その後、ショックで喘息まで誘発した私に美鈴が泣きながら気を使って痛覚を一旦遮断したり、お構いなしに咲夜が喘息の薬入りの昼食を口に突っ込んできたり、それを見たフランが喉につまらないようにと昼食をすかさずペースト状にしたり、小悪魔たちが隣の部屋で緑茶飲んでた医者を連れてきたり、医者と一緒に見舞い順待ちだった小悪魔たちやメイド妖精やホフゴブリンまで寝室に入ってきたせいで、瀕死の私を診察する医者を二十人ほどが取り囲むという何かを想起してしまいそうなシチュエーションになっていたらしい。ちなみに、左手は粉砕骨折ではなかった。
よく生きてたな、私。というか私ってそんなにみんなに心配かけてたのか。これはいよいよ体を鍛えなきゃいけなくなってしまった。
起きたら美鈴が土下座してたり、その上にレミィが座っていたり、フランから半端ない魔力を感じたり、私と咲夜がどうにかとりなしたりと、バタバタしてたらいつのまにか日が落ちるほど時間がたっていた。おかげでようやく数十年ぶりに魔法抜きの手足の感覚が戻ってきた頃だ。忘れないうちに決意のメモでもしておきましょう。
二度もぶっ倒れたということで二倍に伸びた見舞いの列が途切れてきた頃、私はそう思い立ってナイトテーブルに手を伸ばそうとした。
しかしここで問題が生じる。
ナイトテーブルがあるのはベッドの左。そして美鈴が握って潰してしまったのは左手。しかも左手はがっちりギプスがはまっている。
つまり、そのまま手を伸ばしてもナイトテーブルからメモ帳やペンを取り出すことはできない。
かといって右手を伸ばすには、上体を捻らなきゃならない。
下手に動けば十年単位の筋肉痛になると警告されている今、体を捻るのはかなりリスクが高い。
ずっと見舞い人に向けていた首でさえ若干痛いのだ。腕や脚なんかの末端ならともかく、腹筋や体幹とか体の中心が筋肉痛になるのは相当まずい。息するだけで胸から痛みを感じるようになってしまう。なるほど、これが恋とか言ってらんないからね。ただでさえ喘息なのにこれ以上肺に異常はいらないわ。
そして頼みの綱である魔法はというと、まさかの未だ使用不能である。
さすが私のディゾルブスペル。効力効果時間精神ダメージ全てにおいて非常に優秀だわ、こんちきしょう。今度からちゃんとセーフティ作ってから発動しなきゃ。
ってしまった、メモすることが増えた。
仕方ない、頭にストックしておくか? いやでも、それじゃ決意にならないしな。こういうのは考えた時が吉日、それ以外は凶日、当日の私が決めるものって言うし。
せめてもう一人だけでも見舞い人が来ないだろうか。そしたらメモもペンも取ってもらえるのだが。
そんなことをぼんやり考えていると、何たる偶然か、ちょうどドアが開かれた。なんだか今日の私、ずいぶんツイてるわね。まるで小説みたい。これもレミィのせいかしら?
「ああ、ちょうどいいわ。ちょっとそこのあなた……っ!」
けれど、ドアのところにいたその子の姿に私は凍りついた。
コアと同じぐらいの身長。
腰から生えた、細く鋭い尻尾。
小悪魔の制服である黒いスカート、白いシャツ、黒いベスト。
頭には小さな羽と、輝くような──ショートの銀髪。
「あ、はい、なんでしょうか?」
コアの言うとおりなら、この子に違いない。
そこにいたのは、まさしく私たちが探していた小悪魔──インに間違いなかった。
「これでよろしいのですか?」
「ええ。その紙と万年筆でいいわ」
寝転んだまま、震える手で二つを受け取る。
いきなり探し人が出てきて少し驚いたが、よく考えれば自らの主が倒れたら普通は見舞いに来るか。来なかった小悪魔もいるが(本棚の数と合わなかった)、多分人の多さに気を使って明日に回したのだろう。別に全部今日でも良かったけれど。
「ありがとう」
「どういたしまして。ところですみません、パチュリー様。その体で書けるのですか」
おいおい、何を言ってるんだね君は。魔法でちょちょっとやればこの程度……
…………
……未だ私は、魔法無しの生活には慣れていないらしい。持ったあとどうするかなんて魔法しか考えてなかった。書くどころか万年筆の重みに指が耐えかねそうだし、紙にすらそこに確かな存在を感じる有様である。というかそもそも体起こせないし、今、腕一本だし。疑問持つのも当たり前か。
あれ、無理じゃん。どうしよう。
「あのう、もし書けないのであれば代筆しましょうか」
