「い、いよいよ始まるわね。みんな準備できた? ハンカチーフは忍ばせたわよね?」
「落ち着きなさい。リボンが曲がってるわよ」
「緊張してない……私はできる傘……どんな雨にも負けない傘……」

 当てられた部屋の中で、待つこと数十分。
 始めは楽しみを言い合っていた皆も、いつの間にか不安になって注意事項を再確認したり、身だしなみを整え続けたり、瞑想を始めたりしていた。

 なにせ初めてのことだ。誰もまともでは居られない。私でさえ、何度ルールを読み直したか分からない。時間をこれ程恐ろしく感じるなんて、地底以来だ。

「……ねぇ。見たでしょ」
「何をよ」
「私の目」
「見たけど、だったらどうするの?」
「……」
「……何なのよ」

 こいしはというと、さっきからずっとこんな調子だ。会話は振るが、続けない。あの目は普通の翡翠色で、別におかしい所は無かったというのに。

「! ノックされた気がする傘!」
「七度目」
「私が見に行くわ。もしかしたら時間なのかもしれない」
「九度目」

 途端、ドアが本当にコツコツと鳴る。

「ひぃっ! 本物!」
「……お願いだから、『弁護団』らしくしてよ。貴女がリーダーなんだからね、メディスン」
「わわっ、かっかかてるよ!」
「どうぞ」

 フランドールがそう言うと、ドアが開いた。その向こうに馬の頭をした男が立っている。さっき忙しなく動いていた人型たちと服が同じだ。きっと彼も獄卒なのだろう。

「時間です。私に付いて来てください」
「罠じゃないわよね?」
「……お早めに来てくださいね」
「あぁぁ待っ! 閉めないで! 付いてくから! ちょっ、ぬえ! 謝って! リーダーっぽくするから! これから立派にやるからぁ!」

 ……あからさますぎるから、罠かと思ったけど。
 もしかして、私も緊張している?

 ____________

「異議――と、言いましたか」
「そうっ! 私は『この裁判に異議がある』わ!」
「使い方違うんだけど……まいっか」

 あっけらかんとした声が、後ろから聞こえる。なるほど、あのメモはここの閻魔からか。確かにこいしと波長が合いそうね。

「いや、いや、傍聴人さん。裁判に異議があるなら、何を疑問に思ったか聞かせてほしいね。浄玻璃の鏡か、閻魔の判断か。それとも、他の何かかな。どれか崩さないと、それは通してあげられないよ」
「うぐぅ! ……皆!」

 どうも、私の予想も少しは当たっていたみたいだ。対応策は無かった。ただ声を上げて、言いたいことを言っただけ。叶えたいことを願っただけ。何も言わないよりかはずっと進んだが、そこで蹲っているのだろう。誰かに縋らなければ、立つこともできない程に。

 ――席を立つ。フランドールの隣を歩き、四季とメディスンの横をすり抜け、何故か固まっているこいしの前を通る。

 ああ、まったく。それなら、この上ない適任が居ることを私は知っている。悪意も善意も無く、ただ敵意だけで文句を行動に変えられる扇動者を知っている。

 ――その目の前で、私は足を止めた。

「……」

 これが寝ていたのは、幸運だったな。
 初めから起きてたら、「メディスンの決意」にはならなかったでしょうね。
 その耳元に顔を寄せて、私は囁く。

「痛くない、痛くない。
 その痛みはすべて嘘。
 感覚器官のマガイ物。
 あなたはまだ戦える。
 百徹は余裕でいける。」
 

「――それは承服しかねる!!」

 はい、起きた。

「って……あん? なんだこれ。どーゆー状況だ」
「おはよう天邪鬼。あなたなら、閻魔に反逆しようとしたら何て言う?」
「あぁ? んだよ、藪から棒に。そうだな、『過去ばっか見てるテメェに言われたかねーんだよ』ってトコだ」
「ほう。聞かせてもらいましょうか」

 四季の声は凛としていて、有無を言わさない響きがある。
 それでも天邪鬼は話を止めない。

「浄玻璃の鏡。ずいぶんと大層な持ちモンじゃないか。人一人の人生全部をこれ一つでさらえるワケだ。生きてるうちの話はそいつがありゃ問題無い、ってのがお前らの言い分だな。
 じゃあ。《《その後》》はどうだ? こいつは本当に、地獄で裁かれるべきだったのか?」
「……戯言を。死んだ者は等しく裁かれるのです。人も獣も妖怪も神も隔てはありません。それが崩れるのは、世界が終わる時に他なりません」
「知ってるよ。だから聞いてんだ。

 こいつの人生の終わりは、本当にあそこだったのか? 

 なあ、閻魔。こいつ、死んでからどれくらい経って地獄に来たんだ」
「んー、七時間くらいかな。普通は死んだら十分程度でこっちに来るんだけど。ずいぶん未練が強かったんだね、この子」
「部屋を棺にするやつに、未練があるもんかよ。ましてやこいつは人間だ。死んだら取り返しがつかないことは良く知ってる」
「そうかな? 必死に自分を納得させようとしたけど、いざ死んでみるとやっぱり命が惜しい。そんな人間だっていると思うけど?」

 ……やはり、多少無理をしてでも私がやるべきだっただろうか。
 天邪鬼のその下卑た笑顔に、私は後悔を並べた。

「『思う』んだな? 『確証がない』ってことだ。閻魔サマ、迷う魂を裁くあんたが、迷ったまんまに判決を出しちまっていいのかなァァァアアア?」
「……フラっち、フラっち。これ、どっちが悪いの?」
「それをこれから決めるのよ」

 けれど、任せたのは私だ。
 それなら、こいつが何をしようが、私が責任を持つのが当然で……

 ……やはり、止せば良かっただろうか。

「……要求は何ですか」
「決まってんだろう? 全弱者のかいほ」

 あ。

 そうだこいつ、ずっと気絶してたから、《《弁護も時間も何も知らない》》――

「弁護資格。それと裁判の開始」

 ……っ! …………っ!!

「……あぁ? 何だフランドール。私の要求を奪う気か?」
「そういう訳じゃないわ。正邪、これはあなたにとってもチャンスよ。弁護は言葉で戦うものだから」
「何? それはどういう」
「ふふっ。良いよー」
「えっ」
「おい!? 私の疑問は無視すん……むぐ!?」

 ……ふぅ。えっと……うまく行った、のかしら。
 じゃあ、あとは天邪鬼に説明すれば……

「でも、一つ聞いていいかな。誰に資格を渡すの?」

 ……ん?

「……弁護人は、規則上は無制限です。ただし我々としては、三人以上を推奨していません。弁護には一貫性が必要なためです。それぞれの主張がバラバラだった場合、まとめて却下することがあります」
「……確かに。それを纏めるために相談しようにも、時間が足りないものね」
「……つまり?」

 小傘の一言に、呼吸を一つ置いて、閻魔が言う。

「君たち六人の中から、三人。誰を選ぶの?」

 ____________

「……聞いたか! 裁判やるらしいぜ……!」
「何言ってんだ……いつもやってるだろ……」
「違う違う! 今度のは……」

 かつっ、と。
 軽く木槌の音が鳴る。

「これより、裁判を始めます。検察側、弁護側、問題はありませんか」
「……検察側……万端です……」
「弁護側! いつでも大丈夫よ!」

 弁護側には、明るい笑顔を浮かべた金髪の少女が。
 検察側には、暗い雰囲気を纏う鶏の少女が。
 そして間には、威厳溢れる見慣れた裁判長。

 四季映姫の姿があった。

 鶏の人は地獄の門番です。