こんなもんか。服の乱れを整えてっと。
「良いわよ、入って」
そう伝えると、ドアがゆっくり優しく開いた。普段からそうしてくれないかな。喘息+埃だって辛いんだぞ。魔法でどうにでもなるとても。
「霧雨便の到着だぜー。……全快ってわけじゃないんだな」
「あら、……まあ、ほとんど全快よ。魔法には支障がないわ」
一瞬、さっき感じた違和感のことを言っているのかと、鋭いなと感心しかけたが視線で気づいた。治癒魔法で治そうかと思ったが、コストが釣り合わなかった左手だ。一箇所のために魔石一個は躊躇ったって仕方がない。参考までに言うと霧の湖をただの湖に変えるのに必要なのは魔石三個。
「本当か? それじゃあ左手で本が読めないんだぞ」
「思いついたことがあるのよ。手も、眼も、本を読むのに必要ないんじゃないかって」
「おーい小悪魔、これは通常運転かー?」
「う、うーん。どっちでしょうかね?」
曖昧な笑みを浮かべた小悪魔が、泥棒の箒の先で揺れている。あっ、あれは分かってるくせに言わないときの顔ね。何をだ。言ってみろ、おら。
「あっ、ちょっ、止めてくださいそんな揺らされたら絞まる゛っ」
「私は何もしてないが。いいか、ほれ。お見舞いだぜ」
「絞まぁっ!?」
箒が弧を描き、コアを私の方に投げ出した。それをふわりと優しく捕縛魔法で受け止める。内からは出られない水球に閉じ込める単純なものだが実績は折り紙付きだ。何せレミィを一回止めたからな。
ちなみにフランはその十二倍くらい止めている。コアに対してはフランの五倍。あれ、こっちが十二倍だっけ。
「手荒いわね」
「こういう引き渡しのときが一番危ないからな。二人とも気が緩んでる」
「そうね。本当に」
意図せず声が低くなった。さすが目の付け所が違うわね経験者。私も十三冊目の盗難でさんざん学んだわ。私達、気が合うわね。
「けほ、けほっ……おお……初めて入りましたけど、この中って意外と快適なんですね。空気が澄んでる感じがしま」
「あんまりはしゃぐとまるごと凍らすわよ」
「死相が相席!」
言うまでもなく、空気が澄んでるのはレミィのためである。
正確に言うならレミィのせいだ。大人しく捕まって余裕が出るやいなや『空気が悪い』とか抜かした素晴らしい親友のせいである。修正する理由がないからそのままにしていただけで小悪魔のためではない。ない。
「ま、無事に渡せて何よりだぜ。折角だ、他に困ってることとかあるか?」
そう言って箒を構え直す泥棒。彼女の瞳に、心配の色は微塵もなく。ついでに何かやろうかなという軽い気持ちが顔に浮かんでいた。端的に言うといつもと変わらない。
そりゃそうだ、私は魔法があったらだいたい何でもできるからな。心配する箇所がないわな。でも折角ならこいつの心配顔を見てやりたかったな。そう思ったけれど、よく考えたらこいつと思考回路が同じなことに気が付いてしまう。親友でもないのに似通い始めるとか腐れ縁も極めに極めたりね。忘れよ。
「十八冊足りない、怨めしや」
「……他で」
「高温高圧環境下における日属性魔法『ロイヤルフレア』の特異性から見る第八魔法体系化可能性」
「もっと簡単なの!」
えっ。……うーん。日頃の困りごとは魔法でなんとかなっちゃうし。日頃じゃなくて任せられるものをチョイスしたのに否決された。他に何かあったかしら。
「そうね。例えば、思い出せないことを思い出したいときって、貴女はどうしてる?」
「つまり無いのか?」
「ああいや、そうじゃなくって」
純粋な質問である。正直、こんなふうに話し相手になるのが一番助かるっていうのもあるけど、純粋に質問だ。本気の本気なら記憶処理を使えばいいんだけど、病み上がりで使う勇気は無いし。
……何でこんな質問してるんだっけ。
「不思議な気分なのよね。何か足りないけれど、それが何か分からない。思い出さなきゃいけないって焦りだけがある感じ」
「寝過ぎたんじゃないですか?」
「研究し足りないんじゃないか」
「魔理棒、採用」
「魔理棒!?」
そうか――筋は通った。歯車は噛み合った。立ち込めていた霧が晴れた気分だ。差し込んだ一筋の光に全身の細胞がYesと答える。というかそもそもこの問いにYes以外の答えなんて全く思い付かないし間違いないわね。
そうと決まればやることも決まる。指をコキリと鳴らし、捕縛魔法を解除する、前に、だ。あっぶな、忘れるところだった。
