「……大丈夫?」
「問題ありません。裁判を続けて下さい」
 机に頭を叩きつけられた天邪鬼の後ろで、四季はあくまで平静にそう言った。手には悔悟の棒、その文字は『喧騒』。
「ならいいけどさ。じゃ、判決を――」
「まっ、待った!」
 声を遮り、その手を高く掲げる。その主はこいし、ではない。そもそもこいしはいつの間にか消えている。
 何するつもりかしら、メディスン・メランコリー。
「ん? 何?」
「あっ、その……」
「メディスン。私が許したのは傍聴です。弁護人の権限など与えていませんよ」
「う……えっと」
 二人の閻魔に話しかけられ、しどろもどろになった彼女がこちらに目を向ける。細かく瞬きを繰り返す、少し潤んだ目を。
 ……とりあえず止めたとか、対応策を何も考えずに声だけ上げたとかじゃないでしょうね。まさか。
「弁護人? 弁護するようなシステムがあるってことかしら」
 仕方がない。時間を少しだけ稼いでみる。依頼人の望みを叶えるのが私達の仕事だ。けれど、望みが何か分からないなら動きようがない。考えをまとめてくれるだろうか。
「…存在はしています。ですが使われたのは数百年前が最後です。またその制度によって判決が変わったことはほとんどありません」
「変わったのだって、減刑一年とかだよ。遺言が悪字で読み違えられたのが無罪になったんだ」
「加えて閻魔の裁定は絶対です。一度決まればその裁定が覆る事は無い。浄玻璃の鏡がある限り、判断材料が漏れることも隠れることもない。それに、覆して再審理する時間がないという運営的な事情もあります。よって、判決の直前に裁判を止めても意味はありません。よろしいですか?」
 下がった口角を悔悟棒が隠す。静寂が耳朶を打つ。身を焼くような緊張が裁判所に走る。巻き込まれただけの傍聴席の霊ですら、さっきまでの抗議するような上下動を止めていた。
「私はいいわよ」
「分かりました。あなたはどうですか、メディスン」
「私は……」
 そう呟いて、顔を陰らせ俯きまた黙り込む。下唇を噛み、頬を紅潮させる。おい、私の稼いだ時間。
 ただ仕方なくはある。愛する覚悟、生きる覚悟。何を知ったとて、昨日まで彼女はただの野良妖怪だった。場数は踏んでるはずも無し、ましてや突発的な行動の言語化などできるわけがない。何も言えないのが普通なのよ。
 ああ、そうだ。確認しよう。
「うぅ……」
「そんなに本が心配なのかしら?」
「ちっ、違う! ……私は、ただ……!」
 違うのか。
 本の回収なら、パチュリーの本という名目で取ってこれると言いたかったのだけど。違うなら黙っておきましょう。
「ただ、何ですか」
「……」
 

 それでも言葉にできるなら。今日、ただの野良妖怪を辞められるなら。意地を捨て、拘りを無くし、今までの自分を否定するなら。それは自らの定義を失うことだ。単なる正体不明の物体と何一つ変わらない。
 だから、ここで一歩を踏み出せなくても誰も責めはしない。私達が、精神で出来ている妖怪達が変わることなど、正に死ぬほど難しいのだから。
「何も無いなら、話はこれで終わりです。裁判長、どうぞ」
 さすがの四季もこれは待たなかった。閻魔の方へ向き直り、裁判の続きを急かす。メディスンが止めたときから、ただ一振りを待ち続け、未だに上げていたその右腕を下ろすようにと。

 ……。

「そうだね。判決を――」

「……」

「……」

「……」

『やっとちょっと落ち着いたよ。ところで、これは何が起きてるの』

「……」

「……?」

「……どうしましたか。あとは判決を下すだけです」
「うん。今、やってるんだけれど」
 ピキ、ピキと音がする。それは服の上からでもわかるほどに怒張した、右腕の筋肉から鳴っている。僅かですらも左右に振れず、少しずつ、少しずつ下がっていく。
「なるほど。何をしているのですか、古明地こいし」
 四季

「ねえねぇ、裁判長さん」
「あら、金鳳花ちゃん」
「むー、あんまりかわいくない。こいしでいいよ」
「そう? じゃあこいしちゃん。どうしたの、そんなにこそこそして」
 ところで、さっきから後ろが騒がしい。肩越しに覗くと、格式高い机にしがみついたこいしが閻魔の顔を覗き込んで話している。
 視線を戻すと、四季はまっすぐメディスンと向き合っていた。気づいていないように見える。
「本当に時間が無いの? ちょっとのお話の時間も?」
「いや、あるよ。あるからこうやってしきちーもお説教してるの。お仕事早いからね、しきちー」
 ……………ふぅ。
 ここの空気って美味しいわね。つい深呼吸しちゃうわ。
「でも、それでも一時間ちょっと。弁護するなら、情報集め、裁判準備、本番に後始末まであるの。それにしきちーの説得もしなきゃいけない。とても足りないよ」
「ふーん。地獄側の準備に絶対必要なのはどれくらい?」
「そうだね。準備本番後始末で……ちょうど一時間くらいかな。聞くってことは、やっぱり?」
「ふふふ。さあ、どうかしら」
 二人分の薄笑いが後ろから聞こえる。どうやら、そうなる事を期待しているようだ。
 

経験のある裁判長は少ないでしょう」
「ちなみに私は無いよー」
「それに閻魔の判断は絶対です。浄玻璃の鏡がある限り、判断材料が漏れることも隠れることもない。弁護に意味などないのです」

アザミは遺品整理で回収
人間はすぐ死ぬと知っている
判決をひっくり返しても死は死

 ちら、とこいしに目配せする。まさか考え無しに止めたわけじゃないだろう。こいしが首を横に振る。だってそれなら、そこでくたばってる天邪鬼と同レベルだ。擁護したくもない。
「えっと……」
 だからこちらに目をやるな。私も首を横に振る。そんなことをすれば結果は決まっている。フランドールが目を閉じる。――そして目を開き、立ち上がる。
「裁判長。私はこの裁判に異議を唱えるわ」
 フランドールは、見捨ててしまわないのだから。

痛くない、痛くない。
その痛みはすべて嘘。
感覚器官の紛い物。
貴女はまだ動ける。
百徹くらい余裕で行ける。

それは承服しかねる!