「ひゃっ!?あがっ、あああああ!!」
急な変化といきなりの大声に体が反応し、硬直する。おかげで全身が攣ったたたたたた!痛い痛い痛い!ダイヤモンドハードネス失敗した時みたいになってる!全身筋肉カッチカチに固まって張って緊張がががが!駄目、無理!意識!吹き飛ぶ!
「たとえ……なくて……しに!ディゾル……!」
いや、待て!耐えろ私!なんかインが言ってる!大事そうなこと言ってる!なんとか聞き取れ!ここでこのまま気絶したら気絶芸だけが取り柄の最低の主だぞ!私の今までの人生を総動員しろ!耳を、聴覚を、感覚を研ぎ澄ませ!!今ここで!魔女の本気を見せてやれパチュリー・ノーレッジィィィィィ!!!
「……まだけが……願い……かけて……!」
――――――――ッッッ!!
翌日の朝四時。太陽が空に青を落とし、雀が鳴き始め、虫が這い出てくる頃。
爽やかな一陣の風の中、私は汗びっしょりで目を覚ました。
「……」
まだぼんやりとしている頭で魔法式を編み、身体強化で体を起こす。これくらいは体が覚えてるので、無意識下でも使える。
そしてなんの気無しに、ベッドから動こうとして――
「――〜〜〜っっっ!?」
冷や汗と共に、全身を駆け巡る痺れ。慌てて肉体操作でそれを抑えこみ、しばらくうずくまる。って痛った!なにこれ左手カチカチなんだけど!?
何だ、何、えーっと、何これ?罰ゲーム?
痛みとともに、昨日の出来事が走馬灯のように駆け巡る。ああ、そうだった。ディゾルブスペルで倒れて、左手骨折して倒れて、結局私は筋肉痛で三度目の気絶をしたんだ。それで、今のは筋肉痛の後遺症か。
まじか、一日で三回気絶したの私?まるで漫画の主人公みたいな気絶ペースね。強くなるどころか弱体化繰り返してたけど。私はどろろか何かか。今日も見舞いの列は長くなりそうだ。
「……すぅ……すぅ」
で、気絶する前に何か言われてたような。何だっけ、かければいいのか。え、何を?誰に?ふむ、落ち着いて言葉を思い出そう。
『たとえ……なくて……しに!ディゾル……!』
『……まだけが……願い…………かけて……!』
「……ん……」
……うん、なるほど。本気出したわりに全然聞き取れてないじゃないの。馬鹿か私。これだけの情報から何がわかるというのかしら。とりあえず推理はするけども。以下、この会話で新たな固有名詞が出ている可能性は無しとする。
まず、最初の「たとえ」とか「なくて」「しに」は無視しよう。たとえで始まってるということは、ここは無くてもいい部分だ。いわゆる副詞節というものである。学生のみんなはif onlyで覚えましょう。
次に「ディゾル」だけど、これは十中八九「ディゾルブスペル」のことでしょう。ディまでなら解除魔法に結構あるけど、ディゾルで始まる単語なんてそうそう無いし。
で、「まだけが」。これは、イントネーションからして「まだ/けが」じゃなく「ま/だけが」な気がする。つまり「〜ま、それだけが」というわけだ。え、まは何かって?……話の間とか流れ的に、「パチュリー様」かしら。それなら「パチュリー様だけが〜」になる。
「願い」はパスで。「願う」ならまだしも、これは名詞だ。だとしたら主語か目的語だけど、どちらにせよ後の「かけて」と合わない。共々そのままに置いておく。
よって、
『ディゾルブスペル、パチュリー様だけが、願い、かけて』。
「……むにゃ。あ、おはよう、パチュリー……?」
……本当にこれで合ってる?ディゾルブスペルは自分だけで使ってくださいねって意味になるが、今にも意識失いそうな私に対して注意喚起するだけとかある?それに願いの意味もわからないし。肝心なところ聞き逃してないか、これ。
いや、想定外を考えるのは想定外が起きた時だ。まずは想定内を片付けよう。考えろ、願い、この場面での願い。
……直前に言ってた「頼み」から「お願い」?かけることの?もしそうならば、ディゾルブスペルをかけるべきは、私じゃなくて……
「……なるほど。あなたの覚悟、しかと受け取ったわ、イン」
事情はわからないが、やることは決まった。
そうと決まれば、ベッドの上で膝を抱えている場合じゃない。召喚してから七十年、初めて向こうから頼ってきたのだ。身体強化でも肉体強化でも何でも使って、インに会いに行かねば。そう思い魔法式を編む。
あれ?魔法使えるようになってる。全然弱まる様子もないし、もうこのディゾルブスペル三日は解けないんじゃないかって思ってたのに。ちょっとログを見てみましょうか。
そう思い立ち、式を変更して状態検査のものにしていると、視界にもぞもぞと動く金色の髪が入った。
「インじゃないわよ……フランドールよ。……パチュリー、寝ぼけてるのぉ?」
「ん?あら、おはようフラン。……その様子、もしかして」
意識を寝室に戻すと、ようやく私のベッドでフランが寝ていたことに気づいた。椅子からしなだれかかるようにして上半身がベッドに倒れこんでいる。どうも眠気に耐えかねてそのまま眠ってしまったらしい。もしかして、ずっと看病してたの?
