「『バニシングエブリシング』」
「っ」

 トランプが宙を舞い、二人の姿が消える。ついでに泥棒も消えたところに咲夜の幽かな優しさを見た。
 ディゾルブスペルが突き刺さる。

「あ、ああぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」

 インの絶叫が、紅魔館を震わせる。

 それはつまり私も震えているということになり気合で抑え込んだ筋肉痛が再発してててててしかもさっき埃吸い込んじゃったから呼吸器官まででででで更には頭に巡った血がそのまま血管圧迫して頭痛がががががががが

「あああああ…………ぐっ、が、ぐぅぅうっ!!」
「……もうひと踏ん張りよ、イン! 負けるな!!」

 それ、でも。ここで弱さは見せられない。さっき見栄を張ったのもあるけれど、何より信じて頑張ってる小悪魔の前で血反吐吐いてる主にはなりたくない。不安になるじゃない、そんなの。あとそろそろ気絶芸とか言われそうなのが嫌だ。
 ところで、唇って噛めば噛むほど血の味なのね。初めて知ったわ。血はレミィに薦められたとき以来だけど、やっぱり美味しくないや。珈琲の方が好き。

「う、ああ、アアアァァァァァ!!!!」
「……!?」

 突如、ディゾルブスペルの消費量が跳ね上がる。それが私の右腕に幻想の重みとして降りかかる。重みは右肩まで伝播し、遅れて差し込むような鋭い痛みが襲う。肩の力が抜け、支えを失った腕が力無く落ちた。

 ――そこへ、無理矢理立てた右膝をつっかえる。

「……」
『わ……れ……願いを、叶える……モノ』

 二の腕に膝蹴りをかますようなものだ。当然、腕に激痛が走る。だが、これで関節的に腕は真っ直ぐなまま落ちない。震えるギプスで右手を引っ掛け、再び掌をインに向ける。そして緊急的に割いた身体強化分の魔力をディゾルブスペルに戻す。

 ……あれ? 今の、インの声?

『この者の……願いし、普遍。たとえ、誰が相手になろうと……我、叶えることを、誓う』
……お前は

 いや、違う。インの背後から。
 そこから出ている魔力の塊からだ。

 ――自立魔力、
 超高密度にした魔力が行き着く果ての一つ。

 まるで魔力が意思を持ったように振る舞い、
 その力が尽きるまで使用者の望みを叶えるという
 伝説の現象。

 なお望みを叶えるとは、その魔力を
 高密度化する際に指定した魔法本来の用途に限る。
 例えば火魔法なら何かを燃やす望みしか叶えない。

 伝説になったのは、これがもう起きなくなった魔法の失敗だから。易々と地形を変えることもある高密度魔法で、こんな使用者でも止められない暴走を引き起こせば結果は決まっている。回避する方法が編み出されるのは当たり前だった。

 それが今、目の前に居る。

『紫の魔女。この者の願う普遍において、最大の脅威。排除する』
えっ、おまっ

 自立魔力からめき、めきと音がする。瞬間、魔力の塊が私の方に伸びてくる。咄嗟にディゾルブスペルを変形させ、伸びた部分を全て覆い消す。

 そんなことをすれば当然薄いところだってできるわけで。今度はそちらから塊が伸びる。それを消す。伸びる。消す。伸びる。

 消す。伸びる。
 消す。伸びる。
 消す。

 伸びる。

 
 消す。

 伸びる。

 す

伸び

 る

  

 消

 す

 。

『人の身に限界あり。敗北を認めよ』
……

 ……どう、しよう。予想以上、だ。

 このいたちごっこは、私が有利だろう。相手は純粋な魔力。魔法を撃つのは即ち命を削る事。このまま防ぎ続ければ、いずれ魔力を使い果たして消える。それは間違いない。

 だが相手は、「私のディゾルブスペルの中で形を保つ」純粋な魔力。いつまでこの攻撃が続けられるのか、幻視で見る暇もない。
 おまけに、こちらは一撃でも受ければ集中が乱れて一気に崩れてしまう。私の予測が正しければ、自立魔力に指定されている魔法は「認識歪曲」。ガードに手を回せない今、こんな精神魔法相手に集中を乱さない自信はあまりない。

 そうでなくとも、こちらはとっくに限界だ。目は霞み、鼻は効かずに血を味わい。耳鳴り酷く手足に痺れ。痛覚と思考だけが鮮明に生きてる。大袈裟に言って死んでる。

 こんな、ここまで私を追い詰めるなんて。
 こんなこと。

 ――給料、二倍でも足りないぞ。

『排除……不可? 有り得ず、我は願望器、神の作りし魔法、認めず』

 あっ、隙だ。お返し。
 
『排除す……ッ!? ……排除する、排除す る排 除 す、る』

 防御用と見せかけて、濃くしたディゾルブスペルの一部を内側に変形。そのまま自立魔力を刺し貫く。
 ついで、空いた穴にディゾルブスペルを流し込む。これで内外両方から自立魔力は消されていく。決着は分読みになるだろう。

『紫の魔女。この者の願う普遍において、最大の脅威。排除する』
えっ、おまっ

 自立魔力からめき、めきと音がする。ディゾルブスペルの中で魔力が形を持つだけでも驚異的なのに、これ以上何かするつもりらしい。
 一瞬研究心が揺れ動くが、さすがにここで実験を始めたら知性ある動物として色々終わるわ。別の機会を作りましょう。
 幻視で魔力の薄いところを探す。ディゾルブスペルの密度を調節して、そこを一気に貫く。よし。
 

『排除する、排除す る排 除 する 我が名 究極 の 魔法
 ――「願望器」の 名の 下に』

 やっぱりだ。
 原初魔法「願望器」。望むことすべてを叶える、魔法の最終形態。本物が出てきたら際限なく周囲の願いを叶えて世界が壊れるので、さすがにこれはその劣化品だろう。けど、それでもこの目で見るのは初めてだ。

ああ、そうか。繋がったわ

 銀の髪。銀の河。カルシウムの大事さ。
 連絡係。一貫性の法則。妙に急いでいたイン。
 びっしり張り付いた魔術の痕跡。

 それらから推測できる、一つの魔法。

 止まった遠見の魔法。
 自律して知能を持つ純粋魔力。
 あらゆる普遍を定義する万能性。
 願いを叶える、願望機。

 それら全てを実現できるほど、魔力を生み出す触媒。

『我が主の……主。普遍において、最大の脅威。排除する』
えっ、おまっ

 

握力以下の咬合力で血が出る唇……?