全くの分からねえものは、科学とやらで解体される。
それが間違ってても、説明がつくならもう恐ろしくない。
たとえ恐ろしくても、排除が出来る。人間から弾き出し、説明の付く世界で安寧を得るか、あるいは力を貯められる。解明のための力だ。

だから妖怪賢者サマは考えたんだとさ。
「解体してくる相手だろうと、私達が喰らい、恐れさせ、愛しているのは人間だ
私達が先に恐れることはあってはならない
だから逆転しよう
恐れで人に交じるのではない
人に交じってから、中から恐れさせるのだ」

……賢者サマが知ってたかは知らねえが。
科学がどれだけ進んでも、人間を解明できたとしても。
隣の人を、何もなしに理解する事はできない。

妖怪はその境界に生きる。
妖怪が恐れを人の形にしたのは、
人間は人の形でないと恐れを理解できないからだ。

だから先に人の形をとるのは、むしろ当然の発展だ。
正常な形に、あるべき姿に戻したと言ってもいい。