その後、ショックで喘息まで誘発した私に美鈴が泣きながら気を使って痛覚を一旦遮断したり、お構いなしに咲夜が喘息の薬入りの昼食を口に突っ込んできたり、それを見たフランが喉につまらないようにと昼食をすかさずペースト状にしたりしてくれたそうだ。
「つまりね、おかげで私は皆と一緒に居る有り難みがわかったのよ」
「良かったわね」
ほかにも小悪魔たちが隣の部屋で緑茶飲んでた医者を連れてきたり、医者と一緒に見舞い順待ちだった小悪魔たちやメイド妖精やホフゴブリンまでもが寝室に入ってきては、瀕死の私を診察する医者を二十人ほどが取り囲むというナニかを想起してしまいそうなシチュエーションになっていたらしい。
「それにね、心配してくれる相手が沢山いるのって、幸せなんだなって思えたし」
「そうね」
ちなみに、左手は粉砕骨折ではなかった。
「何より、カルシウムの大事さが理解できたわ。朝食の牛乳は無駄じゃなかったのね」
「その通りだわ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ええっと、そうよ。要はね、これだけの利点があったのだから、初めから難点ばかりに目を向けるのは気が早いと思うのよ」
「そうよね。特に、誰かを従えるような誇り高き吸血鬼は、そんな些事に囚われるようじゃ困るもの」
……さて。
もう理由付けの残弾は無い。あとはストレートに聞くだけだ。
「だから、そろそろ美鈴の上から退いてあげてもいいと思うのよ」
「やだ」
―――――――――
こんばんは。大図書館のライングデッド、パチュリーです。正しくは十歩ぐらい手前で踏みとどまったが、首以外動かないっていう今の状況を見るなら多分どっこいどっこいだろう。
まあ動かそうとすれば動くけれど。ただ、今動かしたら十年分の筋肉痛 + 医者の説教五時間フリーパスが貰えるらしい。うん。今日は大図書館は休業して、動かないベッドになろう。誰かの今日を笑顔で終わらせる人になろう。私魔女だけど。
だからまずは、この二人の今日を笑顔で終わらせてやりたい。どうしたもんか。
「申し訳ありませんでしたっ……!」
起きるなり目に飛び込んだのは、そう言いながら土下座をしている少女。来歴不明の門番、紅美鈴である。は門番と呼びづらいほどガーデニングに勤しんでいるが、それは私が魔法用に麻薬の栽培を頼んでいるからであって、サボっているわけではないことを記しておく。本当にサボっているときも代理はちゃんと立てていることも。そういう問題ではないけれど。
そしてその上に座るレミィ。贔屓目に見れば微笑ましいかもしれないその光景は、レミィの抱えるグングニル(模造品)によって塵と消える。確か、あれは来客アトラクション用に重さの調節が可能だったはず。ここは三階だからそんな非常識な重さにはしないだろうが、それでも罰として相応にはしているに違いない。床が僅かに悲鳴を上げている。笑顔にする相手が増えたわね。レミィと美鈴と床。
「顔を上げなさいな。私、そもそも怒ってなんかないわよ。ちょっと手が砕けただけじゃない、騒ぐほどでもない」
「駄目よ、パチェ。ここで許すのは優しさじゃないわ。挽回を許されない汚名は辛いものよ」
うーん、まあ、そうか。普段が門番だから、仕事で返してっていうのもお門違いだし。私から何か提案すべきなのか。といっても、魔法の手伝いは間に合ってるしなあ。何か最近困ってることとか……
……あー。
「じゃあ、コア宛に言付けを頼めるかしら? あの子も真面目だから、まだ輝針城にいると思うのよ。『もう切り上げていいわよ』ってだけ、お願い」
「う。……すみません、今日はこの後、妹様との特訓が入ってまして……」
「あら、そう? じゃあどうしようかしら」
それなら仕方ない。私は誰かを職務と責務の板挟みにする趣味はないし、別のことを考えましょう。……ん?
