それは確かに冒険者だった。
じわじわと熱を帯び始める大通り。朝の冷気も立ち消えようという頃だ。ふっと酒場の扉が開き、それを招き入れた。
長い黒髪の少年だった。黒の袴に、白のベスト。隙間から青の半袖シャツを覗かせ、黄色の紐を腰に巻いている。そして頭に――無理やり形容するなら、螺旋に鍔と角とポンポンを付けたような――帽子を乗せた、少年。
酒場に似つかわしくない、爽やかな色合いをしたそれは、真っ直ぐにギルド窓口へ向かっていった。
「……見ない顔だな、あれ」
「あれってどれだよ。こう人が多くちゃわからん」
自然とこぼれた疑問を、テーブルで飲んだくれている友人、マレットは的確に拾った。
現在は朝の10時。酔うにはあまりに早すぎる時間だが、彼はお構いなしに飲み続けている。なんでも昨日嫌なことがあったのだが、二日酔いになるのは嫌なので、休日を取って昼に飲み夜にアルコールを分解する予定らしい。そう、彼は馬鹿だ。
「ほら、窓口にいる黒髪の……」
「あ? あぁー……? いや、どっかで見たような……」
ギルドの窓口は、酒場から一、二段の階段を挟んだところにある。ちょうど酒場部分だけ掘り下げられたダウンフロアといった形だ。少し体を伸ばせば、窓口の様子をうかがう事もできる。どうやら少年は、クエスト一覧を受け取って眺めているようだった。
「……おい、あのクエストおかしくねぇか」
「分からないが。マレットの目は良すぎないか?」
「いや、どう見たっておかしいだろ。紙の質から違うぞ、あんな白いの見たことねぇ」
目を細める。言われてみれば、私達が受け取るクエスト一覧はいつも赤茶けた紙だった。少年が手にしているのは真っ白で、端に繊維のほつれなどもない。いわゆる高級な紙に見えた。
「……確かに」
「お貴族様、って風じゃねぇし。話しかけてみろよ、シロ」
「嫌だが。マレットの方が適任だろう、頑丈で」
「シロの方がいいだろ。お前、見た目はいいんだから」
親指を顎にやる。シミ一つない肌が、しゅるると音を立てる。マレットの言うことは一理ある。たとえ私の魅力が低くても、目の前の3Lタングステンフルプレートより下ということはないはずだ。
「行ってくる」
「おう、しっかりな」
席を立ち、石畳をこつこつと歩く。掘り下げられ露出した地下は、夏は涼しい。けれど今日は不思議と、寒気すら覚えた。それは一歩ごとに、あの少年に近づくほどに、僅かながら増しているような気がする。しかし気がしただけなので無視し、段を上がり、少年の横に立った。
「何を悩んでいるんだ、少年」
はっ、と少年が顔を上げる。近づいて気づいたのは、その前髪の長さだ。瞼にかかるほど長いそれが、眉も目も覆い隠している。そのため表情は口からしか読み取れない。しかし、それでもはっきり分かった。少年はすぐに笑顔を浮かべた。
「鰹のタタキは醤油とポン酢どっちが美味しいか」
「……すまない。聞き間違いかもしれない。もう一度言ってくれ」
「やっぱりタタキはポン酢で茗荷と一緒だよね?」
「それは同意するが……」
ここで悩むことなのか、と言いかける。言い方がキツイと最近言われたばかりだ。もう少し、相手の悩みに寄り添うように、かつ核心に触れるように。添削を重ね、口に出す。
「それより見て見てこれ」
よりも早く、少年がその紙を突きつける。書かれている内容は、どれも見たことがないものだ。『中央貴族のダンジョン踏破補助』『竜の巣へのおつかい』『同盟国の戦争参加』『落とし物(200万相当)』……
「なんだ、これは」
「プラチナランクのクエスト表。刺激的でしょー」
「……すまない。連れを待たせているのを思い出した。失礼する」
本能的な仕草だった。辞儀をしながら振り向き、そのままマレットのいるテーブルへと歩き出す。
プラチナランクは、自分のいるシルバーランクから数えて二つ上だ。たった二つ。けれど冒険者は誰もが知っている。その二つは果てしなく高い壁であり、壁の表裏は交わるものではないのだと。一方マレットは酔い潰れていた。
「おっと待ちなすって。話は最後まで聞いてこうぜ」
「そのランク帯は見るのも初めてだが……直感的にわかる。行けば死ぬ」
「違うったらー。私もシルバーランクさ。行きやしないよ」
「なら、どうするんだ」
そう聞くと、少年は待っていたと言わんばかり笑顔に破顔を重ね、跳ねるように酒場のステージへ向かった。いつもは毎月末に来る踊り子、飛び入りで公演する劇団、あるいは特別クエストの告知などに使われる場所だ。
「さぁ皆さん、ニージュアーイズ!」
そこに酒場らしくない少年が、呪文とともに立つ。自然と、皆の視線は集まった。
「退屈な日々に、仕事に、生活に、あるいは充実したその隙間に、ただ一滴の潤いを。財布を出せ! 賭けの時間だぁ!」
『賭け』。その言葉が出た瞬間、酒場の空気は一変した。
「どうです、最近。クエストの内容が分からん! って事ありませんか?」
「
死ぬのは知ってるよ」
「……」
足を止める止めない。テーブルへ真っ直ぐ歩く。
「えっ……今何したの?」
「本当にシルバーランクなら、プラチナランクを見る意味はないだろう。というか、機会もないはずだ。何をしたんだ?」
「特別何もしてないよ。ただフロントとお友達なだけさ。ねー」
受付を見て、小首をかしげた少年。それに職員は笑みを返した。眉の位置が一切変わらない笑みだ。そこから関係を読み取る事はできない。そういえば前に、関係性もプライベートに属するため、安易に外に出すべきではないという理念を貫きたい。故に覚えた、これは業務スマイルの上、守秘義務スマイルであると言っていた。そう、彼女は生真面目だ。