up:: 蓬莱人形フランドール説第二稿第二話
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 ボクらはすっかりこの場所での生活にも慣れ、気ままな暮らしを始めていた。

 廃洋館は見た目こそ古ぼけていたものの、生活用品はそっくり残っている。服は着れるし、カップでコーヒーも飲める。毎朝干せば、ちゃんとふかふかのベッドで眠ることも夢じゃなかった。

 森の恵みは、ボクら八人をお腹いっぱいになるまで癒やしてくれる。木の実は豊富で、茸も生えている。廃洋館の近くには、これもまたサグリが見つけた湖があるから、水の心配はない。魚だっているし、少し水源を辿れば沢蟹だって取れた。自由な生活はまるで楽園にいるようだった。

 けれどただ一つ、できない事があった。森から出ることだ。

この部分の問題点
サグリが出ていってから、パーティが開かれていること
サグリハブでパーティやると思えないし、やっぱサグリが出ていったのは好奇心に従った探検、ひょっとすればメイかケイによる探検の唆しがあったのでは?
危険なのはそうだが、危険だからって黙ってればもっと危険になる。サグリがそれをどうにかできる信頼がこの二人のどちらかにあれば、一人で行っても問題ないか。というかこいつが一番の体力お化けで他がついてっても追いつけないで危険とか無いか。それを全員が知ってればここからでもなんとかなるか?
でもこれ黙ってたら正直者じゃないし、喋ってたら結局サグリハブパーティだぞ。悩むケイかメイを見て自分から行ったくらいはあるんじゃないか。その思いを黙ってたら正直者じゃ、例えば思いを打ち明けてもすげなく断られたとか? それでも行きたかったサグリ、二人の分からず屋と言って外へ。この諍いが他に知られてなくて、かつそれが原因だと二人が思ってなきゃパーティを開くのもおかしくは……いやあ流石に思い至るだろ、いくらなんでも。元から半日いないのが当たり前だったとか、セットでレンが消えてるからそっちの意味かと思ったかならまだわかる、分かるんだけど阿片乾燥させるのに何日かかけてるからいくら何でもこれで帰ってこなかったら怪しむ。限度があるだろ。だからこそパーティで誘き出そうと思ったか?
まあサグリが見えるくらいに眩しい光を見せるのが主目的で、パーティは副目的ならいい……のだろうか。芥子の乾燥時間で山まで登った想定なら、離れていても一つって意味で光を見せればそれでいいのか。サグリ側のパーティ感が無い。そこはあれだ、誰か空気読んで阿片か酒か送っとけ。

「今日こそ、外を見つけに行くよ」

 七日目の夜明け前。眠れずに洋館の広間を彷徨いていたボクに、サグリはそう言った。

 上流へ向かうんだ。まずは山から全体を見下ろす。明かりが見えたら一番いいね。他にも面白いものがあったら、沢山覚えておくよ。帰ってきたらいっぱい話してあげる。

 サグリの背には大きな背嚢があった。よく見ればそこにはいくつか見慣れない装飾品がついていた。気になって見ているとサグリが話し始める。この遠出を控えて、一人一人に相談と挨拶をしていったときに貰ったのだという。日本ではこんな風に遠出する人に願いを込めて物を渡す風習があるのだ、そうメイに教わったのだと、サグリは胸を張った。
 いつの間にそこまで染まったのだろうと思いながら、ボクはポケットを漁った。小さな翡翠の装飾品が出てきた。たぶん実家にあったものだろう、ボクはそれを背嚢の紐に引っ掛けた。サグリは一瞬目を丸くした後、くしゃくしゃの笑顔で礼を言った。

 
 それじゃあ、行ってきます。そう言って、サグリが玄関を開ける。そして振り返らず、彼は門を出ていった。草を踏み、木へ飛び移り、森のざわめきが消えるまで、ボクは手を振り続けた。そうして一切の痕跡が消えてから、ボクはドアノブに手をかけた。

 

 だから、聞こえるはずが無かったのだ。

 なのに、ボクには確かに、

 『骨が折れた音』が聞こえた。

 いつもなら気にも留めない。この場所に来てから、何度か狩りを見た。その時に聞こえた音が耳にこびりついて、幻聴でも起こしたか。あるいはメイが森に罠をかけていて、捕まった動物が哀れ一撃で絶命したか。どちらにせよ、ボクが気にかける事じゃない。