「『との』? 『の』じゃなく?」
「『との』、だ。それなりに賢くなったという事さ」
美鈴の代わりに、上で槍を磨くレミィが答える。
瞬間、ディゾルブスペルの0.1%が消し飛んだ。
「!?」
すわ何事かと身構えようとして、疼痛が体を貫く。あ、あっ、ちょ、やふぁ、いたたたた。でもおかげで冷静になった頭で考えられたからプラスね。
大したことじゃない。この一括の削れ方は多分、ドアの向こうでフランドールが盗み聞きしてるとかだろう。で、レミィの発言に苛ついて怒りと共に魔力を発散したのだ。それにディゾルブスペルが反応して消費した。そんなとこかな。
「特訓、ね」
小さく、か細く、呟いた。でもちょっと弱々しすぎたのか、レミィの表情に心配の色が交じる。その顔でミシミシ床を鳴らすのはやめようか。
これくらいで怒るなど、いつものフランドールではない。おそらくは元から怒っている。思い当たるフシがいくつかあるが、重要なのは美鈴がその彼女と一緒に特訓すること。
……余計な世話、焼くか。
「んー。それなら代わりに、リハビリにつきあってくれないかしら。たぶん三日くらいすればこのディゾルブスペルは解けるんだけど、その後体鍛えようと思ってて。あなたが居てくれたら助かるわ」
主に救護的な意味で。美鈴の気は村一つ焼き払うような大規模なことには向いてないが、こういう生活に役立つことには向いている。倒れたときの応急処置と救急搬送が任せられるのはとても安心だ。一家に一人、紅美鈴。
あとはまあ、主の前での口約束だ。彼女は絶対に破らないだろう。破らせもしないだろう。
「はい! 精一杯務めさせていただきます!」
「ええ、お願いね」
「……」
床の軋みが止まる。レミィも納得したようだ。その安心した顔と裏腹に、全く上から退く様子は無いけど。ちょっと楽しくなってきてないか。
さて、二人と一枚を笑顔にしたところで。
「話はまとまったかな?」
出入り口のドアが、音も立てずに霧散する。そっか、霧だったわね。確かに雲散霧消だもんな。
「遺書の準備は?」
「友達への挨拶は?」
「憤怒の吸血鬼に命を振り捨てて立ち向かう覚悟はOK?」
ドアの霧が消滅していくのを背に、ずらずらと入ってくる四人の同じ顔。レミィの妹、フランドール・スカーレットである。最近暇を持て余して友人と一緒に依頼業を始め、それなりに繁盛しているらしい。その代わり苦情もそれなりにあるそうだが、苦情が無いより健全だからいいと思う。
「フラン。あまり……怪我人の前で騒がしくするな」
「静かに壊した。何が悪いの?」
一人のフランドールが、私に歩み寄る。その前に立ちはだかる、ようやく降りたレミィ。
確かに塵一つ残さず破壊したけど。多分言いたいのはその溢れ出る魔力と妖力のことだろう。ディゾルブスペルって妖力弾けないのな。改善点、改善点。短くレミィがため息をつく。
「隙間風が増えた」
「夏に備えた」
「日本の知恵ね」
まだ弥生だけどさ。
「立ちな、美鈴」
「貴様に力の制御を教える」
「私の気が済むまで、止めないわよ」
「……承知!」
どうやら、残りの三人のフランドールが美鈴と特訓するらしい。いや、もう八つ当たりって表現したほうがいいかな。気が済むまで止めないって理性的なサンドバッグ宣言も同然じゃないか。
それでも美鈴はすっくと立ち上がる。
「それではレミリアお嬢様、行ってまいります。パチュリー様、お大事に」
「……死ぬと思ったら、遠慮なく頼りなさいよ」
「約束、守ってね」
「ありがとうございます」
私達に拱手をして、踵を返してフランドールたちの待つ元ドアの入り口に向かう。彼女の背中はここに来たときより大きく見えたが、そりゃ土下座する妖怪以上の背中の小ささは無いか。
やがて四人の姿が消え、足音も聞こえなくなり、入れ替わりに見舞いの小悪魔が顔を出して。
ディゾルブスペルの1%が削げる。
