「うー……ん」
 「おりょ?どったの、正邪ちゃん」
 紅魔館の午前二時。昔は吸血鬼たちが猛威を振るった時間。
 だが今ここを支配するのは、用もなくこの時間に起きた物好きと、ただただ悩んで眠れずにいた物好きだ。肝心のここの主とその妹は、夏の終わりの涼やかな風にあっさり寝つかされてしまった。
 まったく、自然ってのはつくづく偉大なもんだ。
 「ん、こいしか。何でもねえよ、ちっとくだらねぇ話だ」
 「ふーん」
 こいしは枕に抱きつき、広いベッドの上を転がりながら話を聞いている。
 なんかその抱き枕、羽が六本生えてる上にアホ毛が伸びてる気がするんだが。まあいいか、普段私を悩ます奴だ。今日ばかりは存分に快眠を邪魔されるがいい。
 「つまーり略して、何の話?」
 そんでこいつも私を悩ます奴なのだが。見つかれば最後。興味があれば一直線。道が無くても暴走馬車。
 こうなればはぐらかしも無意味、話すまでな行を連呼され続ける。それを知ってる私は観念するしかなかった。
 「私もうまくは言えねえがよ。こいし、今日は楽しかったか?」
 「あら、そんな事聞くだなんて。言うまでもなく楽しかったわよ。地上の小さい商店でも馬鹿に出来ないものだと思ったわ」
 ま、お前はそう答えるよな。こいしにとって楽しくない出来事なんてない。どんなに無駄だったり辛いことであっても、こいつはどこからか楽しみを見つけてくる。そうして最後には全部を楽しく変えてしまうのだ。こいつが一番、妖怪らしい妖怪だと思う。
 「だろうな。私も……まあ、面倒くさかったよ」
 「でしょでしょ!っとと、静かにしないと。で、一体何が不満なんだい」
 こいしが不思議そうに目を向ける。さて、言うか言わずか。その逆さを信じてる輝いた顔に。
 開いていた窓から月を見上げる。そこにあったのは満月。いつだって澄んだままの、さも美しげな狂気だ。私はそこに、懲りも飽きも後悔もしない、純粋な狐を見た気がした。
 ああ、あれは、いつだって躊躇わないのか。
 なら言うか。あれに負けるのは癪だ。私は月に目を奪われたまま、口を開いた。
 「『面倒くさかった』のさ、こいし。本当は『楽しかったのに』」
 「……それは、どっちが嘘?」
 「嘘じゃねえよ、逆だ」
 淡々と告げる。まるで何でもないことのように。いや、本当に何でもないのだ。少なくとも私はそう思っている。思ってしまっている。
 「私は天邪鬼だ。けど、面白いことを面白いとすら思えないほど腐ってるわけじゃねえ。ただ口に出さないだけだ」
 「この事についちゃ随分饒舌なのね」
 「最後まで聞きやがれ。そうさ、今まではそれで良かったんだ。嘘つき続けて、私を保てば良かったんだ。それが天邪鬼で、私だから」
 一度堰を切った言葉は、つらつらと流れていく。
 私は宴席には参加したことがない。だから吐き出す場所がなくて、こうやって貯まるのかもしれない。だとするなら、今度からちょくちょく酒場の世話にでもなるかね。
 まあ、それも今度からだ。だから今日は思いっきり、こいつに迷惑をかける。
 「けど今日はな、なんか曖昧だったんだ。真実があるから嘘をつけるってのに、真実も嘘も一緒になっちまったような」
 「ははーん、要は自分の気持ちがはっきりしなくなっちゃったのね。閻魔さま呼んじゃう?」
 「…………それも、ありかもな」
 「やっぱそうだよねー。……え?」
 こいしは豆鉄砲でも食らったように、体を硬直させた。相変わらずこいつの目は髪で見えないので、あいにく丸くなってたとしてもわからない。でも面食らっているのは仕草からわかる。……まあ、無理もないわな。
