そういや今度は笑ってなかったわね、レミィ。やっと気づいたのかしら。
「えーっと。イン、もう少しこっちに来てちょうだい」
「……? はい」
「その椅子、座っていいわよ」
「分かりました」
小さく会釈をし、椅子に腰を下ろす。背筋をピンと伸ばし、膝の上で軽く手を組む。沼のように濁った青い眼が私を射抜く。
馬鹿にしてるわけじゃなくて。苦し紛れにそれを考えるぐらいには特筆するところがない、ということである。
コアの言ったとおりだ。彼女こそY担当、イン。確かに普通、あまりに普通。銀髪とその目以外に何も特徴を感じない。服装は制服、身長は平均、声は落ち着いており、表情も私を心配している困り顔。どこにでもいる真面目な子でしたという感じだ。……悪魔とは一体?
まあいい。することは決めた。今、形はアレだが『ディゾルブスペルを纏って会う』という当初の目標が達成されている。たとえ彼女が悪人だったとしても、今の私に対して何かしらの危害を加えることはできない。とりあえず尋問するなら、絶好のチャンスよね。
「固い話じゃないわ。ちょっと話し相手になってくれるだけでいいの。ここは本が無くて退屈だから」
「ああ、なるほど。そういうことでしたら、何なりと」
「助かるわ」
いや待てよ。私の都合は良いが、彼女の都合はどうだろう。連絡係なんて覚えのない役職でっち上げて、レミィを騙してまで私のそばに来た。絶対に何かある。そっちを先に聞くか。
「で、何の用なの?」
「え」
「言いたいことがあるんでしょう、連絡係さん」
「……怒ってます?」
「いや全く」
むしろ感心しているところだ。レミリア・スカーレットを騙そうなんて、思いついても普通やらない。彼女が幻想郷に来る前の略歴はメイド妖精すら知っているはずなのだ。今は多少丸くなったとはいえ、その上でやったのだから、彼女はまず間違いなく、いやもはや確定事項で、レミィに目を付けられた。
「怒るというより、心配しているわ。こんな強硬手段を取るなんて、一体何があったのよ?」
「……その前に、確認したいことがあります」
胸ポケットから、インが徐ろに万年筆を取り出す。
…………あ。
「らせん階段。カブト虫。ジョット」
「……」
一人冷や汗をかき出した私の前で、彼女は万年筆を両手で持ち。
軽やかな音を立てて――二つに折った。
「ドロローサへの道、特異点、紫陽花……」
「……」
中から勢い良くインクが流れ出す。それはカーペットへ落ちずに一つに纏められ、インのそばで浮遊している。
残った万年筆の破片は、再び胸ポケットにしまわれる。今度はその手は微かに震えている。
私はその一部始終を呆けた目で見ていた。
「……やっぱり、駄目でしたか。まあ……良いです。期待なんてかけた私がバカなんですから」
「……何の話よ」
「!?」
説明を求めたら、なんかめっちゃ引かれた。待って、説明が欲しいだけだから。痛いことしないから待って。
「あ、えと、その、見えたんですか!? 今の!」
「え? う、うん……そうね」
「あんなに反応薄かったのに!?」
「一言多いわねあなた」
まあ、確かに普通だったらもっと困惑してたけどさ。なんせ今の所作、会話に欠片も関係なかったからね。魔法にすら関係ないから私もどう反応すればいいのか迷ったわよ。
黙ってたのはそういう理由じゃないけど。
「警戒してただけよ。あなたが何をするか分からなかったから」
「……!」
私がそう言うと、インは程無くしてぽろぽろと大粒の涙を零し始めた。
……え?
「ちょっ、ど、どうしたのよ? なにか辛いことでも思い出させたのかしら、私」
「違う……違うんです……えっと、説明しなきゃ……」
泣きじゃくりながら、なんとか呼吸を整えようとする小悪魔。
その目の前で必死にハンカチを探す主。だがどのポケットにも入ってないし、そもそも魔法でなんとかなるからポケット要らないゴミ溜まって邪魔とか言ってわざわざポケット無い服選んだの私だった。ちくしょう、錬成術とか学んでればここでハンカチ作れるのに。魔法とかより先にやるべきだった。そうだ、ベッドサイドチェストの中にティッシュとか……あ、痛い痛い伸ばした筋肉が悲鳴の狂騒。
「いつつ……ゆっくりで良いわよ、時間はあるし」
「いっ! ぃ……いえ、その……無いんです、時間は!」
「どういうこと?」
「ディゾルブスペルの残量……見てください!」
「残量?」
言われるまま、ディゾルブスペルを幻視してみる。世界が形を無くし、その中にある真実を映し出す。
何かとんでもないことしてるみたいだが、これはただの技術だ。神秘に関われば大なり小なり誰でも身につく。したがって魔法無しでも問題なく使える。そんな理由で頼る日が来るとは思わなかったけれど。
さて、残量は……ふーん、前回から九十%減くらいかしら。あっ、今一%減った。お、もう一%減ったわね。
「……終日解けないんじゃ……ない……?」
「あとは察してください! 頼みます!」
少しだけ、主従逆転だとか既成事実だとか単語が頭を掠めた。見ようによってはこの状況、主人の弱っているところにつけ込んで自分の願いを叶えさせた、よくある悪魔を信じた人間の末路に見えなくもない。その後もよくある感じに続くなら、私の破滅まで秒読み段階、よしんば助かっても他の小悪魔がこの事実を悪用して願いを叶えさせにくることもあり得る。
いや、それむしろ願ったり叶ったりだな。よし、絶対この願いを成功させよう。