鵺の哭く夜は、外に出てはならない――
正直、私が鳴いてなくても、この幻想郷で夜中に無防備に外に出るような奴は幻想郷検定三級以下である。朝になったら引越し通知が置かれていることだろう。何一つ荷物が移動していない家に。
満月照らす人里に、
見るもおぞましき異形の影。
それは六つの羽を持つ怪鳥。
それは片腕三叉の大怪物。
それは黒く染まった何物か。
その点私は検定二級だ。己の武器たるトライデントをしっかりと持ち、六つの羽は常に戦闘態勢。おまけにすぐ逃げられるよう浮遊移動。これなら誰も襲えまい。ちなみに一級は襲われる前に倒すらしい。そんなことが出来るのは巫女だけだって。
もっとも、最善はやはり、襲われにくい朝になってから動くことなのだが。しかしそれがしたくても出来ないのだ。特に、今日会う相手については。
里の外れの森の中、
すっ、と動きだけが飛んでいく。
夜に紛れる色もなく、
草木に混じる匂いもなく、
風を切るような音すら無く、
ただただまっすぐ飛んでいた。
あらかじめ決めていた場所に到着する。予想通りあちら側はまだ来ていなかった。いつもの事だ。誰より悪戯好きなくせに、誰にも正体を見せないほどに、あいつは臆病なのだから。
いや、臆病だなんて言えないな。私だって昔はそうだった。いつからこうなったのやら。
村紗やマミゾウに会った時?
人間に初めて退治された時?
――それとも、あいつらに会ってから?
近場の岩に座って、夜空を見上げる。
幻想の空を切り取る黄色の目は、三十七万キロの彼方から、私をまっすぐ見下ろしていた。
その満月を遮るように、
それは真っ直ぐ着陸する。
ただただ動いたその影は、
彼女を見つめて口を開いた。
「どうした、見納めか」
「遅かったわね」
待ち人来たり、枯れ尾花。現れた異形は、私には馴染みのある顔だ。
「納めさせるつもりは無いわよ。ここからだけはあれが見えるままにしてほしいわね。」
私は月を指さした。異形は一瞬後ろをのぞき込んだが、すぐにこちらへ向き直る。
「それは我々の仕事が完遂してからでも、私が考えるだろう。今は情報だ」
異形は左腕をこちらに伸ばしてきた。私を急かすように腕を前後させる。
「やれやれ。余裕が無いわね、あんた」
「いよいよ始まるのだからな。あの方の働きがようやく、私の目で見れるのだ。楽しみだろう?」
「まー、その気持ちは今もあるけどね……」
私は懐から巻物を取り出し、異形の腕に載せた。異形は素早く中身を確認し、そして自らの懐へと巻物を消す。
「確かに。前のようにこの星の文字でもない」
「引きずるわね。つい書いちゃったのよ、あんただってきっとそうするわ」
「今の私に合理性の無い言語は必要無い」
そう言って異形は踵を返した。今の隠れ家に帰るのだろう。この世界で隠れるなど意味が無いというのに。そのことは報告に書いてないけど。
「もう行く。次があったら、お前もきちんと隠れておけ」
「むしろ今は種くっつけた方がバレるんだってば。この方がまだマシよ」
「ならば一応は信頼しよう。これからも励め、封獣ぬえ」
「はーいはいっと」
気の抜けた返事に異形は微かに顔を歪め、そして山のほうへと静かに飛びたった。
それを見えなくなるまで見送る。そして向き直り、私の家へと歩を進める。
命蓮寺の朝は早い。もう既に空は白み始めている。早めに戻らないとまた心配されるだろう。私としてはそれはどうでもいいけれど、自由に動けなくなるのはまずい。
「……それに、美味しい朝ごはんを食べ損ねるのも癪だしね」
私はきっと寺の方角を見て、空へ消えていった。