「コア。今記録を差し出すか、後でお仕置きの果てにその場所を吐くか選びなさい」
「お納めくださいませ」
流れるような土下座から機械が掲げられる。ああ、河童の技術じゃないか。だから魔法が復活した私でも感知できなかったんだな。てっきり私に感知されないように高度な魔法をかけてるのかと思った。だからコアも脳内小悪魔賃上げリストに入れるか迷ってたんだけど、なるほど合点がいったわ。リスト上位に編入っと。
「いいわ」
水球に手を突っ込んで機械を受け取り、今度こそ指を鳴らす。昔必死に取った杵柄は今でも現役バリバリだ。床にへたり込むコアがこちらを見て……何かやたら力入ってるな。もう何もしないって。今は。
「あ、あれっ? いいんですか、パチュリー様?」
「いいのよ。方針は決まったわ。コア、『Considered Magical』を取ってきて頂戴。忙しくなりそうだから、お仕置きはまた今度ね」
「無くなったわけじゃないんですね!?」
「お、そうそう。そんなんだったよ、平常のお前」
「そうかしら? そう見えるなら、貴女は私にとって助けになったってことよ。あがっ」
「あが?」
………………。
「……ありがとう」
「おう! どういたしまして、だぜ!」
そう言って花が咲いたように明るく笑う彼女を見て、そういや咲と笑って同じ漢字だったなと思考を回してさっきの失敗を意識の彼方へ追いやる。さよなら痴態、おかえり平穏。
違う違う。そんな事はどうでもいい。足りないものは分かったし、一刻も早く研究に戻らねば。でも大図書館に帰るのはいろいろ怖いので遠慮する。医者に相談せずに移動したら流石に説教じゃ済まない。
代わりにこの部屋で研究を始めます。日が照ってないと干し草は作れないし。もうすっかり夜だけど。許せよレミィ、別にフラスコぐつぐつしたり大窯ごぽごぽするもんでもないから。でも万が一に備えて研究レポートは誰かに代筆を頼んで極力安静にしよう。あっ、それをコアに頼めばちょうどいいかしらね。
「忙しくなるわよ、コア。……コア?」
「……はい! それではパチュリー様、私コアが行ってまいります!」
バネが戻るように急に立ち上がり、コアはドアの方へと飛び跳ねて、一歩、二歩、三歩。何だあいつ。
「まっ、元気になったなら何よりだ。それじゃ私も通常業務に戻るかな」
「盗難じゃないわよね?」
四歩、五歩、半周ヨーイングして六歩。
「まっさか。お前が居ない図書館から本を取っていったらただの空き巣じゃないか」
「それじゃあ普段は強盗ね」
もう半周して七歩。ドアを開けて踏み出す。
「死ぬまで借りてるだけだぜ」
「返す保証が無いから言って――」
八歩。
――途端、轟音が響く。
「……っ!」
「わっ、何だ!?」
部屋が白煙に包まれる。ベッドの脇にいた泥棒すらも煙に塗りつぶされて見えなくなる。一瞬、体が硬直する。これ魔法が無かったら筋肉痛再発してたな。
いやまあ、麻酔みたいに痛みを誤魔化しただけだし、どうせ再発してる予感しかしないけど。説教フリーパス授与の可能性が脳裏を掠める。
「くっ……無事か、パチュリー! 小悪魔!」
「問題ないわ。自分の心配だけしなさい」
とりあえずまず魔力を練る。そのうえで使い魔を一体飛ばす。通信の魔法式を載せて、目指すはコアのもとへ。周りは煙に包まれたままだが大した問題じゃない。方向を合わせてまっすぐ飛ばせばいい。到着。
「……どういうつもりかしら」
『あらら。やっぱりバレました?』
通信の向こうからあっけらかんとした声が届く。何も変わらないその言い方に確信する。こいつ、今自分がやったこと欠片も悪だと思ってないな。煙も轟音も後処理するのは咲夜だぞ。燃やさなかったのは評価するけど。
「音と煙だけがあなたの足下から。それでいてあなたが全く動じずに同じ場所に立ってる。それにこの煙、よほど体が弱くても吸い込んで害が無いように何重にも魔法がかかってるじゃない。バレない理由がないわ」
木と水を加えて自浄作用を、火と水で煙を広げつつ煙全体に仕込んだアロマの薬効を染み渡らせる。ダメ押しに日で殺菌。ここまで来るとむしろ吸い込んだほうが健康になるまである。
泥棒にそれを伝えるべきか迷ったがやめた。自分で気づいてもらおう。そのほうが好きだろうし。
「目的は何? そんなにお仕置きが嫌なのかしら。こんな偽物の記録を渡してまで」
『えっ、ちょっ、それは今気づかれると困るんですが。……ちゃんとお仕置きは受けますから、見なかったことにできませんか?』
