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三上章のルール
書きながら取っていく。
まず要素としては主題、述部、補足のみ。
動詞は述部を取りやすく、アスペクト、時間的に見て完了と非完了の二相が存在する。
語彙的アスペクト - Wikipedia
神道・哲学的バック
「つぎつぎとなりゆくいきおひ」
丸山による”今にしか集中しない”日本人の性質を指していった物。
なるようになる。道理よりその場の勢い。
丸山真男「歴史意識の古層」:つぎつぎとなりゆくいきほひ
人=神=身近な存在
言挙げぬ国
神道 - Wikipedia
大和は言挙げせぬ国……、しかし-「令和の時代」の万葉集(17) | nippon.com
「神ながら(かんながら)」の国 | 和のすてき 和の心を感じるメディア
古事記
一文ずつ状態を取ってみる。
臣下の安万侶が申し上げます。
さてスタート。これは臣下の安万呂が話しているという状態。
状態であるため、安万呂→話す、という形を殊更強調することはない。というかむしろ音が聞こえる→話す→安万呂、くらいの形の方が自然大事にの印象からは近い。いやカメラが切り替わるなら、その辺の木材→小屋→音が聞こえる→話す→安万呂、レベルか。……そんな大事なら先に話すが来るのでは? リアルタイムに安万呂が話し始めてるという流れが一応存在するのか?でも申し上げるで完了相なんでもう終わってるぞ。
安万呂という名前の付いた存在が、何をするでもなく既に存在している視覚ファースト。その後に何をしているのか、と続け、単なる存在以上のこちらとのコミュニケーションのインターフェースを開いているという扱い。
これなら安万呂の中に話す機能があるというより、元々どっかにあった話すという窓を通して木材かなんかの存在しない「私」と繋がっているみたいな感じ。となると隠れ構造に「私」が存在する? まあ文章なんだから書いている私とかでどうしたって私は存在するか。
スタートしていきなりだが、日本書紀のほうがいろいろ異説があるらしい。
コカイとしては良さげだが、まあ古事記で始めちゃったのでとりあえずイザナギイザナミくらいまでは頑張る。
日本書紀神代上
宇宙の始まりは混沌としていて、ハッキリとしていませんでした。
既に存在している「宇宙の始まり」について述べ、「混沌とする」で状態・未完成。「はっきりとする」も状態・未完成。「ませんでした」は否定のないと過去助動詞「た」の丁寧な形。
ひとまず敬語や否定は無視。カメラは切り替わり、宇宙となる。状態としては「宇宙の始まり」が全てを支配し、混沌(数)としてはっきりとしない(量)もやもやがそれを覆っている感じ。安万呂からすれば完全に別の物にカメラが切り替わっている。状態をグローバル変数にすればいいとか軽く見てたけどコレカメラ動きすぎてやべえ。この実はすでにあるものにフォーカスする感じって、プログラミング的には未定義変数を呼び出しても平然と動くってことだろ。なんだこれ? 未定義変数も何かしら得たいは知れない、まだ言葉で切り出してないだけの何かなのは間違いない。
ここで記憶を使えばいいのか。「私」の中にある記憶を名前で切り出し、そこから適当なクラスを作る。宇宙なら当然持ってるよなって感じの振る舞い=名前をつけて置く。中まで作りこむ意味はないので実際何か起こった時に実装始めるが。究極動的ディスパッチすぎる。しかもその行動すらも持ってるわけじゃなくて関連してるだけ。ここはchatGPTに任せるのがよさそう。