「おっとと、写真落としちゃうとこだった。どっかで写真袋買ったほうがいいかな?」
愛する覚悟。
相手と関係を持つことのみを目的に、尊重し献身し時には一線を踏み越えること。
「写真なんざ撮ってたのかよ、あん時。……待て、誰のカメラで撮った。私のか」
生きる覚悟。
先の見えない不安を笑い飛ばしたり悲しんだりしながら、未来へ一歩ずつ踏み出していくこと。
「どうせ使わないんだから、借りてても借りてなくても一緒でしょうに」
裁く覚悟。
無数の可能性を潰し、一つに絞り込み報いを与えること。反省は抱くけど気に病まないのがポイント。
「ああ?」
「何よ」
「二人ともずっとあんな感じだね」
「弾幕勝負はしないみたいだし、あれでいいんじゃないかしら」
「……それで、遺言は終わりですかね?」
「終わりね。だって、始めてすらいないもの」
つまるところ、ここは。
地獄だ。
メディスン・メランコリーは地獄行きを選んだ。
語弊である。彼女はただ神に会いたいと言っただけだ。人とも妖怪とも違う視点から物を見ている神は、時々裁きと称して大量殺戮を行う。それにいかなる覚悟が生じているのか見てみたい。確か、天邪鬼と戦いながら話していたのを盗み聞きしたところはそんなことだった。
しかし裁きに覚悟と聞いて、大多数の人妖(ここでは人間と妖怪の総称)はこう考えるだろう。神であり、裁きについて詳しく、覚悟を持ってそれに臨んでいる者は誰か。その答えはおそらく100%一致する。それはフランドールとて多分に漏れず。
僅かなすれ違いは、私達の足を地獄へ進めることに至ったのだった。
ちなみに、メディスンは『ちょっと違うが、これはこれで良い』と言っていた。『知らない仲でもないし、むしろ有りかも』とも言った。なら、足を止める理由は無い。
無くなってしまった。
「地獄の裁判に興味を持つのは結構です。裁きは等しく生物に与えられた義務であり使命ですから。ですがそれなら傍聴席から参加すればよろしい。連絡も取らずに私に突撃するのは違うでしょう」
コーヒーを一口飲み、彼女は一息に告げる。いつから透頂香は挽いて作るようになったのか。多く語らず可能性を混ぜ返す私には、到底理解できない極地にいる閻魔神。それが今回の目当て、楽園の最高裁判長、四季映姫である。
「連絡したら通してくれたのか?」
「事と次第に依ります」
「傍聴席って、どうやったら参加できるのよ」
「法廷に行けばいつでも出来ます」
「その法廷の場所は?」
「地獄の一丁目です」
「強ち間違いでもなかったんじゃないかな、突撃」
当たり前だが、地獄の内部情報など公開されていない。魂の脱走に使われると一大事だし、外部からのテロリストに利用されてしまえば誰も死ねない世界になる。そもそも地獄は厳格さと保守派の情熱を妖怪の山と比べられるほどの組織だから、そんなオープンなことをするとは思えないけれど。
「結果論ではなく、方法論です。私に会うにしても、例えば旧地獄に住むあなたなら姉に頼めば連絡も取れてこちらも準備ができました。今回のように三途の川をまっすぐ突っ切る必要はなかったと言っているのです」
「ちなみに連絡って何日待ちなの?」
「良くて三日、忙しければ一週間ですね。届くだけなら」
「待てない!」
「私もです」
「閻魔ァ!? ぶっちゃけていいのか!?」
「今は折り良くプライベートなので」
そういう問題なのか。確かに、夕暮れ時のカフェテラスでジャズを聞きつつ、コーヒー片手にハードカバーを開いているのだから間違いなくプライベートなのだろうけど。地獄でもこんな優雅な場所があるとは知らなかったな。
