妖怪に対して、人間は覚悟することが多い。
寿命、災害、病魔、殺人、そして中毒。とかく死にやすい人間は、生きるために覚悟をしているのだ。
だから人里に行ってそれを知るのが近道だ、というのがフランドールの弁である。
「さて、里まで来たわけだけど……」
「はぐれたわね」
そして今、私たちは人混みに揉まれている。
どうやら今日は人形と能楽を合体させた新しい演目の試演らしい。誰も見たことないその境地を見に来ようと、今日は立見席までぎゅうぎゅうだ。そんなに急いでいるわけでもないし、何より小柄なメディスンが一瞬で人混みに飲まれたので、探すついでに私達も見ることにした。
ら、全員はぐれた。
「まさか入って三秒でつないだ手が切れるとはね」
メディスンみたいになっちゃだめよ、いいわね――なんて振り返った瞬間だった。いつの間にか右手は空に、左手は空へ。開演前になんとか日傘の下のフランドールだけ見つけたが、他の三人は完璧に見失った。
「ほんとにねぇ。人間の里舐めてたわ。おかげであなたと二人で見られるんだけど」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。別にいつでも見ようって言ったら見に来るわよ?」
……なんですと。
「本当? じゃあ、この演目の公演始まったら見に行きましょうよ。チケットはこっちで用意するからさ」
「それならお願いするわ。あなたとなら、楽しい時間になりそうだし」
そう言ったフランドールの顔がもう悪霊千匹程度ならこの世すべての未練を達成して解脱しそうな美しさで危ない危ない。私が仏教徒じゃなければ成仏してたわ。今私にやついてないわよね?
「……ふふ、ありがとう」
顔に最大限の意識を回して微笑に抑えつつ、何とか礼の言葉を絞りだす。しかし熱は抑えきれず、顔が熱くなっていくのが伝わる。うう、恥ずかしい。
「……最近の人間の流行りはわかんないなぁ」
手を当てて必死に顔を冷ましていると、傘が喋った。何よ、今いいところなのに邪魔するんじゃない。
「日傘は静かにしてなさい」
「私雨傘なんですが……」
傘を持つ手から、小さく抗議の声が聞こえた。けど無視。
彼女の名前は多々良小傘。人里に向かっていた私達を驚かしに来た傘の付喪神だ。知らない仲ではないし、ちょうどフランドール用の傘がなかったので彼女ごと拝借した。フランドールは微妙な顔をしていたが、彼女は誰かに使われるのが幸せなのだと言うと『ああ、咲夜と一緒ね』と納得してくれた。
というわけで、今日の彼女はただの傘持ち当番である。プリーズ、ビー、クワイエット。
「日傘として使われるのはあまり好きじゃないんだけど」
「日の光さえ遮れば何でもいいのよ。ねえ、フランドール」
「まあ、そうね。紫外線が問題なわけじゃないし」
前に聞いたが、その気になれば日焼けだってできるらしい。ただしそれはとある妖精に負けたくなくて必死に克服した結果だとか。こういう小さな下積みがあってこそ彼女はここにいるのだ。ただ可愛く強くかっこいいだけではない。わかるかね?
「ね? わかったら黙って傘をさし続けるのよ」
「うう、役に立ってはいるけどなんか違う〜」
「ん、そろそろ始まるわよ。演目に夢中になって傘をずらさないでね」
「はぁーい……」
ため息をつきつつも、小傘はまったく傘を動かさない。
地味にすごいな。ベビーシッターのためにピッキングを数日で習得したときといい、(実際は鍵をかけない家がほとんどで使わなかったらしいが)実は小傘は強いんじゃないだろうか。まあ、だからなんだという話だけど。
……おっと、笛が鳴り出した。演目が始まったようだ。せっかく見に来たのだし、舞台に集中しましょうか。確かパンフレットによると、この演目のストーリーは……
ある冬の日のこと。西の山の小さな村『空音村』に住んでいた人形師の僕は、桜の樹の下で舞う美しい彼女を見つけた。不思議と引き寄せられるように近づいた僕に、彼女はこう言う。『あなたを愛させてください』。だけど僕の赤錆びた手では、その願いを叶えることはできなかった。人でも神でも妖怪でもない、僕らが辿ったひとつの結末。博麗巫女の日記を元にした、本当みたいな嘘の話。
(先行書籍化版 会場にて販売 五銭)
……へえ、なるほど……こんな表現が……
……これは使えるわね。覚えておきましょう……
……え、えっ? どっちが人間……?
