「……では、これより裁判を始めるよ。検事側。問題はないかな?」
「……ありません。……これ、一々やってるんですか?」
「必要な手続きだよ。罪人さんが何か仕込むかもしれないし。……こら、罪人さん。『その手があったか』って顔をしないの」
「ここが閻魔の裁判所です。二交代制で休みなく業務をしています。さきほど私が休みに入ったばかりなので、この先十日ほどはもう一人の閻魔が裁判を担います」
大きく、無機質な両開きの扉の向こうから、声が聞こえる。けれど全く重苦しい感じがない。本当にここで合っているのかしら?
「もしかして、閻魔様って大変?」
「いいえ。昔は一人で休みなく衆生を救っていたので、比べれば易しくなりました。むしろ今のように休みを渡される方が困っています。使い方が今一分かりません」
「ああ、だから仕事みたいな休暇の使い方してたのね」
メディスン・メランコリーは花映異変に関わった妖怪の一人だ。ある死神の怠慢で異変と称されるほどになったこの自然現象の下で、四季映姫とメディスンは初めて出会った。その時にいくつか話を聞いたと、三途の河を渡っている最中の彼女は話していた。
「あなたの想像が花映異変ならば、それは違います。あれは単なる残業でしたから。さあ、行きますよ」
扉を通り過ぎ、廊下を更に進んでいく。角を二回曲がると、さっきよりも小さな扉が見えてきた。さっきの無機質なものと違い、チョコレートのように区分けされた瀟洒なデザインをしている。上の出っ張りには『傍聴席』と書かれたパネルが吊り下がっている。
「入る前に、一つ聞きます。実際の裁判を傍聴した方はいらっしゃいますか?」
「魔女裁判ならちょっと」
「地獄に住んでても裁判は」
「あるわけない」
「ねぇよんなもん」
「ないなあ」
「知識だけね」
「では、二点覚えてください。一つは絶対に騒がないこと。紙とペンを渡しますので、質問は筆談でやってください。もう一つ、撮影や録音は禁止です」
「二つ目は何でだ?」
「被告人は幽霊です。撮影や録音を通して逃亡する可能性があるので絶対に止めてください。」
「記述はいいのね」
「それで逃げるような相手は傍聴させません」
音を立てないようにか、ゆっくりとドアノブを回し、四季はその扉を開いた。
「それじゃ、判決を言い渡すよ。……ん?」
「傍聴します」
扉の向こうには、一人の女性。
四季と同じ服を着ていて、同じように緑の髪。いかにも格式が高そうな机の前に立っている。違いといえば、かなり身長が低いことか。あれがこの裁判での閻魔なのだろう。
その彼女が、私達の方を振り向いていた。
「……! ……!?」
「…………?」
「了解。じゃ、改めて」
『あなた達は私の両隣です。紙とペンも各椅子の前の引き出しに入っています。どうぞ』
困惑しているメディスンとフランドールをよそに、四季は近くの椅子に座り、走り書いたメモを私達に見せた。やはりというか、達筆だ。そして異様なまでに速筆だ。
言われるまま、皆思い思いの席に座る。これで罪人の方から見れば、左から天邪鬼、こいし、メディスン、四季、フランドール、私、小傘、そして閻魔となる。バランスが悪そうね。
「あなたは白! 良かったねえ、明日もお天道様の下を歩けるよ」
『ここ、さいばん官のせきじゃないの?』
『傍聴席です。今回裁判をするのは三途の河で二十由旬以上の長さを渡りきった罪人です。それを一気に三十人ほど裁きます。となるとその為に何度もあの扉を開くのは手間です』
インクのペンに慣れないのだろう、ところどころ文字が潰れてしまっているメディスンのメモへ、四季が三十秒もしないうちに返事を書き上げる。私達も見られるように、六人分を一気に。彼女、右腕に式神でも憑いているのか。
