「――なるほど、事情はわかりました」
 湯呑みの緑茶をすする。
 互いの説明が済み、化け猫の橙はさっきのテンションとは打って変わって、苦い顔で頷いた。
 納得行かなくてもおかしくはない。自らの主、八雲藍にスキマに入り込んだ外来人に事情を聞くよう言われ、聞いてみれば絵の具一本探していたら迷いこんだというのだ。あまりにもあんまりな理由である。
 「それでそれで!」
 「そして風が止み……私は見たのよ!赤く染まる雲、急激に白んでゆく空。そして瞬間、さながら世界に一筋の亀裂を入れるかのごとき光!すぐにわかったわ、これが伝説の、ハーフムーンの夜明けなのだってね!」
 しかもよくよく聞けばスキマに入る前から異空間に居て、さらにその異空間には自分から入ったという。
 「で、それを描いたのがこの絵なのよ。私としてはまだまだ、その凄さを50%も伝えきれてないと思うけど。でも、雰囲気は完璧に再現したわ!」
 「うわぁー……!きれい!まるで飴細工のピエスモンテみたい!おいしそう……!」
 おまけにちょっと前からこのマヨヒガに住み着いている謎のピンク玉、カービィとは同郷の友人だという。
 「分かってもらえて何よりッス。というわけで、ここで買えるッスかね?赤絵の具」
 極めつけは、その話を同じくカービィと同郷らしいこの謎生物から聞いているということだ。橙には到底信じられるものではなかった。
 ――ただし藍と出会っていなければ、だが。
 それにここは幻想郷なのだ。この程度、人妖問わず殺したあの吸血鬼が言った言葉、『暇潰し』には比べるべくもない。橙が苦い顔をしたのは、ただこう考えていたからだった。
 なんで、こんな時に?
 「買えますけど……幻想郷のお金持ってますか?」
 「ここの?ジェムリンゴやデデンやGやハルトマニーじゃないんスか?」
 ワドルディは首を……首……体を無邪気に傾げた。横腹にあたる部位が軽くつぶれる。
 「まあ、そうなりまずよね。いいえ。円、銭、厘です。とりあえずその両替だけしましょうか」
 「おお、願ってもない!やるッス!」
 ワドルディがごそごそすると、布袋がどこからか取り出される。明らかに収納箇所なんてなかったが、札や針や魔法爆弾しかり、幻想郷ならよくあることだ。橙はそのままお茶を卓袱台の端に寄せた。
 「とりあえず三千デデンと、二十ジェムリンゴッス」
 空いたスペースに広げられたのは、三十枚の金貨と、二十個の宝石の塊。
 「……」
 橙はデデン金貨を一つつまみ上げた。
 幻想郷によくある六文銭に比べ、明確なこの重さ。堂々とした輝き。そして触っているふりをして爪を立てると、あっさり爪跡がつくこの柔さ。これは本物の金だと断定するのに、そう時間はかからなかった。
 「うーん、これだけじゃ価値はわからないですね。千デデンあったら何が買えますか?」
 しかしこのまま金として交換するのはまだ早い。通貨価値のズレが大きな問題を生むのは、白澤に聞くよりも明らか。自分から異世界に入れる者たち相手では、なおさら慎重に行かねばならない。橙は耳を澄ませた。
 「そうッスねえ、パピー・ポッティが三十デデン、ステーキ弁当が三百デデン」
 「いや、パピーポッティって何よ」
 「プププランドではやった本ッス。ラムステーキ定食が五百デデン、サンドイッチが一デデン。ああ、それとオイラが十デデンッスね」
 「なるほど。……」
 別に幻想郷に、外来人に過去を聞いてはいけないルールはない。
 紙安すぎない?とか、あなた売られてたんですか?とか、ハリーポッターだろそれとかどんなに不躾な質問をぶつけても、妖怪の彼女を咎める者はほぼいない。
 それでも橙が黙る理由はただ一つ。
 
 次の仕事が押しているからだった。
 
 「つまり三千あれば、五から七日は生きられると。なら一円(二万〜三万)ってとこですが……二円にしておきましょう。色々危ないですし」
 「やったー!ありがとうございますッス!」
 ワドルディはもらった一円玉を頭に掲げ、無邪気に喜んでいる。
 いつもの橙なら本当はデデンをそのまま金として売ればその百倍は固いことを黙っていることに心が痛んだりするのだが、今はそれどころではなかった。こうしている間にも彼女の主は主に紫のせい……まあ今回ばかりは仕方がないが、それでも紫のせいで苦しんでいるのだから。
 だからさっさと終わらせよう。橙は会話を打ち切ることを決めた。
 「さあ、それだけあれば赤絵の具は好きなだけ買えるはずです。残念ながら私は絵の具を売っているところを知りませんが、この山を降りたところにある人里におそらくあると思います。ああそれとカービィさんとワドルディさんはこのタグを首……見えるところにかけておいてください。歓迎はされずとも買いはできるでしょう。それではどうぞ、お出口はあちらです」
 「」