『異世界に行った時の常識、その一。
 まずは人、もしくはそれに似たものが住んでいるところまで行きましょう。
 異世界では食料問題が尽きません。かと言って、あなたがどれだけサバゲーでサバイバル知識をつけたとしても、異世界ではそれは通用しないことが少なくありません。雨が強酸であったり、知っているはずの野草は毒物かもしれないのです。
 今のあなたにとって最も重要なのは、明日を迎えるための知識です。
 あなたの周りに人工物があるならそれは好都合です、すぐにそちらへ駆け込みましょう。もし――』

 以下、細かい注意書きだらけのため、私が読むのを諦める。
 というわけで現在、私は持てるだけの荷物を持って、遠くに見えた山へ向かっている。残念ながら、ベッドは置き去りだ。
 この外来本の言うことは無駄な修飾語が多く、良く分からなかった。だがとりあえず人のいるところへ向かえ、とあるのは分かった。
 しかし、周りに人工物なんて一つも見えやしない。
 まるで箱庭に山と平原だけを置いたかのような、あっさりとした世界。
 それなら、私が目指すべきは山しかないだろう。よもやただの平原に人がいるとは思えん。そう思って今、ありったけの荷物と共に山へ歩いている。
 そう、歩いている。
 ……しかたないじゃないか。ベッドの近くに掃除用具なんて置かないだろ、普通。異世界が春で良かったよ。飛んでばっかの運動不足には、歩きやすくてしょうがない。
 その代わり夜遅くまで研究していたおかげで、ベッドのポーチにマジックボムが豊富に入っていた。これさえあれば、しばらくは大丈夫だろう。
 まあでもいちばん嬉しかったのは、これだ。
 私はいつものようにポケットの中をまさぐり、それを空の太陽(らしきもの)にかざした。
 
 「あって良かった……!八卦炉……!」
 
 本当に良かった……!昨日研究に使いすぎたせいか今は動かないが、それでもお守りとしては十分だ。
 確か香霖が言ってたな。『外の世界のお守りをいくつか入れておいた。効果はないだろうけど、気休めにはなるかもね』とかなんとか。
 ありがとう、香霖……確かに効果はあったみたいだ。無事に帰ったら、ツケの半分ぐらいは払ってやるからな。
 たぶん。
 「さて。」
 八卦炉をポケットに戻す。そろそろ山の入口が見えてくる頃だ。
 出来れば哨戒天狗の一匹にでも会えればいいが、その場合戦闘するかもしれないしな……用心用心。
 「鬼が出るか、蛇が出るか……やれやれ、どっちが出ても、今の私なら歓迎出来るぜ。」
 軽く溜息をつき、私は山道に足を踏み入れ――
 
 ――そして、弾かれた。
 
 「はぁ!?」
 後ろに吹っ飛ばされる。完全に予想外の攻撃を食らった私の体が、平原の地面を擦りあげる。
 「熱っつあ!」
 摩擦で生まれた熱が服を貫通し、私の肌を焼いた。
 おい、勘弁してくれ。私の服は今この寝間着一枚しかないんだ。いくら異世界が過ごしやすい気候でも、ボロボロの服のまま旅はしたくないぞ。
 しかしそんな感想も一時のものだった。気を取り直したからではない。
 「痛つつ……おいおいおい、なんだこりゃあ!?」
 私は目を見開いた。見ているのは、今ぶつかった山の入口。そこには――
 
 上へ、上へ。どこまでも長く、薄く、しかし何物も通さない、私の見慣れている壁。
 
 ――超巨大な魔術結界が、山をまるまる覆っていた。