「……むぅ。気に入らないわね。せっかく看病してたのに……他の女の名前を出すなんて」
「いや、あなたはどの立場なのよ。看病してくれたのは嬉しいけど。彼女か、彼女枠なのか」
「愛人枠よ……嬉しいわねパチュリーちゃん、一人で四人分よぉ?」
そう言ってフランがスペルを発動した。禁忌『フォーオブアカインド』。魔法の中でもトップクラスに難しい実体分身を、三体も生み出す大魔法だ。それを寝起きで発動して私の手足を固定して一体何をしようとしているのかしらねえフランドールさん?
「ちょ、ちょっと、まだ寝ぼけてるわよねあなた?落ち着いて、起きて、ほら一旦深呼吸して。ね?パチュリーさん捕まえる理由ないよね?」
「ふふ……そう言わないで」
「さあさあ、大人しくしなさい……」
「今度こそ、悪い虫がつかないようにしてあげる……」
「あ、じゃあ私みんなにパチュリー起きたって伝えてくるね」
「ちょっ!待って!最後!起きてたわよねあんただけ!この三人止めてから行ってよ!ねえ!」
「悪いけどそれは聞けないわ。私じゃ私三人には勝てないし。さあみんな、そいつを連れて行きなさい」
「「「イエスマム!」」」
「おい!お前ら本当は全員起きてるだろおぉお!」
叫び虚しく、私はあっという間にどこかへ運ばれていった。
「――パチュリーが気絶してた時の顛末はこんなところね。何か質問はあるかしら?」
「……ないわね。ありがとうフラン、とても分かりやすかったわ」
頭の泡が、ぬるめのシャワーで洗い流される。
どこへ行くのかと身構えていたら、あれよあれよと服を脱がされ、ギプスにタオルと袋を巻かれ、覚悟を決めた瞬間には三人のフランと共に大浴場にいた。
なるほど、確かに来る必要はあった。冷静になってみればだいぶ冷や汗かいてて気持ち悪かったし。緊張疲れもあるから、ここらでリラックスするのも大事なことだ。
それに筋肉痛にはお風呂が効くらしい。温めると血行が良くなり、筋肉痛の原因物質や栄養や酸素が流れるとかなんとか。魔女にそういう科学が効くのか、少し不安ではあるけど。
で、気絶の間だが。
美鈴が泣き崩れ、フランも不安でそわそわしだし、
咲夜は戒名を考え、本物の失敗を知る小悪魔達は魔神に祈りを捧げ、
魔法が失敗した時の後始末だけをよく任されている妖精メイドとホフゴブリンはもうこれ逆に生きるだろうと業務に戻り、
運命が見えるレミィはいつもどおり事務仕事をしていたらしい。
やがて誰かが連れてきた医者が呆れつつも心配することはないと診察し、
それでも心配だったフランドールと美鈴が寝室に残り、
しばらくして門番をこれ以上放棄できなかった美鈴がフランに私を託して戻り、
そして今に至る。
「いいわよ礼なんて。紅魔館で一番暇なのは私なんだから。こういう時くらい頼りなさい」
そう言いながら、左手を支えるフラン。ボディーソープの泡を私の体にふんわり乗せていくフラン。鳥肌立てつつもシャワーヘッドを構えるフラン。こういうのがまさにメイドの仕事ではないのだろうか、と思ったが言わなかった。どの道まだうまく体は動かないのだし、言われるとおり頼ろうじゃないか。
「フラン、あなたときどきレミィに似るわよね……わぷっ!ちょっと、顔にシャワー当てないでよ」
「次言ったら目に当てるわよ」
「場所を指定するとは甘いわね。『ジェリーフィッシュプリンセス下級』」
「あっ!泡でバリアとかせこい!しかも符名省略までして!」
「ふふふ、悔しかったら破ってみなさ待って待ってバリア内にクランベリーの魔法陣置くのやめて」