……おお、そういうことなのね……
……ひっ! ……
「これにて試演は終了。二月後の公演にてまたお会いしよう」
舞台に立つのは、左手に扇を構えた秦こころただ一人。ああ、何ということか。それはつまり、あの二人はもう……
いや、そう決めつけるのは早計だ。私は解釈をしたいのではなく、真実を知りたい。……でもなんだかここで書籍を買うのは、経営戦略にハマったみたいで癪だ。公演までネタバレ対策しつつ、ゆっくり待ちましょうか。
でも先に話を知らないとわからないのが能よねえ。これを能って言い張るのも難しいけど。それに身近に天邪鬼がいる限り、どうやってもネタバレは食らいそうだし。うーむ。
「ぬえ? ぬーえー? ダメね、完全に思考にハマってるわ。小傘って言ったかしら、ちょっと運ぶの手伝ってくれない?」
「それなら合点承知! よいしょっと。あ、傘は自分で持ってね」
「一人で運ぶの? ありがとう。じゃあ頼んだわよ」
……よく考えたら悩む必要はないな。天邪鬼を消せばいいのだ。その上で質の良い耳栓でも買えば対策は完璧。寺に篭もればさらに万全。いやそしたらフランドールに会えない。聖から空間系の魔法でも習おうか。
「おー、見っけた見っけた。テメェら随分行儀よくしてたじゃねえか……何だそれ?」
「まだ考えこんでるから、体だけ持ってきたのよ。それより驚いたわね。貴女の方こそ大人しくなんてできないと思ってた」
「ばっきゃろー。こんな素晴らしいもん邪魔するわけないだろ。空音村に赤錆の手だぞ? もう最高じゃねえか」
「わかるわー、いろいろ裏が感じられて面白かった。前回が甘酸っぱい恋の番だっただけに、こういうビターっぽい番も良いよねえ。ぜひこのままビターなまま終わって欲しいけど」
「そうよねそうよね! もう凄かったわ! 人形が操られる劇なんて見るもんかって思ってたけど、全然操られてる感じじゃなかった! まるで人形が人形の意志で動いてるみたいで人形な人形に」
「ああ、うん、みんな楽しんだのはわかったわ。来て良かったわね。小傘、あなたはどうだった?」
「私? うーん、あのセリフが好きだったわ。『愛するのではなく、愛されるのではなく、愛し合いたいのだ』。しかもこれが彼女が人形だとわかったあとに彼が言った言葉だもの。なんというか、強い決意を感じたわ」
「決意……覚悟……んん? 何か忘れてるような……」
……よし、決めた。
「決めたわ、フランドール。私今日から体鍛える」
「おはよう、ぬえ。劇は楽しかった?」
「え? ああ、楽しかったわよ。誰も気づかないような伏線がたくさん入ってて、こだわりが感じられたわ。……ん?」
あれ? いつの間にか全員揃っている。しかもなんで私は小傘に担がれているのだ。それも肩にかけて担ぐって、山賊かあんたは。
「おっと、起きたのね。よいせっと」
ふわっと体が宙に浮いたと思えば、いつの間にか地面に立っている。待て、今のは相当技量か腕力がいるんじゃないか? まさか小傘は本当に強いんじゃないだろうか。今度手合わせしてみよう。
「……ありがとう」
「これぐらいならいいよ。日傘にされるよりかは」
「よっぽど嫌なのね」
「嫌というかなんというか。宝剣で野菜を切るような、打出の小槌で人を殴るような。そう使えるけどそう使うんじゃないような独特の気持ち悪さがちょっと……ねえ、あそこの指名手配犯さんはどうして私を睨んでるの」
「さあ。スプーンでトンネルでも掘ったんじゃない?」
あるいは墓穴でも掘っているのかもしれない。現在進行で。
「何にせよ、もう少しだけ日傘を頼むわ。魔理沙の家に行くまででいいから、ね?」
「むぅ……それならいいか。しばらくよろしく」
渋々といった様子だが、ついてきてくれるらしい。人里と魔理沙の家は道さえ知っていれば意外と近い。だから小傘は普通に承諾したのだろう。
まあ、ダイス次第では行かないんだけど。という言葉は胸の内にしまっておいた。このまま三つぐらい場所を連れ回すのも面白そうだからだ。それもまたダイス次第ではあるが。
「魔理沙……おお、そうだった。おいメディスン、覚悟は決まったかよ?」
「覚悟? ……ああ!」
メディスンはすごく清々しそうな、何かを吹っ切ったような顔をして驚いていた。多分だけど、この場合の吹っ切ったものは記憶よね。ああじゃないんだけど。
「ちょっと待って、達成値70くらいで思い出しそうだから」
「はーいそこをダイスに頼らなーい」
こいしがメディスンの手から五十面ダイスを取り上げる。こいつ思い出す気ないな。
「……あれよ、今考えてる最中よ。向こう行ったら腹を決めるわ!」
「つまり今はノープランと。まあいいか、それなら問題ねえだろ。よっしゃ、次の候補決めるか」
「ふーむ、今回学んだのは人間の覚悟だよね。それなら次は妖怪の覚悟を知るべきよ。竹林で草の根妖怪ネットワークに接触っていうのはどう?」
「いや、せっかく人の覚悟を学んだのだし、今度は自分を変える番だわ。命蓮寺で修行しましょう」
「あえて幽香に会ってみるのもありかな。何だかんだ付き合い長いし」
「待って、何で誰も魔理沙の家を挙げないの? 事情はよく知らないけど、魔理沙に会ったら終わるみたいだし行けばいいじゃん」
丁度いい。天邪鬼、フランドールを除き、綺麗に四つの候補が出揃った。というか、何でだと? そんなの決まってるじゃないか。
「候補は四つね。OK、メディスン。投げなさい」
「行けばいいじゃん! なんでダイスを振る必要があるの!」
小傘がダイスに手を伸ばす。
「「「「楽しいから」」」」
「ポイズンスローインッ!」
だが、それより早くメディスンがダイスを投げる。結局、彼女は何も掴むことはできないのだった。