受け取ったまま固まっていると、インがすっと手を挙げた。何この子、めちゃめちゃ普通なんだけど。誰よ小悪魔全員カタギじゃないとか言った奴。後で締め上げてやるわ。
ってそれコアじゃない。またあの子の余罪が増えた。それもメモしてもらおうかと思ったけど、まあそれは決意じゃないし、後で自分で書きましょう。それ以外の罪は何って問われたら私のことまでバレかねない。
「ならお願いするわ。はい」
「わかりました。それでは、なんとお書きしましょうか」
「『筋肉+5kg』」
「はい。…………」
「何よ、なにか言いたそうな顔して」
「いえ、なんでもありません……っ」
万年筆の小気味良い音がピタリと止んだ。インが驚いたような表情で私を見ている。
「……パチュリー様、今、私の顔が見えたんですか」
「はい?」
突然何を言い出すのだこの子は。さっきから顔見て話してるんだから、そりゃ見えてるに決まってるだろう。
「当たり前じゃない。それとも、実はいま変装してますよとでも言うつもり?」
だとしても見破れるが。私というか何かしら神秘に関わる者には、大なり小なり幻視力という真実を見極める力が身についている。これは魔法ではなく技術なため、ディゾルブスペルに干渉しないのだ。
ただ私の場合、見破れたところで顔を知らないという大問題があるが。
「な、ならこれは? 見えますか?」
インが万年筆を両手で持ち──何のためらいもなく、へし折る。
「えっ、ちょっ」
待て、何してんの? そんなことしたら中のインクが、紅魔館ご自慢の赤いカーペットに染みこんじゃ……ってない。
中のインクは、折った万年筆と同じ高さにふわふわと浮かんでいる。基礎魔法、物体浮遊だ。液体を浮かせるのは少々難易度が高いのに、サラッとやってのけるなんてこの子やるわね。
……いや、そうじゃなくて。
「何、何してんの? 万年筆折るって、そんなストレスたまってた? もしかして」
必死に記憶を探る。今まで小悪魔たちを気にも留めてなかったとはいえ、記憶喪失になったわけじゃないのだ。思い出せ、私はこの子に何をした?
…
記憶の中のインは、いつも真面目に仕事をこなしていて。
……
私はこの子に、業務的に対応していて。
…………
これ、あれだ。
何もしてないからこうなったんだ。
そう言うと、インは目に見えて動揺し始めた。紙は手から滑り落ち、万年筆の残骸を取り落とし、でもインクは浮遊中。あれ、思ったより浮遊の熟練度高くない? しかしそれにも気づかず、紅潮した頬と潤んだ瞳で俯いて何かをつぶやきはじめる。
「そんな……今になって、どうして? 効力切れ? 過剰負荷? 魔素不足、位相干渉、空間異常、認識災害……いや……そうか、ディゾルブスペル……! だとしたら時間がない──!」
「ね、ねえちょっと、一体どうしたのよ!?」
「パチュリー様! 頼みがあります!」
「ひゃい!」
もう一度顔を上げた時には、さっきまでの普通の小悪魔は消えていた。何かを決心した、凛々しい顔付き。かたや我が身は魔法も使えず倒れたままで変な叫び声を上げるのみ。っかしいなぁ、どっちが主だっけか。
「な、何かしら?」
「急いで私にディゾルブスペルを撃ち込んでください! 理由は後で話します!」
「は? うん、うん? でも魔法は……」
「直に切れます! その瞬間に撃てるようにお願いします!」
「……どういうこと?」
頭が疑問を抱いても、手は魔法の準備を勝手に進める。あれ、これ二度目の遠見の時もやったな。もしかして私命令に弱い……?
いや、焦るなパチュリー・ノーレッジ。二度目の遠見は初めは自分からやってたし、一度目も自分からやってた。私は命令に弱いんじゃなく無意識が強いんだ。誇れるもんでもねえなそれ。
でも焦るのも無理もないと思う。探し人が出てきたと思えば動揺、決心、請願の三段撃ちを一ターンで決めてきた、その胸中を誰か察してほしい。信長でも今時フィクションでしかやらないわよそんなの。ああ、だからか。
「いいですか、瞬間ですよ! いやもう多少欠けようが構いません、とにかく私に当ててください!」
「それだけ喋れるなら説明してほしいんだけど」
「十秒に私の二百年は入りません!」
そうですね。一日千秋の思いも大体一秒0.0116年だし、いくら悪魔でもその1724倍速は無理か。よし、計算できるくらい落ち着いた。
「そろそろです! ……」
徐ろに、インが両手を広げる。
目を瞑り、顔を背け、冷や汗を垂らす。
ベッドの上からでも、小さく震える足が見えた。
「さあこい!」
「撃ちづらいわ」
撃つけど。