読み終わって顔を上げると、四季が悔悟の棒を前に向けていた。その先にあるのは、被告人と、柵と、その向こうの三十人ほどの幽霊と、もっと向こうに巨大で無機質な石扉。
「それじゃ次の方。えーっと、山崎真咲。そこの台の前に立ってね」
『あっ、さっき見た大きいドア!』
『それを送る必要はありません。ですから、三十人ほどを一度に入れているのです。ちなみに此岸の裁判ではあの幽霊たちのいる場所が傍聴席です』
『何となくわかったわ 本来の榜聴席は幽雴の待合場 彼岸の裁判官は闓魔一人 だからちょうど余ってる ここをその席にしたのね』
『そういうことです』
フランドールの名推理が光る。光りすぎて彼女の文字が少し間違っていることなど気にならない。……写経をやっているせいか、気になる。いや気にならない。私はぬえ。正体不明を操るもの。
そう自分を納得させる傍ら、四季がメモを添削して送り返していた。安堵を浮かべた自分の心に正体不明の種を打ち込む。私は封獣ぬえ。
「よし、問題なし。じゃあ見てみようか、あなたのこれまで全部を」
『さあ、裁判が始まりますよ』
閻魔が机の上の鏡を軽く叩く。すると鏡が横に伸び、私達にも見やすくなった。
『なにこれ』
『浄玻璃の鏡です。まずはこれで生前の全てを明かします。横に伸びる機能は知りません。後で聞きます』
やがて鏡に姿が浮かび上がる。まずは生誕。次に学び舎。初めての友人。
試験。失敗。奮起。結託。勉強。成功。恋愛。失敗。再起。勉強。失敗。友人。嫉妬、嫉妬嫉妬嫉妬――事故。
『小傘が青いわ』
『退廷しますか?』
『おねが いします』
『私 付いてく』
なおも彼女の歴史は続く。
平穏。家業。継承。勉強。他者。比較。鬱屈。発見。包丁。飼猫。接近…………
私達より遥かに大きい無機質な石扉の前で、映姫はそう言った。途端、扉の前の幽霊たちがカタカタと震え出したように思えた。
「ここが重罪人専用裁判所です。明確な目安はありませんが、殺しを目的にした殺しを行った方などがよく来ます」
「あれ、閻魔って二交代制よね。いくつも裁判所があっていいの?」
「二交代制ではありますが、二人しかいないわけではありません。二交代のペアが五つほどあります」
「現代の十王ってあんま偉くなさそうだな」
「何で真っ先にここに連れてくるんですかねえ」
「他意はありません。裁きの覚悟を見るならより重要な決定を見たほうが良いと考えたまで。浄玻璃の鏡を見て悔悟の棒で数十回殴る程度の裁判では判り難いでしょう」
「じゃあ、ここは違うの?」
「検事が付き、此岸の裁判に近くなります。もっとも、検事とは名前がついていますが実際は罪人の監視役です。此岸と同じ名前を使うことで、罪人に安心を与えているのです。ここはまだ恐怖を抱くところではありませんので」
扉を通り過ぎ、廊下を更に進んでいく。角を二回曲がると、さっきよりも小さな扉が見えてきた。さっきの無機質なものと違い、チョコレートのように区分けされた瀟洒なデザインをしている。上の出っ張りには『傍聴席』と書かれたパネルが吊り下がっていた。
「? 閻魔様、それって嘘じゃないの?」
「業務を円滑に進めるための名称の統一だそうです。私も鬼ではありませんから、理解はしています。バレなければ善ですし」
「今バレたぞ」
「上から言われたのね」
「終わった話です。確かに効果は出ていますし、今更とやかくは言いません。無駄を省いて面倒を生んでは意味がないのですから」
「へぇ、ずいぶん慎重なのね」
「鏡は過去の全てを映しますが、現在を見ることはできません。昔、その点を突いて脱走した罪人がいるのです。以来検事は重要な役職になりました」
「チッ」
「……えっ、いいの、これ、聞いていい話なの?」
「良いから話すのです。何か気づいたことがあればこの先も遠慮なくどうぞ」
三途の河で大体わかるので、そこですでに分類されている