博麗神社の裏手には山がある。
中に洞窟と湖が入るくらいには大きく、だが妖怪の山と比べると霞んでしまう程度の小ささの山。
それでも幻想郷にある以上、ちゃんとした噂や曰くがある。だがそれは『近づいた者は行方不明になる』『変な魔力に満ちている』『たまに山の一部が消える』とかいう珍しくもないものだし、しかも巫女が既に解明、解決済みだ。
原因は湖にあったらしいが、まあ過ぎたことはどうでもいい。
大事なのは、その噂と立地ゆえ、今となっても誰も寄り付かない事だ。
「さて、今日も始めるか。」
空が白み始める午前四時。いつものように、私はその山に足を運んだ。
山道のそば、ある一本の木に手を伸ばす。
他よりも少し高く太いそれは、木として異常なほど硬く頑丈だ。
噂が解決したからといって、魔力に影響されながら成長した木が消える訳ではない。確証はないが、恐らくこの木はそのうちの一本、妖樹とでも呼ぶべきものだろう。
見つけた時はそれはもうテンションが上がって……いや、なんでもない。
「……」
妖樹に手が触れる。同時に、触れ合う箇所に自分の精神を集中させる。
だからといって、地面に魔法陣が浮き出たり、意味もなく風が吹いたりはしない。そりゃそうだ、私自身、この集中に意味があるかどうか知らない。幻想郷は幻想が集まるとこらしいし、形だけでもとっとけばいいだろ、の精神でやっている。
そうして気を高めて、張り詰めて張り詰めて、つつけば壊れそうなぐらいになった瞬間を見切り、口を開く。
「『逆転』――」
呟いた瞬間、妖樹に異変が起こった。
もしもこの光景を見ている者がいるなら、こう形容するに違いない。
木が、一瞬で枯れ木に変わった。
しかしそれは正しくない。枯れ木の枝に見えるそれは、この妖樹の根である。
そしてその様子に惑わされず、木の下をよく見たならば、緑の葉が地面から生えているのがわかるだろう。
開発中スペル、逆転『インバーションハイアラキー』。
「よし。一、二、三……」
そう、言葉通りの逆転だ。私は今、この妖樹の上下をひっくり返した。理屈や理論ではない、天邪鬼の力、『何でもひっくり返す程度の能力』。
この私、鬼人正邪の代名詞たる程度の能力だ。
とはいえ幻想郷に入る時に決めとけよ、と言われたので適当に決めた能力である。まだ幻想郷縁起に載ってないので、非公式のままだ。
「……十三、十四……」
そのせいか知らないが、外で出していたほどの力が出ない。
最近気づいたのだが、こういう妖怪の能力の強さは、その妖怪を知っている人間の数や、どのように知られているのか、といったものに左右される傾向がある。
私は幻想郷ではまだ何も成していない。誰にも知られていないのだ。だからこそ、こんなに弱くなってしまったのだろう。
「二十六、二十七……ちっ。」
二十八。ひっくり返した妖樹の輪郭がぶれる。次に起きることは分かりきっているが、目は逸らさない。
二十九。ブレがさらに大きくなり、枯れ木が元の緑に戻っていく。つまり、そういうことだ。
三十。――そこにあるのは、何事も無かったかのように元に戻った妖樹が、空に枝を這わせ生い茂る姿。
妖樹が、自らの魔力で天邪鬼の力を弾いたのだ。
「……ふぅ。あー、ちくしょーっ!」
地面にどっかと腰掛ける。
いくら妖樹とはいえ、こんな木一本さえひっくり返したままにできない。これで試行は十五回を越えたが、四十秒より長く逆になった試しが無い。
ああ――こんなことでは、私は。私では。
「異変なんて、起こせそうもねえなァ……」
そのまま後ろに倒れ込み、草をベッドに横になる。
幻想郷で異変と言えば、ちょっとしたパーティーの事を指す。
すなわち誰かがトラブルを起こし、それを解決したり、分かりあったり、楽しく遊んだりする。
そこに分け隔てはない。主に異変解決するのは博麗の巫女、博麗霊夢なのだが、何せそいつでさえ異変を起こしたことがあるというのだ。
そんな風に身分関係なく遊ぶ、それが異変――なのだが、実はこれには大きな欠陥がある。
「……けっ!」
その異変自体は誰でも遊べる。しかし、異変を起こす事は強くなければ出来ない。そして、妖怪の強さはどう知られているかに依る。
つまり、開催側に回るなら、元々広く知られた妖怪でないと無理なのだ。天邪鬼は言うまでもなくその対極、十把一絡げの弱小妖怪。私の夢が叶うことは永遠に無い。