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今の私は、もう映す場所はない。
切り口を作れない。
そう規定しているのは、自分だから、まだ見つかっていないだけで、探せばまだまだあることなんて知っている。
探すよりも、何かを取り入れてそれを切ったほうが早く見つかることは分かってる、
深く、深く潜って、探しに向かって、見つかったものを切ったほうが、何より共感を得られる?
それはわからない。うまくいけば、そうなる。自分だけの色が見つかる。
けれど、何かに移したほうが安心で、受け入れられやすい。
それを踏み越えていった物が称えられるのではない。
踏み越え、まとめあげ、説明できたものが称えられるのだ。
私は慣れているだろうか。
いくつも自分を切ってきた。
でも回数の問題じゃない。

繋がらぬ幻想に価値はない。
けれど、ただ繋げるだけでいいわけじゃない。
そのまま出された「わからない」は恐ろしいものだ。
理解ができないことと、底知れないことは近い。
けれど同質ではありえない。

石原慎太郎「男と女は同等であっても、同質ではありえない」