 けれどボクはその日、既に歩き出していた。その音はサグリの向かった方角から聞こえてきた。ただそれだけで、ボクは気になってしまったのだ。森の向こうで何が起きたのか。その向こうに何があるのか。昔サグリが言っていた、『好奇心に突き動かされる』なんて現象が本当にあるとするなら、このボクの今の衝動を指すのだろうか。どこか他人事に、ボクはそう考えていた。

 歩く。歩く。
 木の根で足場が悪い場所だ。ボクは何度も足を取られ、体をよろめかせた。それでも足を止める気にはなれなかった。そこかしこが擦り傷だらけになっても、軽く息を切らしても、音の方向へ進む。複雑に入り組んだ場所を、勢いを付けて跳び越した。
 やがて、川の向こうに人影が見えてきた。サグリの身体能力にしてはまだ近い所にいる。それでも、それはサグリのはずだった。翡翠の装飾が背嚢の影から覗いていた。

 さぐ、

 それは、血だった。
 朱色の滴が、ボクの全身を叩く。

 それは、川向こうに置かれた奇妙な噴水から噴き出していた。
 噴水を支える二本の棒。薄いながらも、固く引き締まった本体。そこに引っかかった背嚢。その左右からぶら下がる棒は、先が五つに別れている。

 それは、川の水よりもぬめっていて、気をつけないと転んでしまいそうだった。
 それは、本体の上から勢い良く出て、朝焼け空を朱に塗り替えていた。
 それから漂う鉄の匂いで、辺りは。

 どれだけ経ったのだろう。視界が明滅する。身体が震える。半刻にも、半日にも思えるほどの間、ボクはただそれを眺めていた。不思議と考えが纏まらなかった。やがて湖の方から物音が聞こえ始めたので、ボクは幽鬼のようにゆらゆら揺れながらそっちへ向かった。反射的な興味だった。

 湖の上には、見た事も無い雨が降っていた。大小様々の光り輝く玉が、方向も自由に飛び交っている。よく見れば玉だけではない、針のように細い粒もあれば、紙切れのようなものも飛んでいる。その雨の中心に誰かが居る。
 白の小袖に、赤の袴。赤い帽子を被り直して、また雨の中を飛んでいく。服は脇が開いていて、帽子には星型の飾りがついていた。彼女は雨の中の誰かと戦っているようだった。小袖が朱く濡れていた。

 誰かは複数人いた。彼女は雨を巧みに操り、次々と叩き落としていく。落ちていく誰かには集中的に雨が降り、後には焼け跡だけが残った。すぐに最後の一人だけが残った。

 雨は激しさを増していく。みるみるうちに恐ろしい嵐となったそれは、雨の中の二人を光で覆い隠した。やがて一方が嵐の下に落ちていった。少しずつ止み始めた嵐を貫いて、もう一方も湖の向こうへ消えていく。ボクは初めに落ちたほうへ駆け寄った。誰かが岩に凭れていた。

「……あなた、は」

 それはさっきの帽子の子だった。ひどい有様でもそれは分かる。内臓まで切られた腹は言うに及ばず、俯いた顔には深々と傷が刻まれ、削がれた頬から白い歯を覗かせている。力なく垂れた右袖には厚みが無く、代わりにどくどくと溢れる血が池を作っていた。ボクは何が起きているのかと聞いた。

「妖怪……退治、よ。人間を害した妖怪は……私が、巫女が退治しなきゃいけないの。それがここの決まり」

 彼女はふらふらになりながらも体を起こそうとしていた。ボクが手を貸すと一瞬躊躇ってから借りて立ち上がる。けれどすぐにまた膝をつく。

「けど……私、もう駄目みたいね。あーあ……まだ残ってるのに」

 彼女が最後に落ちていった誰かを睨んでいる。そこにいたのは少女だった。赤の着物を着て、緑の髪を振り乱し、鎌を持って倒れている。そんな少女が、大きな桶から上半身だけを出して地面に転がっている。あれが妖怪なのだろう。

「……ねえ。あなた、この後暇?」

 暇かどうかというと、確かに暇だった。生活は満ち足りている。仕事についても、サグリが誰かに――おそらくは、あの怪物の手にかかって死んだ。そのことを伝える。それくらいだ。少し遅くなっても、問題ない。