「フランドールさん?」
部屋に残ったフランドールが椅子を引き出してどっかと座る。
どうした、何処にさっきの10倍怒る要素があったんだ。いや、さっきは四人いたから40倍か。この怒りが伝播する仕様ならあっちは三人で120倍か。元気かな美鈴。
「……何」
ぶっきらぼうな返事が返ってくる。脳内警告、藪蛇。でもここで引いてたらレミィの親友は務まらない。あと美鈴が助からない。下手すれば今来た銀髪の小悪魔も……も? も、ももも。
「えーと。何に怒っているのか、教えてもらえないかしら」
思考が飛びかけたが、何とか言葉を繋いで文を絞り出す。いや、でもこれ少しストレートが過ぎるかな。フォロー入れよう。
「悩みなら一緒に考えるわよ」
「……ふん。パチュリーには一生わかんないよ」
「それでも、話すだけで少し楽になるわ。ゆっくりでいいから」
「……」
腕を組み、姉に流し目をするフランドール。
部屋の唯一の椅子に座られ、所在なげなレミィ。
その二人の後ろから迫る銀髪の小悪魔。
あいつマジか、この状況下で入ってくるって肝が座ってる程度のもんじゃないわよ。妖力はちょっと収まったとはいえ、魔力は未だ5%削ってくるほどに残ってるのに。ああ、でも魔界住みとしてはこれくらい濃いほうがいいのかしら。試しに図書館ももう少し濃くしてみるのもい
待てい。
なんで削れる量増えてんだ。
「そうだわ、パチェ。読みたい本とかある? 図書館から持ってくるぐらいならするわよ」
「……Year Of The Ladybug, Yog-Sothoth Scenario, Yeastan Dream」
「うん。あったら持ってくるわね」
気を使ったのか、退出しようとするレミィにYの本を頼む。さあ、頼んだわよ銀髪の小悪魔。
コアの言うことを信じるなら、彼女こそが探し人―─Y担当、インのはずだ。でも今は申し訳ないけれど構ってる暇がない。この増える魔力の謎と、フランドールの対応で手一杯。だからレミィの方を助けに行ってくれ。
はたして、彼女は花笑みを浮かべ、すぐにくしゃくしゃにして、部屋を出るレミィとすれ違い、目に涙を溜めて私の前で跪いた。
なんで?
ディゾルブスペルが指数関数的に削れる。
なんで。
「……パチュリーって、全然体を大事にしないよね。病弱なのにさ。さっきだって、美鈴にもっと怒ってもいいのに。怒るほどじゃないって、思ったんでしょう」
「ずっと……ずっと待ち侘びておりました。忙しいのは重々承知です。返答はいりません。今、私の言葉を聞いてください」
なんて疑問をぶつけてる場合じゃない。逸れそうになる思考を抑えつけ、二人の言葉を同時に処理する。手一杯を嘘にしろ。なぜ、は後だ。どうする。
「やりたいことをやるのは自由よ。でも、それで不必要に傷つくのは自由じゃ、ない。さっき、悩みは一緒に考えるって言ったわね。お笑いだわ、自分のことは一緒に考えさせないくせに」
「私には『異常を認識させない程度の呪い』がかかっています。例えばこのように助けを求めるような異常事態は、呪いを打ち消さない限り認識することはできません」
言葉を切り離す。意味を噛み締める。フランドールの怒りを、悲しみを。インの苦しみを、願いを。考えろ、考えろ、考えろ。ここで何もできなかったら動かないベッドから動く気がない反発力に格下げだぞ。
「きっと、お姉様も言わないだけで同じ気持ちよ。ねえ、パチュリー。あなたが傷つくのを見るのは、自分が傷つくより辛いの。だから、さ」
「ですが、完全に打ち消せてはいません。削れ方でわかったでしょう、この銀の河の呪いはフランドールさんの魔力より強い。ここを逃せば次があるかは分かりません。一生に一度の願いです」
二人の目が、図らずも同じ瞬間に私を射抜く。
「パチュリー。もっと私達を頼ってよ」
「パチュリー様。どうか私を、殺してください」