翌日の朝四時。太陽が空に青を落とし、雀が鳴き始め、虫が這い出てくる頃。
 爽やかな一陣の風の中、私は汗びっしょりで目を覚ました。
 
 「……」
 
 まだぼんやりとしている頭で魔法式を編み、身体強化で体を起こす。これくらいは体が覚えてるので、無意識下でも使える。
 そしてなんの気無しに、ベッドから動こうとして――
 
 「――〜〜〜っっっ!?」
 
 冷や汗と共に、全身を駆け巡る痺れ。慌てて肉体操作でそれを抑えこみ、しばらく膝を抱える。って痛った! 手いった! 何これ左手カッチカチなんですけど!?
 
 何だ、何、えーっと、何これ? 罰ゲーム?
 痛みとともに、昨日の出来事が走馬灯のように駆け巡る。ああ、そうだった。ディゾルブスペルで倒れて、左手骨折して倒れて、それから……
 
 「……夢? ……じゃない」
 
 三日解けないと思ってたディゾルブスペルが解けて、その瞬間に過去最大の大魔法を発動する。夢みたいな、嘘みたいな、誰かから話されたらこっちが気恥ずかしくなってしまいそうな話。
 けど、夢じゃない。だって現に魔法が使えているのだ。手が使えないので思念操作に切り替える。身体強化、痛覚軽減、そして状態検査。ログにはこう書かれていた。
      
 『7:01 ディゾルブスペル上級発動、気絶』
 『13:00 左手を骨折、気絶』
 『19:23 ディゾルブスペル上級終了』
 『19:23 賢者の消石発動』
 『19:24 疲労により意識途絶』
 
 ……まあうん、気絶しすぎだろ。一日三回って食事か何かか。なんかもうログの方が気を使って表現変えてくれてるんだけど。まるで漫画の主人公みたいな気絶ペースね。今日も見舞いの列は長くなりそうだわ。
 
 「……すぅ……すぅ」
 
 それはともかく、間違いなくディゾルブスペルは無くなっている。私は終了のログの詳細を開いた。
 
 『4/12 19:23:33 ディゾルブスペル上級、過剰魔力干渉により凍結、強制終了』
 
 ……ん? 『過剰』? そのまま干渉してないの? この記述を額面通りに受け取るなら、ディゾルブスペルを解くために専用の魔法を編んだとかじゃなく、ただ物量でゴリ押しして処理を追いつかなくさせたことになるが。
 
 「……ん……」
 
 いやいや、そんなことできるはずが無い。今回使ったディゾルブスペルは上級だ。軽く干渉した程度ではすぐ元に戻るため、ゴリ押し作戦をするなら同格の上級魔法を当て続けなければならない。流石にそんなの目の前で発動されたら気づくし、当て続ければ疲労もする。だがインは何ら変わりなく私と話していた。つまり……
 
 「っ、そうだ、インは!」
 「……むにゃ。あ、おはよう、パチュリー……?」
 
 インはどうなった?特大のディゾルブスペルをぶち当てたそこには、何の痕跡も残っていない。まさか、もう。
 最悪の事態が頭をよぎる。だがすぐにそれを否定する。
 さっきのログの中に、私のぶん投げたディゾルブスペル、賢者の消石が終了したという通知はなかった。つまりは消すものがまだ残っている、よってインはまだ生きているのだろう。
 しかしそれは同時に、消石が未だインの何かを消しているということだ。いったい何で食い止めているかは解らないが、いくら私より魔法に優れているとて、そう長くは持つまい。賢者の消石は私の全力をかけた魔法なのだから。急いでインを見つけなければ――
 そう考え、焦ってベッドから降りようとしてようやく、もぞもぞと動く金色の髪の少女を見つける。
 
 「インじゃないわよ……フランドールよ。……パチュリー、寝ぼけてるのぉ?」
 「いやバリバリ起きてる……あら、おはようフラン。その様子、もしかして」
 
 意識を寝室に戻すと、ようやく私のベッドでフランが寝ていたことに気づいた。椅子からしなだれかかるようにして上半身がベッドに倒れこんでいる。どうも眠気に耐えかねてそのまま眠ってしまったらしい。吸血鬼なのにいいのかそれで。
 
 「ふわぁ……そうよう。ずっと看病してたんだから……本当、もう起きないかと……ちょっと思ってた」
 
 そう言いながらフランは体を上にぐいと伸ばし、目頭から涙をこぼした。それは欠伸か、嬉しさか。
 
 「……ごめんなさい。心配かけたわね。ありがとう」
 
 どっちにせよ、悪いことをしてしまった。素直に謝るほかないわね。一連の出来事は全部……大体私のせいだし。
 
 「ふん、いいわ。起きたから許してあげる。ところで、インが心配なのかしら?」
 「そうなのよ! フラン、そこにいたはずの小悪魔を知らない……って、あれ、なんで名前知ってるの?」
 
 最悪の事態が頭をよぎる。小悪魔が素性、知らぬは自分ばかりなりけり。
 ……い、いやいや。いくら何でもそれは無い……よね。だったら私はとんだピエロではないか。聞けば分かることをこんな大事にして全員に迷惑掛けたとか。いやピエロのほうが優しいな。笑えるし。
 
 「何青ざめてるか知らないけど、倒れてた本人に聞いたのよ。名前と自分の状態とね。とりあえず、自分は大丈夫だから次起きるまで安静にしといてって。だからソファまで運んでやったのさ」
 「あっ、あー! うん! そうなの! 良かったわ無事で!」
 
 いやー! 誰も傷ついてないみたいで安心したわー! やっぱ平和が一番よねー! うんうん!
 