「気をつけな、目に染みるぜ?」
「染みるじゃ済まないから!」
何だ、AAMBか。AAMBが何かまずかったのか。アンチアンチマジックボムとか書くのめんどくさいだろうなと思って気を利かしたのだが、実は魔界的隠語の類だったりしたのか。Alternative Axis Magic Brigade とか。だとしたら私の知らない魔法につながるわけでそれはそれで嬉しいけど違うか。
「な、ならこれは?見えますか?」
インが万年筆を両手で持ち――何のためらいもなく、へし折る。
「えっ、ちょっ」
待て、何してんの?そんなことしたら中のインクが、紅魔館ご自慢の赤いカーペットに染みこんじゃ……ってない。
中のインクは、折った万年筆と同じ高さにふわふわと浮かんでいる。基礎魔法、物体浮遊だ。液体を浮かせるのは少々難易度が高いのに、サラッとやってのけるなんてこの子やるわね。
……いや、そうじゃなくて。
「何、何してんの?万年筆折るって、そんなストレスたまってた?私か?もしかして私、何かやったの?」
そう言うと、インは目に見えて動揺し始めた。ペンを取り落とし、紙は手から滑り落ち、でもインクは浮遊中。あれ、思ったより浮遊の熟練度高くない?しかしそれにも気づかず、紅潮した頬と潤んだ瞳で俯いて何かをつぶやきはじめる。
「そんな……今になって、どうして?効力切れ?過剰負荷?魔素不足、位相干渉、空間異常、認識災害……いや……そうか、ディゾルブスペル……!だとしたら時間がない――!」
「ね、ねえちょっと、一体どうしたのよ!?」
「パチュリー様!頼みがあります!」
「ひゃい!」
もう一度顔を上げた時には、さっきまでの普通の小悪魔は消えていた。何かを決心した、凛々しい顔付き。かたや我が身は魔法も使えず倒れたままで変な叫び声を上げるのみ。なんなのよこの差は。主あっちだろ。
「な、何かしら?」
「急いで私にディゾルブスペルを打ち込んでください!理由は後で話します!」
「は?うん、うん?でも魔法は……」
「すぐ使えるようになります!その瞬間に撃てるようにお願いします!」
「えーと、はい」
押し切られるままに魔法式を編む。ディゾルブスペルは魔法の効果を消すものなので、まだ発動していない生の魔法式なら編める。
「自力で口を抑える力が残ってるのがほんとに凄いわ。渡しましょうか、私の魔力」
「たっ、…………! のん……だ……」
「おーけい」
フランドールが羽の飾りを二つ外し、私の首に突き刺す。……容赦無くない? 右手に刺してもいいのよ? ……そこそこ痛いんだけど。というか前分けてもらった時はそんな工程無かったわよね? ……やっぱまだ怒ってないか。
「…………すー……はー」
激しい痛みが続く中、とにかく落ち着くための深呼吸。あー、魔力が効くー……
「ふっ」
「!? ごぼっ!」
ちょっ! フランドール! やめっ、そんな勢い良く流し込まないで! 溢れる! 変なとこから溢れちゃうって! あっ、ああっ!
「ふぅ。体が回復するまでにかかる時間を破壊したわ。これで筋肉痛は消えたでしょう……どうしたの」
「…………ふっ。何でもないわ。ありがとうフラン」
意味深なセリフで興味を引きつつ、特に理由はないけれどフランの死角へコンデンスドバブルを運ぶ。そのまま少し黄色く染まったバブルを排水口へシュート。よし。
「ところで、これがあるなら最初からやっても」
「最初からやったら反省しないでしょ?昨日と今日の痛みはぜーんぶ必要経費。きっちり自分の中に落としておきなさい」
「……はい」