「そう。……じゃあ、後は頼んだわ」

 彼女がそう呟く。
 
 不意に、世界が傾いた。

 じわじわと頭の中心に熱が集まる感じがする。痛みが反響しているみたいに大きくなっていく。呼吸は酷く荒くなり、自分の鼓動の音だけが耳鳴りのように煩く響いている。ここを離れようとボクはただ脚を動かした。けれど動かない。

 暗くなっていく視界には、彼女の左腕がボクの腕を握り潰さんとばかりに強く掴んでいるのが映っている。触れられている場所はまるで五寸釘の筵を巻かれたような感触で、この体調を生み出している原因だと考えるには十分だったんだ。引き剥がすためにボクはその腕を力の限り蹴った。見たこともない方向に曲がった腕は、それでも握るのをやめなかった。痛みが増していく。目が熱い。

「――――ごめんね」

 帽子の子は、そう呟いたのだろうか。目も耳も馬鹿になった今のボクには、その意味を受け取っても疑わしいままだった。

 釘が解ける。少しだけマシになった体調が、ボクの行動を許して《《やっている》》ように思えた。さふ、という音でようやく彼女が倒れたことに気がつく。うつ伏せに倒れた彼女の首にボクは指をやった。何の振動も感じられなかった。よろめきながら立ち上がり、倒れないように一歩踏み出す。

 途端、つま先から頭まで大きな針が貫いたようだったんだ。そこに縫い留められたような錯覚を起こして、ボクはしばらく動けなくなった。グラグラと揺れる視界で思考が踊る。

 もう帰ろう。体が痛い。まっすぐ歩くこともこなせない。何なら、ここで少し休んでいけばいい。朝靄がかったこの湖の空気が、熱った身体を癒やしている。ボクはそれに従いたかった。ここで寝転んでしまえば、ざっと十六時間程は泥のように眠りこけられる。**そんなことはどうでもいい。**ともすれば今日の出来事はすべて夢かもしれない。思えば昨日の夜からボクは眠っていないのだ、今倒れても不思議じゃない。十分に休んで、それからまたいつもの気楽な生活に戻ればいい。戻れれば、それだけで良かった。

 けれど――ボクは、その一切を無視した。

「……ああ」

 生まれ変わったような気分だった。体中の痛みを、昂揚感が上回る。体はどこまでも軽く、空を飛んでいけるようにさえ思えた。倒れている妖怪に近づく。

「……」

 妖怪はボクを見て口を開いたが、そこから言葉は出てこない。代わりにがぶがぶと泡立った血が流れてくるだけだった。よく見れば、彼女の着物は所々が白かった。元々は白だった着物を、血が赤色に染めていたようだった。その血は喉からだけでなく、彼女の体中からも湧き出していた。彼女の肢体は紫に染まった場所もあれば、針に埋め尽くされ血が細く筋を描いている場所もある。

 ボクは彼女の傷を数えた。なんとか足りることを確認して、彼女に背を向ける。そして巫女の死体の前に立ち、ボクは懐からナイフを取り出し振り上げた。

「ストップ」

博麗の力の回収準備してたんで、ちょっと遅れた
さすがに紫の目が人外と人間の区別つかないこと無いだろう。人外が博麗の力貰って普通に立ってんだけどマジ?

 その手首は、誰かの手に抑えられていた。いつの間にか、ボクの後ろに誰かがいる。触れれば折れてしまいそうなほどに細い指なのに、それは万力で押しつぶしているみたいに強い力だった。

「誰だ?」
「好きなように呼びなさい。それより、貴女は一体何をしてるのかしら」

 ぎりぎりと、ボクの腕が捻り上げられていく。ボクはそれも無視して力を入れ続けていたけれど、全く動く気配は無かった。力の均衡が崩れて震えることも無かった。

「治療だよ」
「……それはただの死体よ。生死の境界を越えたもの」
「そうだね、これはただの死体だ。だから布を貰うんだ」
「……」

 ぎじっ、とボクの腕から奇妙な音が鳴った。骨と骨が擦り合わされているような痛みが、腕の中から全身へ伝播していく。

「ここまで浅ましいとは。期待外れでしたわね」

 ゴリゴリ、プチプチと、奇妙な音は種類を増していく。手首にかかる指はまるで骨の隙間へ沈み込んでいくように感じた。

「質問は終わりかい? じゃあボクから頼みがあるんだ。布を切ったらある程度は血を落としておきたい。そこの湖で布を洗ってくれないか。その間、ボクは針を抜いていくよ」

 彼女の目を真っ直ぐ見据える。すると、彼女の手が嘘のように止まった。彼女は目を何度も瞬かせ、ボクの目を見つめ返しているようだった。

「何を言っているのかしら? それではまるで、あの妖怪を助けるように聞こえるのだけれど」
「助けるよ。そういうものだろ」
「……博麗の巫女から、退治を依頼されたのではないのかしら」
「この子かい? されたよ。だから助けるんだ。死なれたら退治できないじゃないか」
「……」

