歪曲魔法を与えなければ成立しない。自立魔力は魔法を与えた相手に服従する。魔法を与えなければ、それは主ではないとして何処かへ離れていく。そして離れるまでの時間は、確か昔やったときは長くて十秒弱。インの自立魔力は確かにインに服従していたから、魔法を与えたのはインのはずなのだけれど。
 それに自立魔力ができたということは、幾ら才があろうと本人の魔力はもうカラッ欠のはず。唯一その自分を助けられる自立魔力に対し、歪曲なんて与えてしまえばいよいよ助かる見込みは消え去る。自立魔力は後から与えた魔法を変更する事はできないのだから。変更できるんなら研究者も増えただろう。

 ……何か、大きく見落としているような? 見落とし自体はたくさんあるだろうけどさ。ブリーダーの才も、隠れた秀才も、神工石も暴発も全部仮説なんだし。嘘に立脚するなら全ては真実だ、っていうのは誰が言ってたっけ。ああ、アリスか。

 
 ……待てよ。神工石は仮説か? 私が気絶で済んだのは、自立魔力との撃ち合いに勝ったからだけど。勝った理由として、《《どこかで見たことのある動きだったから》》っていうのが大きい。
 見た事があったから余裕があったし、不意打ちすらも完璧に防げた。もしもあの自立魔力が賢者の石から生まれた魔法であったなら、既視感に説明がついてしまう。私は賢者の石を良く使ってるし、それより、何段階か上であっても、賢者の石、魔界神の石、私の遥か上を行く最上級の石なら……

 ……

 ……

 ……

 ……ふぅ。ちょっと納得しちゃったし、この件はこの辺にしときましょう。
 それより、あと一つを考えよう。歪曲魔法についてだ。異常な強制力と、明らかな「普通になりたい」という意思が入っている謎。訊けば分かることかもだけど、まだ起きないみたいだし。暇つぶしに自分の答えを用意してみるか。

 まず、自立魔力の証言ね。「この者の願いし普遍、叶えることを誓う」だったか。
 うん、溺れたやつの願望じゃないわ。最初から普遍を叶えるつもりで落ちたんだ。よし、おしまい。

 ……

 ……

 ……いけないいけない。気を抜くと石のことを考えてしまう。続けないと。えっと、インは落ちたときはパニック状態じゃなく、普遍を願う為に落ちて冷静だったと。
 じゃあ魔術の痕跡って何だ。パニックじゃないなら暴発はなく、したがって痕跡は残らない。こんな時こそ状態検査だが、あれは魔法メインでデータが揃っているから魔術に効くかは怪しい。私自身の知識でも、魔法じゃなくて魔術、しかも痕跡だけじゃ元々の効果は分からない。魔術ってまだ文書に残ってないような魔法の総称なのよ。動かない大図書館に聞くのは酷ってもんよ。
 じゃあ、やっぱり訊くのが一番ね……

 ……

 ……

 ……3.
141592653589793238462643383279502884197169399375105820974944592307816406286208998628034825342117


 願望は混ざり合う。
 自分の上を見たことに恍惚とする心。
 それで蕩けた顔を見せたくない一抹の乙女。
 思考を数字で上書きする口。

「067982148086513282306647093844609550582231725359408128481117450284102701938521105559644622948954930381964428810975665933」
「……むにゃ……ん、っ!? パチュリーが壊れてる! 何もしてないのに!」
「これはいけません! フランドール様、もう一度! 魔力を私に!」
「良いですとも!」
「何かしてるじゃないの。じゃなくて、落ち着きなさい。起きただけ……よね? 凄い顔だけど」
「72458700660631558817488ィ……520920962829 25409171536ゥゥ……!」

 
 願望は混ざり合う。
 どう転んでも、乙女は死んでいた。