いや、気づいたというか、カマ掛けだったんだけど。大図書館で一番私を知ってるやつだし、私を騙すなら徹底的にやるのかな、と思って。だからそこまで動揺されると、その、何だ、困る。
「……ま、良いわよ。やりたいことがあるならやってみなさい。ちゃんと見ててあげるから」
『わーい。これだから貴女の下は辞められません』
けして叫ばず、しかし確かに上ずるような声。その意味を考える前に、コアの後ろからいくつもの風切り音が迫ることに気がつく。
……聞き耳。
『……配置についたか!』
『1~10隊良し! 小悪魔隊は15まで準備良しです!』
『よし! 総員、突撃ぃぃぃいいい!!!」
廊下に流れ込んだ煙が渦巻き、揺れ動く。その向こうから一匹の妖精メイドが飛び出してくる。それを確認した瞬間、通信の視界が急にブレた。
どうやら、コアに私の使い魔を掴まれたらしい。そのまま見つからないようにか物陰に飛び込んでいく。一体何をする気なのかしら、あいつ。
「ご無事ですかパチュリー様! 妖精メイド010小隊隊長ワンドットです!」
「ああ、うん、大丈夫よ」
聞いたことないぞその肩書。レミィは一体何に備えているんだ。
「……よし! 手は思いついた、巻き込まれるなよ!」
「大丈夫だからみんな離れて」
「進軍停止!」
自信満々な泥棒の声と、煙に紛れて集まり始める火属性の魔素に嫌な予感しかない。急募、水属性。バブルだと自分しか守れないし、ウンディネは派手すぎる。じゃあこれだ。いつもより多めに曲げて。
「『マスタースパーク――のような吸引装置』ぃっ!」
「土水符『ノエキアンデリュージュ』……!?」
えっ、何そのフェイント。何その機能。煙がどんどん吸い込まれてる。パイ生地を均一に伸ばせる機能がついたと自慢されたときから薄々思っていたが、あの八卦炉何でも出来るのね。ならノエキも一緒に吸い込めるか……?
いやいや、待て私。八卦炉は火属性を操るアイテムだ。その内部に相剋の水と相生の土を合わせたものなんて入れたら、火で勝手に土が増幅、土により水が消え世は全て事も無し……問題無い、行け。
「うわっぷ!? なん、パチュ、おまっ!」
「あっやべ」
強すぎて泥棒にもかかった。まあ、いいか。マスタースパークを止めるためだけの調整しかしてないし、人体に直ちに害はない。でも後で魔石を切ろう。
「この水は……パチュリー様! 敵が居られるのですね! 分かりました! 者共、出会え、出会えー! 敵の逃げ道を塞ぐのだーっ!」
ワンドットだったか、彼女の叫ぶ声に一斉に妖精メイドが動く。やにわに部屋が薄暗くなったのはきっと窓が確保されたからだろう。つまり今窓を見たら、ずらっと妖精ないし小悪魔が張りこんでいるということか。
……。
『ふふふ、良いですねぇ魔理沙さん……! 最高の動きです……!』
「楽しそうね、あんた」
『そうですとも! 煙が晴れたらフィナーレです。パチュリー様、さっき私がいた場所に注目を集めてください!』
さっき。ちょうど部屋と廊下の境目くらいか。まだ煙が残っているから考える時間がある。うーん、何を使って集めようかな。聴覚、視覚、嗅覚。
よし、ちょっとやってみましょう。丁度いいものがあるわね。ノエキを止めて。開発中スペル。
「日火符『サンライトヒマワリ』」
その瞬間、世界は一変した。
騒ぎがそれを上回る大音響にかき消される。
消えていく煙に向いていた視線が閃光に奪われる。
幽かに香っていた霍香が硝煙に塗り潰される。
それはまるで、戦場にいるように。
「!? なっ、何事だ! おのれ、囲めっ!」
よし、全部満たせた。軽い花火を打ち上げる魔法、サンライトヒマワリ(仮名)。夏場の隠し芸として用意していたこれがここで役立つとは。塞翁の馬もきっとどこかで微笑んでいる事だろう。
私そんなに馬好きじゃないけど。レミィと一緒に乗馬体験したとき私だけ振り落としたの許してないからな。バランスボールからやり直せみたいな目で見つめられたのも。買ったわボール。仕舞ったわ実家に。
やがて煙は全て消え。
びしょ濡れでのびている少女が姿を現し。
妖精メイドと小悪魔の大軍が次に見えて。
そして私が視線を集めた場所では――
『で、何の用なの?』
『え』
『言いたいことがあるんでしょう、連絡係さん』
『……怒ってます?』
『いや全く』
――私の記録映像が上映されてた。