どっかの部隊に郷外秘の力が渡ってるのはもっと憂慮すべきなんだが、何か違う予感がしたんだもん……藍に見つかったら叱られるやつ。

 手を離す

「……はあ。おかしな奴が送られてきたものね。ちょっと待ちなさい」

 岩の裏手から包帯

「包帯なら用意するわ。だからまずは針を抜きなさい」
「ありがとう」

「さて。話せるかな」

「……ぁ……り」
「話せるんだね。よし。じゃあ質問しようか」
「待ちなさい」

紫驚き

「何だい」
「いや、そりゃ止めるわよ。その状態の奴に何を話させるのよ」
「今日背嚢を背負った子の首を切ったかどうか、だけど」
「返答次第でどうするつもりなの」
「退治するかどうか決めるよ」
「今更?」

「あの子はこう言ったよ。人間を害した妖怪は巫女が退治する。だからって、目の前の妖怪が人間を害したってことにはならないだろう」
「……遅いわ。遅すぎる。あなたは妖怪を舐めているわ。その質問の隙があれば、貴方を三度は括り殺せる」
「そうなんだね。それで、切ったのかい?」
「待ちなさい」

「何だい」
「今触ろうとしたわよね? どう見ても絶対安静の奴に何しようとしたの?」
「揺さぶる気だったよ。もしかして、ボクに気付いてないのかもしれないからね」
「分かったわレン、私がよしって言うまで何もしないで。いい?」
「無理な相談だよ。心臓は止められない」
「……どうやってこれを制御してたのかしら、あいつらは」

「キスメ。一度息を止めなさい。今日、リュックを背負った人間を殺したなら息を吐いて。殺してないなら吸いなさい」

確かに、息を呑んだ

「なるほど。良く分かったよ」
「気は済んだ?」
「いやまだ。キスメ、君の仲間は人を殺した事はあるのかい?」
「……」

「キ」
「無いわよ」
「君に聞いてないよ、張三」
「貴方はもっと裏を読みなさい。私がその仲間ってことよ」
「……ああ」

「それじゃ、アサが気付かなかったのは君の仕業か」
「そうよ。初めまして、レン。私はメアリー。貴方達の命を狙っている、妖怪のうちの一匹よ」

「好きに呼んでいいんじゃ」
「それでも張三は無いわ。メアリーにしなさい」
「そうか。それじゃあメアリー、今度は君に質問しよう」
「答えられる範囲なら、どうぞ」

「あの帽子の子が撃っていたような弾は、どうやったら出るんだい?」
「……貴女、まさか今から習得するんですか?」
「見た限り、妖怪の体を一片も残さず消したのはあの弾だ。あれを退治と呼ぶのなら、帽子の子がそれを望んだなら、ボクにもそれが撃てるんだろう」
「無理です。あれは、あの子が十年頑張ってようやく習得したもの。貴女がいまどうこうできるものじゃない」
「そうなんだね。それで、どうやって撃つんだい」

光を失った瞳
憂慮の目

「……それが撃てないあなたに頼んだなら、きっとそれ以外の退治を、あの子は望んでいたのではないかしら」
「それ以外?」

「好きにやってみな、レン。あなたの思うままに」

 ちょっと考える
 桶に近づく

「な……にを……」
「ふっ」

 蹴り飛ばし
 ボロボロの桶は粉々

「あ」

 声にならない嗚咽
 ぷつりと糸が切れるように倒れる

「うわぁ」
「これで終わりだ」
「……どうして、桶を壊したの?」
「なんとなく」

 だんまりゆかり

「ただ、退治ごっこでいいならこれが一番な気がしたんだ」

ほんの少しだけ、光が宿る
退治ですらない

「でも、やっぱりしっくりこないな。ねえ、メアリー」
「何かしら、レン」
「君ら妖怪と取引がしたい。連れてってくれるかい」
「いいわよ」

 隙間を開く
 地面が裂ける
 気づいたけど間に合わない

「それでは一名様、ご案内」