「そもそも、どうやって三途の河を越えたのですか? まともに越えるのは不可能なはずですが」
三途の河の長さは『生前自分に使ってもらった金額』を渡守に支払うことで決まる。では支払わずに河を越えようとするとどれほどの長さだろうか。
答えは約40由旬。不可能ではないが、諦めるに十分な長さだ。それでもタダで越えたいなら、関係者になって近道を見つけるか、単純に速度をとてつもなく上げるか、そもそもそのルールを無視できるような力を持つか。当たり前だがどれも簡単にはいかない。だからこそ、三途の河は地獄への入り口になっているのだ。
では、私達はどうしたのか。決まっている。
「河の長さを定義する部分に正体不明の種をつけて自分で定義したわ」
「……意味のない嘘を吐くのは、人間だけだと思っていました」
「牛鬼に顔パスで運んでもらったのさ」
「違いますね。尤もらしい嘘を並べて、私に正解を当ててほしいのですか」
「古代魚の無意識をいじって、こう、背中に乗せるのが当然な感じで」
「ですが、私の前で嘘を吐けば説教が始まるのはわかっているはずです。説教が目的であれば普通に頼めばやってあげましょう。でもそうしない」
「モーセよろしく川の真ん中を破壊したわ」
「そう、あなた達は回りくどすぎる。全て真実ね?」
「す、すごい……!」
小傘は感心しているが、肝心のメディスンの顔はあまり晴れなかった。まあ、こんなのじゃ裁きの覚悟はわからないか。万が一休んでいても知っている閻魔の覚悟を見せたほうがいいかと思って嘘くさい真実を作っておいたが、あっさり解かれた。やっぱり法廷に行ったほうが早そうね。
四季は小さくため息をつく。
「覇権争いの次は、セキュリティ問題。地獄の仕事は終わらないわね」
「仕事が終わるときってこの世の終わりじゃないの」
「火が消えるときです。まずは牛鬼かしら。鬼人正邪。何回も川まで来たからって、何でそこまで仲良くなってるのですか」
「知るか。あいつに聞け」
「聞きます。何にせよ、これもあなたの罪になります。覚悟しておくように」
天邪鬼は指名手配犯だった。その頃、死線をいくつも潜り抜けてきたらしい。なのでもはや三途の川はホームみたいなものらしく、親しげに話す牛鬼に『三途の河来訪タイトルホルダー』の称号を渡されかかっていた。形はどうあれ、鬼に天邪鬼が認められた歴史的瞬間である。天邪鬼は突っ返していたが、こっそりフランドールが受け取っていた。私達の拠点に保管する予定だそうだ。
「古明地こいしに封獣ぬえ。あなた達の所業は罪に加算されます。善行を積んできっちり清算すること」
「無意識だか」
「ダメです」
「セキュリティホールを見つけた分の減刑は?」
「二十日です」
「現時点の合計は」
「死ぬまでお楽しみです」
「期待するわ」
「努力をしなさい」
まあ、裁いていない妖怪の刑期など分かるはずもないか。減刑はサラッと出る辺り、判例が多いのだろうか。
四季は徐ろに小さなベルを掴みちりちりと鳴らした。液状の砂糖が空っぽのコーヒーカップの底をゆっくり目指していた。
「フランドール・スカーレット。あなたは……どうしましょう。川、戻した?」
「戻るわけないじゃない。私が壊したのよ」
「ふむ…………この件は上司に投げますか。今日の出来事をちゃんと姉に話すこと。それが今の貴方が積める善行よ」
「……」
珍しい。説教をせずに、間接的に悪いと言うなんて。白黒ハッキリさせる四季映姫とは思えない寛容さだ。もしかして偽物か?
