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信じるより、信じないより、確実な方法がある。
妥当であることだ。
人を馬鹿にすることは、自分が善であると主張することだ。
自分の方向へ他人を巻き取ろうとする善意だ。
全てがそうであるなら、全てを別つのは妥当性だ。
そこにはあらゆるものが当てはまる。
人間皆、興味によって優先順位が違う。
私の優先は効率性だ。だからお前の石を守る選択は私にとって善だ。
それでも、もし私の優先が発展ならば、石を放棄することが善になったろう。
正解を選ぶということは、何を優先するかの基準を示すということだ。
他人の中に善があるとは、
たまたま自分の善と近しい面が見えただけに過ぎない。
それは自分でも同じだ。
どんな形だろうと、たまたま善を見出されればそれは善になる。
信じることは、信じるだけでは達成できない。
信じないなら理由を見つけなきゃならんが、
前例が無ければ、全てを測るは相似した事例だ。本物ではない。
それに妥当性を感じないなら、それはもはや偽だ。
偽の前では全てが真となる。
故に私の行動を、私は偽っていない。
石を破壊する。
自らが手に取り、考えることが出来るように。