 「え、え、閻魔さまだよ?嘘つきの正邪ちゃんには、天敵で不倶戴天でルナ六面ボスみたいなものよね?なのに、呼んでもいいって」
 「だから言ったろ、曖昧なんだ。現に閻魔でも何でも、私を変えられるなら来てみろよって思ってる」
 「曖昧というか、ただの適当じゃない?いや、この場合自棄って読むのかしら」
 ヤケ、か。それも正解だろう。
 面倒くさくて、楽しくて、でもそれが全部何でもないように、どうでもいいようにすら思える。確かに、ヤケは近い。
 けどそれも少しだけズレているような。
 「なんつうのかね。うつ?」
 「うつじゃないわ。それだけは絶対にあり得ない」
 こいしはきっぱりと言い放った。何だ、何をそんなに怯えているのやら。まるで本物を見てきたような面して。
 ……能力が能力だ。見たことあるんだろうな。忘れがちだがこいつは昔覚りだったんだし。配慮が足りなかったかね?ま、どうだっていい。
 「な? わからねえんだ。分からねえし、分かろうとも思えん」
 「んー、残念。私もわからない」
 「だろうな。けどいいさ、別に。ここで『超わかる!こうすればいいんだよ!』とか言われても、って感じだし」
 「あははー、確かに。こういうのって答えがない、というか人によって答えが違うもんねえ。人の答えを参考にするくらいはできるけど。あ、やる?」
 こいしの恋の瞳から新しく、八本ほどコードが伸びる。先が尖った特別製だ。
 前に聞いたが、これを相手の体に刺すだけで、こいしの見る世界を共有することができるらしい。あらゆる意識の混ざり合う、集合的無意識の世界を。
 無論そんなのお断りだ。まともな精神してる奴が無意識を覗けば、一発で自我が吹き飛ぶ。私が変わるのは間違いないが、それは変わるというより狂うと言うのだ。それは御免である。
 「やめとく。そもそも正解が欲しくて言ったんじゃねえし。さて、話したから満足だろ?ガキはさっさと寝やがれ」
 「へーぇ?そんなふーに言うんだ。ほー」
 やめろ。刺さるか刺さらないかぎりぎりの位置でコードを揺らすな。……ああ、くそ。うっとうしいな、こいつ。だから言いたかなかったんだ。
 そう思った瞬間、コードはすっと引っ込んだ。
 「まあ、それならいいわね。こういうのは一人で答えを見つけるものだもの。ガイシャはさっさと寝ますよーだ」
 「ブをつけろブを。お前は何もされてねえだろ」
 「何もじゃないわ。話された」
 「……はっ。ずいぶんと突き放してくれるもんだな。私好みのいい友人だことで」
 私が言ったその言葉は、何も言わずに私に背を向け布団にくるまったこいつに届いているのか。
 それも、きっと、どうでもいいことなんだ。
 「……けどね、正邪」
 「あん?」
 布団の塊から、声が聞こえる。それはくぐもった小さな声のはずなのに、なぜだか澄んで聞こえた。
 
 「誰かと話すだけで、そんなのすぐに治ると思うわよ」
 
 「……」
 知ったふうな口を。そう言おうと思ったが、すぐにやめた。何秒も経っていないうちに、布団の中から寝息が聞こえたからだ。
 代わりに負けを惜しむ。
 「……言い逃げかよ。卑怯者」
 布団から返事は無かった。
 「怯は一体どちらなのかしら、天邪鬼」
 代わりにどこからか、声があっただけだった。

 
 静寂が訪れる。
 耳が痛くなりそうなほどに静かな湖と、遠く鳴いているミミズクの声。そこに薫るそよ風が、私の眠気を誘うことは未だ無く。
 私は空のかわりに、湖を眺めた。
 
 夜空を切り取る黄色い目。
 湖に浮かんだその偽物は、空にあるときよりも輝いて見えた。