「……失礼な視線を感じますね。説教をしてもいいですがそれは本筋ではないでしょうから省略しているだけです」
「今までのやつ、説教カウントじゃないのか……」
「世間話です。団結して動くことに意味が必要なのは人も妖怪も同一。目的はあなたですか。それとも」
「私よ、閻魔様」
メディスンが一歩歩み出る。そして二杯目のコーヒーを持ってくるウェイターに一歩退かされる。珍しく彼女は本気の目をしている、気がした。会って一日も経っていないので確信は持てない。
「あなたは確か、人を憎んでいた人形ね。その後がどうかなんて、ここにいる時点で聞く必要もないか」
「この繋がりはお金だけど」
「それでも善いのです。金とはあなたの在り方を認める誰かが支払ったあなたの価値。それは使ったとしても変わりませんし、むしろ使うことであなたは別の誰かの在り方を認めることになる。そうして繋がりを生み出していくことは紛れもない善行なのですから」
「あ、わかる。鍛え直したての包丁で作ってもらったご飯は美味しいって話よね」
「……まあ、近いです」
小傘の喩えは職業柄過ぎて分かりづらい。もっとこう、陥れた人間が心を荒ませて誰かを陥れたくなるようなものだ。それで金品を騙し取っていればなお近い。
「今日は別件よ。裁く覚悟を学びに来たの」
「なるほど。良い心がけです。ですが今の私は見ての通りプライベートですし、この後の仕事の予定も入っていません。せいぜい出来ることといえばあなた達を法廷に連れて行くことと傍聴席であなた達に法律の解説をするくらいです」
「……閻魔様、付いてきたいの?」
「無論」
「何がプライベートだ。休まない上司は嫌われるぞ」
「秘密は守ります」
「強権発動?」
「寛猛相済」
「寛も猛も位相が別次元なんだよねえ」
「……フランちゃんが渋った理由がなんとなく分かった気がする」
今更だ。人も妖怪をも、その行く末を過不足なく決める閻魔という職にとって価値観の共有など無価値である。情に絆されて減刑などあってはならないからだ。人らしく言うなら『他人と少しズレている』と表現するのだろうけれど、私にはただの『傲慢』にしか見えない。
要は完全に私達と違う価値観で動くため、折れる箇所が本当にわからない。つまり交渉不可。だから困る。
その彼女は二杯目のコーヒーを一気に呷った。細い喉が生き物のように蠢いていた。
「ブラックも悪くないですね。では参りましょう。善は急げと言いますし」
「えっ、あの、閻魔様、お金は?」
「ここは前払いで場所を貸してくれるのです。コーヒーはおまけです」
四季はコーヒーカップを重ねて言った。
「飲み放題カフェってやつなのかな」
「使った皿を片付けたり、机を拭いたりするのもおまけです」
四季は机を拭きながら言った。
「ああ、そりゃあんた通うわな」
「私は時々椅子のネジを締めています」
四季は椅子のガタつきを確認しながら言った。所作の全てがもはやスタッフの域だ。隙ももたつきも全く無い。
「お店もそこまでされるとは思ってないだろうなあ」
「許可は取りましたよ」
カップを持ってシンクに向かう。
「なんて言って?」
「『副業にも全力を打ち込む精神、感服いたしました。コンガラ様』」
シンク下を開き、カップとソーサーを収納する。視界の端で、赤い角のウェイターが肩を震わせていた。
「やっぱお前嫌な奴だわ」
「尊敬の念を伝えただけです。私も副業は卑しいものと考えていた節がありましたから。今はどちらにも全力を尽くし、さらなる相乗効果が得られるならば是非やるべきだと思います」
閻魔がボタンを押すと、シンク下から水の音がし始める。…………食器を洗っているのかしら?
「変わったように見えて変わってなさそうね」
「ただしサボタージュは副業ではありません」
「シエスタは?」
「副業です」
やはり価値観がわからない。
「さて。後始末は終わりました」
「わかったわ。ほら、行くわよ皆」
主にシンク下に釘付けになっている四人に対して、フランドールは言った。私は違う。ちゃんと離れたから。
「わあ、すごい……! どうなってるんだろう……うぇ!」
「あなたも頑張ってるのね。同じ道具として誇らしい……わっ!」
「上は大滝、下は洪水……いや、渦潮……きゅっ!」
「道具が皿洗いの仕事を奪い……ここでは下剋上が……私にやっぱり意味なんて……げう!」
「行くわよ」
それぞれの首根っこを引っ掴み、四人のフランドールが店を出ていく。禁忌『フォーオブアカインド』。《《四体》》の実体分身を生み出すフランドールの秘蔵スペルだ。彼女がこれを出す時は大体決まっている。
「……急ぎでないなら、私は待ちましたよ」
「お気遣い痛み入るわ。私達には勿体無いほど」
急いでこの状況を終わらせたい時だ。