 「だいぶ気持ち悪い笑顔よ、パチュリー。そうそう、他にも伝える事があるんだけど」
 「けど?」
 「先にやる事があるのよ」
 
 そう言ってフランがスペルを発動した。禁忌『フォーオブアカインド』。魔法の中でもトップクラスに難しい実体分身を、三体も生み出す大魔法だ。それをいきなり発動して私の手足を固定して一体何をしようとしているのかしらねえフランドールさん?

 「えっ、ちょっ、何」
 「それじゃあ、私は皆にパチュリーが起きたことを伝えてくるわ。お前たち、そいつを連れて行きなさい」
 「「「イエスマム!」」」
 「話がトントン進んでるけど!私は何もわからないんですけど!」
 「大丈夫よ、貴女には必要な事だわ」
 「必要なことなら必要性を説明しましょうよ!そこふわふわさせる意味とかなぁあああ!!」
 
 何処へともなく私は持っていかれ、部屋には私の叫び声だけが残った。
 
 
 
 「――パチュリーが気絶してた時の顛末はこんなところね。何か質問はあるかしら?」
 「……ないわね。ありがとうフラン、とても分かりやすかったわ」
 
 頭の泡が、ぬるめのシャワーで洗い流される。
 どこへ行くのかと身構えていたら、あれよあれよと服を脱がされ、ギプスにタオルと袋を巻かれ、覚悟を決めた瞬間には三人のフランと共に大浴場にいた。
 なるほど、確かに来る必要はあった。インが目を覚ますまで暇だし、冷静になってみればだいぶ冷や汗かいてて気持ち悪かったし。緊張疲れもあるから、ここらでリラックスするのも大事なことだ。
 それに筋肉痛にはお風呂が効くらしい。温めると血行が良くなり、筋肉痛の原因物質や栄養や酸素が流れるとかなんとか。魔女にそういう科学が効くのか、少し不安ではあるけど。
 
 で、気絶の間だが。
 美鈴が泣き崩れ、フランも不安でそわそわしだし、
 咲夜は戒名を考え、本物の失敗を知る小悪魔達は魔神に祈りを捧げ、
 魔法が失敗した時の後始末だけをよく任されている妖精メイドとホフゴブリンはもうこれ逆に生きるだろうと業務に戻り、
 運命が見えるレミィはいつもどおり事務仕事をしていたらしい。
 
 やがて誰かが連れてきた医者が呆れつつも心配することはないと診察し、
 それでも心配だったフランドールと美鈴が寝室に残り、
 しばらくして門番をこれ以上放棄できなかった美鈴がフランに私を託して戻り、
 そして今に至る。
 
 「いいわよ礼なんて。紅魔館で一番暇なのは私なんだから。こういう時くらい頼りなさい」
 
 そう言いながら、ギプスを支えるフラン。ボディーソープの泡を私の体にふんわり乗せていくフラン。鳥肌立てつつもシャワーヘッドを構えるフラン。こういうのがまさにメイドの仕事ではないのだろうか、と思ったが言わなかった。どの道まだうまく体は動かないのだし、言われるとおり頼ろうじゃないか。
 
 「フラン、あなたときどきレミィに似るわよね……わぷっ!ちょっと、顔にシャワー当てないでよ」
 「次言ったら目に直当てするわよ」
 「場所を指定するとは甘いわね。水符」
 「あっ! 泡でバリアとかせこい!」
 「ふふふ、悔しかったら破ってみなさ待って待ってバリア内に魔法陣置くのやめて」
 「気をつけな、目に染みるぜ?」
 「染みるじゃ済まないから!」
 
 わちゃわちゃしながらも体の泡も洗い流し、フラン達と一緒に湯船に浸かる。ついでにスペルを発動。ぬるめのお湯に浸かりながらの日木符『フォトシンセシス』。僅かな魔力を起点に莫大な魔力を作る、核分裂的な回復魔法だ。うーん、極楽極楽。
 
 「それで、これが一番話したかったんだけど、医者から二つ伝言があるのよ」
 「医者から? もう嫌な予感がするわ」
 
 すっごい大胆に言いつけ破ったし。
 
 「一つ目は六時間間隔で三度も呼ばれた恨み言ね。『忠告を守らない患者は一生殺すぞ』って言ってた」
 
 ああ、うん、それは否定の余地もない。でもまあ仕方ないじゃないか。関係をほぼ絶ってて、今更距離を詰めてくる主なんて信頼とかされてないだろうなあとか考えてたら頼みごとされたのよ。そりゃ舞い上がるってもんよ。私が悪いんだけども。ところでそれは一生を殺すという医者なりの心配か、一生かけて殺すという長い拷問宣言か。前者であることを切に祈る。
 
 「素直に反省するわ。もう一つは」
 「『まあもうほとんど死んでるけどな』」
 「えっ」
 
 その瞬間、言葉にならない痛みが体中を走る。例えるなら魂をボールにバスケされているかのような感覚。ドリブルドリブル、トリック一回、守備を抜けて今エースに相対。あっダンクはいった。おおっとそこからサッカーに移り――
 
 「あああぁぁぁぁぁぁぁぐぁああああああぎゅうううう………!!!」
 「……少しなら保たせられるけど、もう筋肉痛の回避はできないから、大人しく覚悟しとけ。っていうのを言おうと思ったんだけど……意外と早かったね。……だいじょうぶ?」
 「がぐぐぇぇああおお……フランドォォォル……まだ、怒って……」
 「確かに怒ってたし、もう一回くらい痛い目に遭えって思ってたけど……十分か。咲夜、アクセル」 
 「仰せのままに」